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メメント・モリに抱かれ、夢と現の間を行ったり来たりしながら、マリーは徐々に落ち着きを取り戻していった。
少しの間眠って、恐ろしくて目が覚めてを繰り返し、ぼんやりとした意識でいる中、こんなことを言われた。
「マリー、離したまえ。メメント・モリとて、長い間首を絞められていたら窒息は免れない」
「マリー!メメ様そろそろお帰りだから離しなさい!迷惑でしょ!」
メメント・モリの静かな声と、フローレンスの叱責。どうやら、マリーがメメント・モリから離れないことで困っているらしかった。
それでもなお、マリーは深くメメント・モリに抱きついた。
何故だか、離したら二度と戻って来ない気がした。遠くに、あの地下に行ってしまうかもしれない。そして二度と現れないかもしれない。
メメント・モリがいなくなる。それはマリーにとって最も怖いことだった。
怖いことがあっても、悲しいことがあっても、メメント・モリがいれば平気だった。
ましてや、あんなことがあったのに。
メメ様があの深い地下へと帰ってしまったら、私はどうすればいいのだろう。
夢うつつの中に揺蕩いながら、マリーは小さな身に似合わぬほど切実に冀っていた。
メメ様、どうか行ってしまわないで。マリーを一人にしないで。
そして、一人にならないで。
暗い、時間に置いてきぼりにされたような地下の舞踏会場。
マリーはそこで底知れない厚みを持つ時間の流れを感じていた。
メメント・モリはずっとあそこに住んでいた。そしてきっと、あの宝石箱の中身を見ていた。
身近な存在だったメメント・モリが、急に遠くなった。
怖かった。マリーの大事な人が、ずっとあんなところにいるなんて。
「だめよ・・・」
マリーのぼんやりとした呟きに、メメント・モリがぴくりと動いた。
「メメ様を一人になんてできない・・・」
瞼の裏に、いつもそばにいるようで、いつの間にかいなくなっているメメント・モリが浮かぶ。
悲しくて仕方がなかった。
メメント・モリはいつもマリーのそばにいてくれる。だけど、マリーの方は、本当はメメント・モリのそばにいなかったのだ。
メメント・モリはあの地下の住人なのだ。
「死は常に、すぐそばにある」
静かで冷たい。
しかし、いつもマリーの気を穏やかにさせてくれる声が耳元に囁いた。
「知らぬのにそばにぴたりと付いている。気付きもしないところに佇んでいる。それと分からぬ間に直面している」
唇に丸く硬い、飴玉のようなものを当てられ、押し込まれた。
マリーがぼんやりと口に受け容れると、甘かったり、温かかったり、スパイスっぽかったりと、色々な味が口の中に広がって、何故だか気持ちが前向きになっていった。
それは安心感をマリーから引き出し、柔らかに、眠りに染みこんでいく。
「メメは死と同じように、マリーのそばを離れはしない。だから心配するな」
マリーは怖さも、ショックも溶けゆき、精神が凪いでいくのを感じながら、今度こそ眠りについた。
目覚めたマリーが真っ先に対面したのは、目を吊り上げたフローレンスだった。
「まったく。他人様の部屋のものを勝手に触ったらダメでしょ!メメ様すごーく落ち込んでたのよ!!」
開口一番、そこか。
ベッドの上で体を起こし、ぶすっとしてマリーは「ごめんなさい」と言った。
結局一日中、マリーは眠っていたらしい。泣いたせいか頭は重く痛み、ひどく身体がだるかった。ベッドの横のテーブルには頭を冷やすための氷だの体温計だの水差しだのが置いてあって、心配をかけただろう痕跡が見て取れた。
しかし、そのときは、フローレンスが腰に手を当てて、マリーのベッドの側に立っているだけだった。
「他人様の部屋に許可もなく入るなんて、まったくどこの子かしら。あまつさえ、勝手にものを触るなんて!他人様の部屋には許可をとって入ること、触るのも許可をとること!常識よ、覚えておきなさい」
「はい・・・でも、メメ様、昨日何回呼んでも来てくれなくって」
「それが普通なのよ」
「え?」
「メメ様は、普段は現れないはずの人なの。あなたが危ないといけないから・・・ずっと地下にいたのに、いつでも出てきてくれているのよ」
