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俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】  作者: パラレル・ゲーマー


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第5話 猿と親父と百万馬券

「おーい、スーパーマン! こっちの資材、二階に運んじまってくれ!」


「はい、今行きます!」


 建設中のビルの内装現場。埃と汗の匂いが充満する中、親方の野太い声が飛ぶと、佐藤健司は即座に返事をした。


 彼は地面に積まれていたセメント袋の前に立つと、普通なら大の男が一袋持つだけで顔を歪めるような重量物を、二袋まとめてひょいと両肩に担ぎ上げた。


「へっへっへ、兄ちゃん、今日も絶好調だな!」


「相変わらず、信じらんねえ力だぜ。その細い腕の、どこにそんなパワーが入ってんだよ」


「うちの若い衆にも、少しは見習ってほしいもんだぜ、なあ!」


 すれ違う作業員たちが、感嘆と親しみのこもった野次を飛ばす。


 健司ははにかみながら軽く会釈を返し、安定した足取りで仮設階段を上っていった。


 スーパーマン。


 それが、健司がこの現場で得た新しいあだ名だった。


 どう見ても運動などとは無縁そうな、色白で細身の青年。それが、誰よりも重いものを、誰よりも速く運び、そして誰よりもバテないのだから、無理もない。


 初日にベテラン職人たちが舌を巻いたほどの超人的な働きっぷりは、あっという間に現場の注目の的となり、今では親方からもベテランたちからも完全に一目置かれる存在となっていた。


