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俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】  作者: パラレル・ゲーマー


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第4話 猿と因果と観測者

 初めてゼッケン7番の因果を読み当てたあの日から、健司は東京開催のある週末には、可能な限り東京競馬場へ通うようになっていた。


 深夜バイトのシフトをやりくりし、削ってはいけない睡眠を削り、財布の中のなけなしの千円札を交通費と入場料に変えて。


 彼は今、パドックの柵の最前列に立ち、目の前を周回する馬たちを見つめている。


 右手には、スマートフォンのメモアプリが開かれていた。


【第5R・芝1600m・晴・良】

【観測:11番】

【前兆:視界の右下に光、微細な耳鳴り】

【頭痛:レベル3】

【結果:?】


 元SEという職業柄か、健司はただの感覚任せにせず、自分の状態と観測結果を徹底的に記録していた。


 観測は、決して完璧ではない。


 一着をはっきりと、太く輝く一本の糸として感じ取れる時もあれば、三頭ほどが複雑に絡み合い、ごちゃごちゃになって見える時もある。一着ではなく、二着や三着に滑り込む馬の強い気配を誤って拾ってしまうこともあった。


 何より、寝不足で頭痛がひどい時は、因果の糸そのものが濁った泥水のように見え、全く使い物にならなかった。


 それでも、ただの偶然では到底説明がつかないレベルで、健司の観測精度は上がり続けていた。


 新聞の印や一番人気の危うさを直感的に見抜く。誰も見向きもしない大穴の馬の、静かだが力強い因果の糸を感じ取る。


 もし馬券を買っていれば、今頃彼の財布は札束で膨れ上がっていたはずのレースが、いくつもあった。


「……これ、買ってたら三十万になってたんだよな」


 ターフビジョンに表示された万馬券の配当を見上げ、健司は悔しそうに呟いた。


 ポケットの中でスマホが震える。


『買ってたら外れてたかもしれんぞ、猿』


 魔導書からの、容赦のないLINEだった。


 健司は舌打ちをした。


 馬券はまだ買っていない。魔導書に固く禁じられているからだ。


 だが、彼の忍耐は限界に近づきつつあった。


 パドックに、次のレースに出走する馬たちが現れる。


 健司は目を閉じ、思考を消し、流れに意識を委ねる。


 すぐに見えた。


 今日は調子がいい。11番。黒鹿毛の馬から、他とは比べ物にならないほど太く、明確な因果の糸が未来へと伸びている。


 目を開けてターフビジョンのオッズを確認する。11番は単勝で五十倍近い大穴だった。


 もしこれに千円賭ければ、五万円になる。


 健司の中で、黒い欲望が大きく膨らみ上がった。


 交通費も馬鹿にならない。コンビニのバイト代などたかが知れている。奨学金の引き落とし日は容赦なく近づいてくる。


 目の前に、確実に拾える五万円が落ちている。


 いや、五万円どころじゃない。十万、二十万と増やすことだってできるはずだ。


 健司は震える指で、魔導書にメッセージを送った。


「なあ、少額ならいいだろ。千円だけ。いや、五百円でもいい。試しに買ってみたい」


 すぐに既読がつく。


『馬鹿』


 いつも通りの、冷たい一言だった。


 健司はパドックの喧騒の中で、画面に向かって食ってかかった。


「毎回それじゃねえか! 俺の観測精度は上がってる。現に何回も当ててるだろ! だったら、そろそろ買ってもいいはずだ!」


『お前はまだ、“見ているだけ”だ』


 魔導書の文字が、諭すように並ぶ。


『馬券を買った瞬間、お前はただの観測者ではなくなる』


「観測者じゃなくなるって、どういう意味だよ」


『馬券を買わずに勝ち馬を読む時、お前は結果の外側にいる。レースは馬、騎手、馬場、天候、観客、無数の偶然によって決まるが、お前はそれを外から見ているだけだ。だから、因果の流れを比較的クリアに読める』


『だが、馬券を買うとどうなる?』


 健司は画面を見つめた。


『お前の金が、レースの結果と直接結びつく。勝てば財布が膨らむ。負ければ金が減る。その金で何を食うか、何を返すか、どんな生活を送るか。お前の未来が、レースの結果に物理的に接続される』