このとき、初めてフローレンスはマリーにメメント・モリのことを語った。マリーがある程度の年齢になるまでは、あちこちに言い触らすといけないから黙っていたのだという。
初めてメメント・モリと出会ったときのこと。使用人たちから聞いた、フォール家の危機に現れる死神のような〝メメント・モリ〟を名乗る人。
それから、フォール家の財産を狙う人間がベビーシッターに金を渡し、マリーに害をなすのではと心配して、マリーを見守っていたということ。『毒見スプーン』というスプーンを使って、未然に危険な食材を見つけて常に安心安全の食事が提供できるよう協力していたということ。死神のようにマリーのそばに佇み、一度としてフォール家の財産を狙う輩をマリーに近付けさせなかったこと。
だが、フォール家を救ってくれるのに関わらず、大丈夫になったら目の前から姿を消す人なのだということ。
「まあ、まだ危なくないとはいえないから、いてくれるんだと思うけど、それよりもあなたがやたらと懐いてしまって。私たちも当たり前になってしまっていたけれど、本当はいつふらりといなくなってしまうかも分からない人なの。一緒にいるのが当たり前ではないのよ」
あの地下に行って、どこかに行ってしまうかも、という危機感を抱いたのは、あながち間違いではなかったのかもしれない。
マリーは硬直した。
「それで、メメ様は?」
「自分の部屋のものを触ったあなたが酷い目に遭っただろうからって、ひどく落ち込んで嘆いていたわ。嘆いているのはいつものことだけれど、いつもよりずっと自分を責めていた」
マリーは首を振って、俯いた。
「悪いことをしたわ」
自分がメメ様を落ち込ませてどうするのだ。普段から世の中を、人の儚さを嘆いているような人に。
屋敷のほとんどの人は、メメント・モリの言動を「ああまたいつものが始まった」と生暖かい目で眺めている。マリーもそうだった。そういう癖のある人なのだろう。それくらいに思っていた。
だが、あの地下に降りて、箱を開けてしまったから分かる。
メメント・モリは心の底から嘆いている。生きて酷い目に遭ってしまった人、死んでしまう人間の運命に。
死を忘れるな。
彼は死を常に感じている。
理不尽な裁きを受け、拷問にかけられた。そんな人がいることを知っていて、嘆いているのだ。
「メメント・モリ」
数日後、いつまで経っても姿を見せないメメント・モリに話しかけるつもりで、マリーは呼びかけた。
例の暖炉のある大きな居間だ。綺麗な家具と花瓶や甲冑が置いてある。
スイッチがあった暖炉の奥は既に塞がれていた。
それでも、どこかに繋がっているのだろう。マリーの話も、どこかで聞いているのではないかと思った。
部屋を見回し、マリーは静かに話しかけた。
「部屋に勝手に入って、勝手に物を触ったりして、ごめんなさい・・・」
部屋はしんと静まっている。
メメント・モリは、もうマリーのことを嫌いになってしまったのだろうか。何にも考えず、ただメメント・モリに甘えることばかりを考えていた。マリーはひどく情けなくなった。メメント・モリはただ優しいだけで、マリーに自分自身のことを何も教えてくれていなかった。
マリーはそれが悲しい。メメント・モリはマリーに頼っていなかった。背負っているものを伝えてはくれなかった。
その優しさは、メメント・モリがマリーと共に生きるつもりでないことを表していた。
もう出てきてくれないのだろうか。俯いて、呟くようにマリーは訊ねた。
「メメ様・・・まだ怒ってる?」
「・・・嘆かわしい」
はっとして声のした方を見回す。
「メメ様?どこ?」
「・・・マリー。私が怒っているわけがない・・・むしろマリー・・・お前を怖がらせたことに深く、ふかーく後悔しているところだ・・・せめて都に出かけているのだと、伝えておくべきだった」
ふと、窓際にまとめたカーテンがふくらんでいるのを見つけた。裏に黒いオーラを倍増させて人が佇んでいるらしかった。
マリーはほっと息をついた。
「私は大丈夫。メメ様・・・あんなところに、住んでいたのね」
「暖炉の道は塞いだ」
「分かっているわ。・・・ねえ、出てきてくれないの」
「・・・嘆かわしい。お前を怖がらせた私はもう会わせる顔がないのだ」
マリーは溜め息を吐いた。
「そんなことないわ。私も悪かったもの。でも、あれが何だったのか教えてもらう権利はあると思うわ」