 東京開催の週末に競馬場へ通い、因果の観測訓練を続けるうちに、健司の生活には新たなルーティンが加わっていた。


 日雇いの人材派遣会社に登録し、週に二回、建設現場で汗を流す。


 深夜コンビニで生活費を稼ぎ、休日は競馬場へ通い、合間にランニングとストレッチを行い、そして日雇いで肉体を酷使する。


 以前の彼なら三日で逃げ出していたであろう過酷なスケジュールだ。だが、不思議と以前のように「ただ時給千二百円で人生を切り売りしている」という摩耗感はなかった。


 全ての行動に、自分の未来をひっくり返すための明確な意味があるからだ。


 もちろん、彼が現場で見せている異常なパワーは、彼自身の本来の力ではない。


 全ては、魔導書から教わった“身体能力強化”の魔法の賜物だった。


『いいか、猿。人間の肉体ってのは、リミッターだらけの欠陥品だ』


 重い資材を運びながら、健司は魔導書の説明を思い出す。


 人間の身体は、本来かなりの出力を出せる構造になっている。しかし、筋肉や腱、骨、内臓を自らの力で壊してしまわないよう、脳が普段は出力を制限しているのだ。


 いわゆる火事場の馬鹿力。脳が生命の危機を感知した時、一時的にそのリミッターを外し、普段ではありえないパワーを引き出す。


 身体能力強化は、それを魔法で意図的に起こす技術だった。


 自分の身体に「今は非常事態である」と錯覚させる。脳が肉体の安全装置を緩める。


 筋肉の出力が跳ね上がり、反応速度が増し、疲労感が鈍る。


 血液が熱を帯び、皮膚の下で眠っていた獣が目を覚ますような感覚。重かった資材が、急に発泡スチロールの箱のように軽く感じられる。


 厳密には重量が消えたわけではない。健司の身体が、それを軽々と持てる状態へと強制的に引き上げられているのだ。


 足が床を強く噛む。腰がぶれない。腕が沈まない。心拍が強く、速くなる。


 だが、この魔法は万能ではない。


 リミッターを外すということは、自らの肉体を壊す危険と常に隣り合わせだということだ。


『調子に乗って出力を全開にしてみろ。筋繊維はズタズタに裂け、腱は切れ、骨も折れる。最悪、心臓が爆発して死ぬぞ』


『だから、最初は三割だ。猿が全力を出すな。マジで死ぬからな』


 魔導書の警告を守り、健司は現場でも常に出力を低く抑えていた。


 階段を上り終え、資材を下ろすと、身体の奥に鈍い熱が残り、筋肉が微かに軋むのを感じる。


 ポケットの中でスマホが震えた。


『出力を上げすぎるな。今ので四割近いぞ』


『目立ちたいなら勝手にしろ。肉離れで現場を転げ回る無様な猿を見物してやる』


「分かってるよ……」


 健司は小さく舌打ちをして呟いた。


 魔法のオンとオフの切り替え、出力の調整。これもまた、巨大な因果を処理するための重要な訓練なのだ。


 昼休憩。


 健司は他の作業員たちと地べたに車座になり、コンビニ弁当をかき込んでいた。汗水流して働いた後のメシは、アパートで一人で食べるどんな食事よりも美味しく感じられた。


「あー、クソッ! また外れかよ!」


 輪の中で、ひときわ体格のいい五十代半ばの男が、汚れた手でスマートフォンを操作しながら大きな声で悪態をついた。


 武田さん。


 この現場のムードメーカー的な存在のベテラン作業員だ。豪快で人懐っこく、日焼けした顔に分厚い腕。口は荒いが、働き始めたばかりの健司にも何かと気さくに缶コーヒーを奢ってくれる、面倒見のいい親父だった。


「兄ちゃん、今日もすげえな。若いってのは羨ましいねえ」


 武田がニカッと笑いながら、健司の隣に腰を下ろす。


「いや、そんな……」


「謙遜すんなって。あんな重いもん、ひょいひょい運ぶ若いのなんて、そうそういねえよ。スーパーマンって呼ばれるのも納得だわ」


 武田はそう言って、健司に缶コーヒーを差し出した。


 礼を言って受け取りながら、健司は武田のスマホの画面をちらりと盗み見た。表示されているのは、週末の重賞レースの出馬表のようだ。


「武田さん、競馬やるんですか?」


 健司が尋ねると、武田の目がカッと見開かれた。


「おう、やるぞ! もう二十年以上だ。まあ、勝った記憶は少ねえけどな!」


 ガハハと豪快に笑う。


「兄ちゃん、普段何してんだ? フリーターか?」


「はい。コンビニの深夜バイトと、日雇いを少し」


「若いんだから何とかなるさ。身体動くうちは、食いっぱぐれねえよ。で、兄ちゃんも競馬やるのか?」


 健司は少し迷った。


 馬券はまだ一度も買っていない。だが、競馬場には通い詰めている。


「やるっていうか……最近、馬を見る練習をしてます」


「馬を見る練習?」


 武田が首を傾げる。


 健司は正直に「魔法で因果を見ている」などと言えるはずがないため、曖昧に言葉を濁した。


「なんとなく、パドックで馬を見てると、調子良さそうな馬が分かる気がするんです」


「へえ。若いのに渋いとこ見るな」


 武田は健司を馬鹿にするどころか、面白そうに目を細めた。


「でも、競馬なんてそんなもんだ。当たるとは限らねえから面白いんだよ」


 そこで武田は、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「じゃあ兄ちゃん、今度の日曜の重賞、パドック見て一頭選んでくれよ」


「えっ」


 健司は固まった。


「いや、俺まだ馬券買ったことないんで……外れたら責任持てませんよ」


「買わなくていいよ。見るだけでいい。俺が面白半分で参考にするからさ」


 ポケットの中でスマホが短く震えた。


『ほう』


 魔導書からのメッセージだ。この一言で、あの悪辣な本がこの展開に興味を持ったことが分かった。


 その日の仕事終わり。


 健司と武田が駅へ向かって歩いていると、武田が急に真剣な声のトーンになった。


「今度の日曜、東京競馬場でG2のメインがあるんだよ。俺、ちょっと勝負しようと思っててな」


「いくらくらい買うんですか?」


 健司が軽く尋ねると、武田はニヤリと笑って答えた。


「十万」


 健司はぴたりと足を止めた。


「十万!?」


「おう。まあ、たまにはデカく張りたい時もあるんだよ。ボーナス代わりに取っておいた金だ。負けたら笑うしかねえな」


「いや、それはやめた方が……」


 健司は本気で焦った。十万円。それは武田のような現場の作業員にとって、一ヶ月の汗と労働の結晶に近い金額だ。それを、自分の不確定な“勘”などに賭けさせるわけにはいかない。


