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黒くて高いシルクハット。ひらめくブルーブラックのマント。
背中姿が遠のきそうだと思った瞬間、もう躊躇ってなんかいられなかった。
「すいません!」
マリーの呼びかけに彼は足を止め、くるりと振り返った。
その白い髭の老人は、フランスの田舎町を歩いているにしては、とても奇抜な格好をしていた。
左目に鈍く光る銅の縁の、オレンジ色のレンズのゴーグルのようなものを着けている。真っ白な長い顎髭は、先っぽで黒いリボンで結んでいる。光沢のあるブルーブラックのマントの下は、落ち着いたグレーのスーツ。首からじゃらじゃらと金鎖やら皮ひもやらで鉱石や砂時計のような小物をぶら下げ、手には黒い革の鞄。
そして、その人の足の下。銀星の滑車が付いた、ブルーブラックの尖ったブーツの下には、舗装されていない田舎道の向こうにある、教会の尖った屋根が見えた。
まあ、そもそも奇抜であるとか、フランスの田舎町を歩いている、という以前に、彼にはごく一般的な感覚を覆す状態に身を置いていた。
マリーは栗色の髪をひとつにまとめ、赤いショールを羽織り、娘らしい花柄のスカートを履いた娘だった。澄んだ灰色の目に緊張を滲ませ、頬を薔薇色に染める。ごくりと唾を呑み、こちらを向いた青い瞳を見つめ返した。
「なんだね?お嬢さん」
降ってきたのは、穏やかな声だった。
マリーは頭を上向けて、思い切って問うた。
「あなたは、メメ様―――〝メメント・モリ〟の知り合いの、錬金術の商人さんですか?」
その装飾的な老人は、彼女を見下ろし、頷いた。
「如何にも。じいさんは錬金術の品を売り歩く、流浪の商人である」
やっぱり、そうだった。
マリーの胸は高鳴った。こういう不思議な経験は、あるにはある。けれど、新しく出会うのも、声を自分からかけるのも、初めてだった。
マリーは声を上げた。
「お願いがあるのです。どうか、どうか私に、メメ様のことを教えて下さいませんか?」
「なんと」
「私は・・・メメ様の親族にあたります」
おや、と錬金術の商人はラピスラズリの瞳をぱちくりとさせて、顎鬚を撫でた。考える素振りをした後、口を開いた。
「よいでしょう。歩きながらでよろしいかね?」
マリーはほっと息をついて、肩の力を抜いた。このまま行ってしまったらどうしようかと思っていたのだ。
「はい、勿論。でもよかったら、降りてきて下さいませんか?」
「おう、そうだったね」
そう言うと、錬金術の商人は今まで立っていた空中から、まるで道の向こうの教会や柵を階段にしているかのように、スタスタと降りてきて、とん、と地面に着地した。
マリーの胸はドキドキとしていた。
錬金術師は会ったことがある。しかし、あの死神のような男―――〝メメント・モリ〟と、目の前の老人は明らかに雰囲気に違った。
不思議な身なりの老人は、背が大きくて飄々とした感じだった。きちんとした紳士でいながら、金具のついた飾りをたくさん付けているので、近くで見るとさらに装飾的だった。
思ったより背が高く、近くに立っていても見上げなければならない。
ラピスラズリの右目と、淡いオレンジ色のレンズ越しに見える左目が好意的にきらめく。目の前の老人――どこか若々しく見えるが――はチャーミングに微笑んで、シルクハットをちょっと上げて挨拶した。
「さて、お嬢さん、何を訊きたいのかね?」
マリーは緊張しながら、どこまで話せばいいのか、と思いながら、口を開いた。
〝メメント・モリ〟のことを、初めて出会った頃のことを、自分にとってどんな存在かということを―――自分の前から姿を消した、その人を知るために。




