trois
「ああ、また現れたんですか、あの人」
熟年の執事が呆れたように言ったので、フローレンスは非常に驚いた。
メメント・モリが柩の中へ消えてすぐ、家の使用人たちがフローレンスとマリーを墓地に探しに来た。
フローレンスが随分気持ちを弱らせていた様子だったので、心配していたのだという。
みんな、協力的で、私を認めてくれていて、助かったわ。
と、後にフローレンスはマリーに語る。
家の使用人たちはみんなフローレンスの味方で、親戚を名乗る男二人が声をかけてきたと知って憤り、フローレンスが次代に繋ぐための主人としてフォール家を支える決意を告げると、ほっとしたように喜び、力となる約束をした。
フォール家の結束が強まったところで、墓に現れた不思議な男の話をすると、意外や、古参の使用人たちはすぐに反応を示した。
「死神みたいな方ですよね」
「ええ」
まさしく。
フローレンスが頷くと、お針子の老女と執事が顔を見合わせた。執事もお針子もコックもメイドも、ほとんどが先祖代々フォール家に仕えている家系の者たちである。フォール家と町に関するいわれを使用人たちはよく知っていた。
メメント・モリのことも。
「また、嘆かわしい、嘆かわしいって言って忠告とかしていったんでしょうね」
「全て死ねば無用のこと、って言いながら手伝ってくれるんでしょうね」
「あの」
うんうん、と頷き合っているお針子と執事の会話に、フローレンスが分け入った。
「一体、あの方はどういう方なんでしょう?」
執事はなんともないように澄まして、とんでもない説明した。
「ずっと昔の、フォール家の先祖筋にあたる方だそうで。住んでいるんですよ、この屋敷の地下に」
「地下に?」
「ええ、あちこちに仕掛けを作って、色んなところに入り口を作っていらっしゃいます。余人には簡単に見つけられません。錬金術の研究をされているそうですよ」
「錬金術」
素っ頓狂な声を上げるフローレンスに、執事は落ち着いて頷きかけた。
「なんでも永遠の命を研究し続けたせいで、ずーっと生き続けているそうですよ。フォール家の歴史をみると、たびたびフォール家の危機に現れて、警告をして救っていることが分かっています。そうですね、一番最近ですと三十年前ですか」
「そうですね。あの頃にゃ私も大変でした」
「三十年前、何があったんですか?」
「流行り病です。フォールご一家ほか、屋敷の者たちのほとんどがかかりました。私は当時二十代の若造でした」
執事そのときの光景を思い出すように宙を眺め、フローレンスに語った。
「お屋敷のほとんどの者がその流行り病にかかってしまいました。そんな大変なときなのに、当時のご当主、アンリ様のおじい様は、心配する町の人たちに屋敷には近寄るなと仰りました。自分が都に行ったときに持って来てしまった病気だろう、うつるといけないから、と。そしたら屋敷の者が次々と病に倒れていって、本当に洒落にならない状態になってしまいました。医者だけは出入りしましたけれど、当時はあまり知られていない病だったものですから、みんな、いつ自分が病気にかかるか、死ぬかと戦々恐々としておりました。フォール家のご一家全員も病気にかかってしまわれて、不安もひとしお。私もいつ病気になってしまうかと思いながら看病に走り回っていたのです。そしたらある日」
執事は居間の飾り棚を指差した。
「その辺りに、その男は立っていたのです」
真っ黒な髪の毛。蝋のように白い肌。黒いジャケット。首元には時代錯誤的なレース飾りがどっさりついている。
どこのルネサンスかという雰囲気の暗黒感漂う男は、壁に手をついて、頭に手をあてて、ひどく憂鬱に沈んでいるといったポーズをとっていた。
「あら?私がお会いした方は黒いワイシャツを着ていらっしゃったわよ?」
古参の使用人たちは暫し顔を合わせて黙し、しまった、という様子で口々に言った。
「もしかして後で服装が時代錯誤的とかルネサンスっぽいとか言ったのが聞こえてしまったのかしらね」
「それなら悪いことをしましたな」
「あの方傷付きやすそうですもんね」
「まあ、時代に合わせてファッションを改めたらしいです」
執事はやや罪悪感を持った古参使用人たちの言をまとめて、結論付けた。
「どなたか分からなかったもので、私は追い出そうとしたんです。町の者は医者以外入れてはならないと言われていましたから、どこの馬の骨がこんなところに忍び込んだのかと思いまして。ところが、その男は自分はフォール家の人間だという。しかも病の看病には慣れている、流行り病の薬を持ってきた、と薬を差し出しました」
青い瓶に入った液体。
若い使用人は、半信半疑でその瓶を受け取った。
今までどんな薬を試しても効かなかったのに、こんな胡散臭い人間から薬と言われたところで信用できなかったが、駄目でもともと、病に倒れていたお針子に薬を飲ませてみた。
すると、ずっと続いていた関節痛がなくなり、熱が引き始め、楽になったというので、みんな大いに驚いた。