 だが武田は、健司の焦りを冗談だと思って笑い飛ばした。


「そう言うなって。兄ちゃんのパドックを見る勘、試してみようぜ。新人のビギナーズラックってやつによ!」


 健司は完全に困惑していた。


 自分の能力は本物だ。だが、他人の十万円が絡む。外したら、武田の金が消える。


 それは、自分の千円札を賭けるのとは全く違う重さだった。


 その夜。


 アパートに帰った健司は、ベッドに寝転がりながら魔導書にメッセージを打ち込んだ。


「やばいことになった。武田さんが、俺の予想で十万円賭けるって言ってる」


 すぐに既読がつく。


『好都合だな』


「好都合じゃねえよ! 外したらあの人の十万円が消えるんだぞ!」


 健司が怒りをぶつけると、魔導書は冷静に、そしてどこまでも悪辣に説明を始めた。


『いいか、猿。今回、金を賭けるのはお前じゃない。あの親父だ』


『だから、世界の因果が最も強く抵抗するのは、“あの親父の十万円が増える/消える”という未来に対してだ。お前じゃない』


 健司ははっとした。


『もちろん、お前も「親父を勝たせたい」「自分の力を証明したい」という欲望の当事者ではある。だから、お前が完全な観測者だった時よりは難易度は上がる。世界の抵抗の余波を、お前も受けることになるからな』


『だが、お前自身が全財産を賭けて勝負するよりは、遥かにマシだ』


『分かるか? これは、他人の金を使って、安全に世界の抵抗というものを肌で感じる絶好の機会なんだよ』


 健司は絶句した。


 この魔導書は、武田の十万円を完全に“教材”として見ている。人の良い親父の生活や感情など、微塵も気にしていない。全ては健司を成長させるための駒なのだ。


「……最低だな、お前」


『最低で結構』


『だが、お前が自分の金で脳を焼いて死ぬよりは合理的だろ』


 健司は言い返せなかった。


 武田さんはいい人だ。缶コーヒーを奢ってくれた。現場で気にかけてくれた。そんな人の十万円を、自分の訓練に使う。


 罪悪感が胸を締め付ける。


 だが、同時に別の感情も湧き上がっていた。


 これはチャンスだ。


 自分が当てれば、武田さんも儲かる。そして自分も、当事者のノイズと世界の抵抗を、他人の金を通して間接的に体験できる。


 競馬場で自分の千円を握った時には踏み込めなかった壁に、今度こそ挑むことができるのだ。


『逃げるのか?』


 魔導書が追い打ちをかける。


『いつか自分の金で勝つつもりなら、この程度の抵抗から逃げてどうする。お前はずっと、観測者のまま柵の外に立っているつもりか?』


 健司はスマホを強く握りしめた。


 逃げない。


 ここで逃げたら、一生時給千二百円のままだ。


「……分かった。やる。ただし、当てる。絶対に」


『よろしい』


 魔導書は満足げなメッセージを送ってきた。


『日曜まであと三日だ』


『肉体訓練も、精神統一も、怠るな。当日は必ず的中させろ』


『そして、あの人の良い親父の度肝を抜いてやれ。猿ッ!』


 健司の中にあった罪悪感と恐怖は、確かな闘志へと変わっていた。


 それからの三日間。


 朝は軽いランニングで心肺を鍛え、日中は現場で身体強化を微細にコントロールしながら働き、夜は過去のレース映像を見て因果を観測するイメージ訓練を繰り返した。


 武田の十万円というプレッシャーを想像しても、呼吸を乱さず、自分の欲望と他人の期待を切り分ける練習。


 勝負の前夜。


 健司はトレーニングウェアに着替え、スマホを部屋に置いたまま、夜の公園へと走り出した。


 身体強化は使いすぎない。自分の足でアスファルトを蹴り、呼吸を整え、身体の奥にある魔法のスイッチを静かに意識する。


 頭の中に浮かぶのは、日曜日の競馬場。


 武田さんの十万円。立ちはだかる世界の抵抗。因果の壁。


 そして、勝利の未来。


 これはただの人助けではない。ただのギャンブルでもない。自分が次の段階へ進むための試練だ。


 だが、武田さんを犠牲にするつもりは毛頭ない。


 当てる。


 絶対に当てる。


 日曜日。


 その日が、自分の人生の大きな転換点になる。


 そんな強烈な予感を胸に、健司は夜風を切り裂いて走り続けた。


 全ては、あの人の良い親父を、そして世界の因果そのものを出し抜くために。


最後までお付き合いいただき感謝します。


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