分厚いカーテンの裏でメメント・モリは一瞬黙り、それから語り始めた。
「地域史はもう習ったか」
「いいえ、まだ」
「この町はかつて錬金術師の隠れ里、といわれた」
錬金術師。
それはメメント・モリのことをも指していた。
マリーは目を丸くして、カーテンを見つめ、聞こえてくる静かな語りに耳を傾けた。
「何百年も前のこと。とある錬金術師が起こした恐ろしい事件をきっかけに、儀式や実験を公に行っていた錬金術師の不信が高まった。錬金術師と名乗る者はのべつまくなし、異端の烙印を押され、人殺しの汚名を着せられ、迫害されることになった」
多くの善良な錬金術師が、追われ、捕まえられ、ありもしない罪を被せられて水に沈められた。拷問にかけられた。十字に架けられ、見せしめに火あぶりにされた。
メメント・モリはその当時、城の地下でその有様を知って、多くの錬金術師を匿った。
迫害に曝され、否定され、殺されかかった錬金術師たちは悲しみに暮れた。仲間や大事な家族を殺された者は多かった。
彼らはそんな拷問に苦しんだ同胞たちの記憶を集めて持ってきて、永久に記憶を保管できる箱を作った。
綺麗な宝石箱のようなその箱は、『記憶保存庫』。
同胞の苦しく悲しい記憶を保存するために作った装置だった。開けた者には、悪夢のような錬金術師たちの経験を追体験させる。
「多くの記憶は『わざわいの種』という恨みと憎しみの種に作り変えられた。より多くの人間に、錬金術師の苦しみを知らしめるために。完全なる自暴自棄の八つ当たりだが・・・錬金術師たちはそうでもしないと気持ちのぶつける先がなかったのだろう」
そして、錬金術師たちはほとぼりが冷めると、各地に散っていった。それぞれ『わざわいの種』を持って。
マリーが手を触れた箱は、メメント・モリの手元にひとつだけ残った『記憶保存庫』だった。
「メメ様も見たの?」
「ああ」
静かに、穏やかに、メメント・モリは答えた。
「あの人物は拷問にかけられ、一週間以上耐えた。一度もありもしない罪を認めず、生きたまま火あぶりにされた」
マリーはぶるりと震えた。そんなことになったなんて、信じられない気持ちだった。
ではあの人は、本当にそういう体験をし、マリーがメメント・モリに幻影を振り払ってもらった後にもっと痛めつけられ、罵声を浴びせられ・・・・そして死んだのか。
涙が滲んだ。
自分が追体験したせいもあるけれど、そんな思いをした人がいたこと自体にマリーは悲しみを感じていた。
「・・・嘆かわしい。死者の記憶を拾い集めた結果、お前に怖い思いをさせた。罪のない無垢な心を傷付けた・・・」
いつもの淡々とした喋り声ではない、悲痛さの滲む声だった。
マリーは首を横に振り、カーテンの裏に隠れているメメント・モリに話しかけた。
「・・・メメ様はきっと、たくさんの人の死を見ているのね。・・・私、大丈夫よ。怖かったけど、悲しかったし、思い出すと今でも涙が出そうになるけど・・・ああいう人もいるって知って、よかったかもしれない。本当に、本当に、安らかに眠っていることを祈るわ。それに」
マリーは灰色の瞳をじっとカーテンに向けた。
「メメ様がいたから、私は平気」
沈黙。
カーテンの裏の人物は微動だにしない。固まっているらしい。
マリーは微笑みかけた。
「だからごめんなさい。勝手に触れて」
「マリー・・・」
「あのね、私、メメ様の部屋がおもしろかったの。それでつい、触ってしまったの」
「・・・なに?」
「あれって錬金術なの?」
「・・・錬金術の品に興味があるのか」
「よかったら、いろいろ教えてくれない?」
急にカーテンをザッと振り払って、真っ白な肌に真っ黒な髪を添わせた、骸骨のようなメメント・モリが現れた。
マリーは嬉しくなった。なんだかこの時、メメント・モリに近付けた気がした。
メメント・モリは灰色の目を眇めて、やや早口で言った。
「教えてあげよう。錬金術が如何なるものか、如何に深遠なるテーマをもっているのかを」
ちょっと厄介そうなところを突っ込んでしまったようだと思った。
が、遅かった。
メメント・モリが地下に戻ってしまわなくてよかったけれど、その日からメメント・モリの錬金術講義は始まり、マリーは毎回毎回メメント・モリの長い講義を受けなければならなくなった。