すぐにフォール家の人々や、ほかの使用人に薬が施された。中には重症の者もいたが、薬を飲んでいるうちに徐々に回復に向かっていった。
そのとき、忽然と現れた男といえば。
屋敷のあちこちを動き回っていた。
真っ黒な髪や衣服の間に、白い蝋のような肌が覗く、細い体躯の男だったので、忙しさのために荒れた屋敷の廊下などをうろついていると、まるで死神が徘徊しているようだった。
しかも、いつの間にかいなくなっているし、いつの間にか現れたりもするし。
屋敷の者たちは最初は恐がっていたが、男が屋敷のあちこちを歩き回り、病人の額を冷やす布を変えてやり、薬を飲ませてやり、シーツを変えてやりと、なんだかえらく手慣れた感じで看病をしていたので、段々と男を見る目が変ってきた。
男の見た目と行動のギャップが激しいのが気を緩ませたのか、看病に忙しかったのもあるのか、その内、元気な使用人たちは「これお願いします」「あれお願いします」と色々と男に頼むようにさえなった。
「誰こいつ」という思いは消えなかったのだけども。
兎に角、病人第一だったので猫の手も借りたいほどだったから仕方あるまい。
ただ病人にとっては、朦朧とする意識の中で見る彼がなんとも不思議だったらしく、彼が看病をしていると「遂に死神の迎えがきたのか」とみな一様に思ったらしい。中でも当時の当主の母親にあたる夫人は、彼を見て「あああ・・・神様お許しを」と震えあがって怯えた。
しかしそのとき、男は薄っすらと微笑んで彼女に言ったそうだ。
「エレーナ、よくなるから安心しておいで」
これを聞いて夫人は失神した。
全治した後に、一家の危機に現れる〝メメント・モリ〟の存在があると言い伝えを聞いて、「きっと、わたくしたちのことをずっと見守って下さっていたのね。だから名前をご存知だったのだわ」と誤解が解けたものの、死神のような男が、一家を死の恐怖から助けたとはなんとも皮肉な話だった。
屋敷の人間がみんな、奇跡的に回復に向かって助かる見込みがついたとき、当時若い使用人だった執事は、居間に男が立っているのを見かけて声をかけた。
「ありがとうございます、みんな助かりそうです。良くなってきました。あなたのお陰です」
すると、男は灰色の落ち窪んだ目でじぃーっと執事を見つめると、額に手を当て、悲劇的な様子で天を仰いだ。
「ああ、私はまた無用なことを・・・みんな、死んでしまえば同じことなのに・・・」
そう言ってふらふらとどこかに行こうとしたので、「待って下さい、あなたは一体誰なんですか?」と使用人は慌てて声をかけた。
「私はあの当主のひいひいひいひいひい・・・叔父くらいにあたる者だ。この屋敷の地下で錬金術の研究を行っている。人は私のことを、〝メメント・モリ〟と呼ぶ」
それから二度と姿を見せなかった。
フローレンスは話を聞いて、言った。
「そんな人がいるなんて、アンリは少しも言ってなかったわよ。ファントムが住み着いているオペラ座みたい」
「ファントムよりは大人しく、善良かと思います」
執事はやんわりフローレンスの言を訂正した。
「アンリ様がお生まれになった後は、一度も現れていなかったのです。危機らしい危機もありませんでしたしね。言い伝えを聞いていても、アンリ様は怪談のたぐいだと思われていたかも知れませんね」
「そうなの・・・。あちこちに入り口を作っている、ということは、あの柩も地下への入り口かも知れないってこと?」
「そのようですね。教会もフォール家が支援して建てられたものですから、手を加えているのではないでしょうか」
それにしても、ありがたいような、不思議なような存在な気がするのに、実際に遭遇した使用人たちのメメント・モリの言いようには親しみがこもっている。
「まあ、偏屈で、変に悲劇的なことを言いながら、結局はフォール家を助けてきたお方です。今回も心配だったのでしょう」
そうかも知れない。
フローレンスはゆりかごで眠っているマリーを眺めた。
「覗きとかしないかしら」
「フローレンス様結構失礼ですね、おそらく傷付きますよ、彼は」
「人間でも死神でもない、中間みたいな方だから、みんな気にしていませんよ」
「そうね」
安らかな夢に漂っているマリーの寝顔に、フローレンスは微笑みかけた。
「マリーのことが心配だったのね。ご先祖様、って、ありがたいわね」
なんだかよく分からないが、そういう人なのだろう。
フローレンスの心が傾きそうな、危ないところを、助けてもらったのだから。
「でも、今の話を聞いていると、その方はもう現れないのでしょうね『また無用の役を演じてしまった・・・』って言って、姿を消してしまったもの」
「まあ、そうですね。今回は、少し出てきて、フローレンス様を支えて下さったようです。それでもきっと、どこかで見て下さっていますよ」
フローレンスがフォール家の先祖に恥じないよう、心を新たに生きていこう、と決めた日の不思議な出来事だった。
はずだった。
ところが、メメント・モリの登場は、これに留まらなかったのである。