『つまり、馬券を買った瞬間、お前自身の欲望と生活という巨大なノイズが、レースの因果の中に混ざり込むんだ』


 魔導書の言葉は、残酷なほど論理的だった。


『見るだけの猿と、金を突っ込んだ猿は別物だ。川岸から流れを見ているうちは、どこに渦があるか冷静に分かる。だが、自分で川に飛び込めば、自分の身体が流れを乱す。流れを読むどころか、溺れるだけだ』


『お前の“当てたい”“金が欲しい”という欲望がノイズになる。勝った後の金の使い道まで、因果の糸に複雑に絡みつく。今のお前はまだ、そのノイズを処理できるほど鍛えられていない』


 健司は奥歯を噛み締めた。


 理屈は分かる。だが、感情が納得しない。目の前にある金に手を伸ばせない歯痒さが、彼を苛立たせた。


『理解できんか? なら、実験してみろ』


「実験?」


『実際に買うなよ。だが、“買うつもり”で観測してみろ』


『財布から千円札を出して、これをさっきの11番に賭ける、と本気で想像するんだ』


 健司は言われた通り、財布から千円札を一枚取り出した。


 手の中の紙幣は軽い。だが、時給千二百円で働く今の健司にとって、千円は重い。昼飯なら二日分、交通費にもなる貴重な金だ。


 これを、11番に賭ける。


 勝てば五万だ。負ければ、明日の昼飯が消える。


 健司は千円札を握りしめ、パドックの11番を睨みつけた。


 当ててやる。


 絶対に当てる。


 その瞬間だった。


 さっきまで、あんなにもはっきりと見えていた11番の太い糸が、ぐにゃりと歪んだ。


 まるでテレビのノイズのように視界が明滅し、他の馬の因果の糸が急激に太く見え始める。一番人気の馬が急に勝つように思えてくる。11番が落馬するビジョンが頭をよぎる。


「当たれば五万」「外したらどうする」。オッズの数字と自分の生活の不安が、泥水のように因果の流れに混ざり込み、視界を完全に濁らせていく。


 脳の奥が、バチッと音を立ててショートしたような激しい痛みに襲われた。


「っ……あ……!」


 健司は千円札を取り落としそうになり、慌てて目を開けた。


 見えない。


 さっきまであんなにクリアだった未来が、今は完全に暗闇の中だった。


『それが、当事者のノイズだ』


 魔導書のメッセージが、冷たく宣告する。


 健司は荒い息を吐きながら、手の中の千円札を財布に戻した。


 馬券を買う前と後では、世界の見え方が根本的に変わる。自分が因果の外にいるか、中に入るかで、難易度が全く違う。


 彼は自分の未熟さを、身をもって思い知らされた。


「……じゃあ、いつになったら買えるんだよ」


 悔しさを滲ませて打ち込むと、魔導書は答えた。


『観測者のまま、当事者になれるようになったらだ』


『金を賭けても、欲望に飲まれない。損得を感じても、因果の流れを見失わない。自分の未来が絡んでも、その絡まりごと処理できる計算力。それができるようになれば、馬券を買っても読める』


 今の健司には、到底無理な話だった。


「どうすればいいんだよ……」


『鍛えればいい』


『脳を鍛え、身体を鍛え、欲望に振り回されないだけの“器”を作れ』


「身体?」


 健司は首を傾げた。


 魔法なのだから、必要なのは精神力や集中力、あるいは知識ではないのか。


『脳は身体の一部だぞ、猿』


 魔導書は鼻で笑うようなトーンで文字を紡いだ。


『脳の処理能力は、睡眠、栄養、血流、呼吸、筋力、体力、全ての影響を受ける。身体が貧弱で、睡眠も食事も乱れている人間が、巨大な因果を処理しようとしてもすぐ焼き切れる』


『今のお前はどうだ。深夜バイトで生活リズムが狂い、体力は底辺、食事もコンビニ弁当ばかり。魔法使いのコンディションとしては最悪の部類だ』


『お前に必要なのは、まず基礎体力だ。そして、身体強化の初歩。世界の因果を見る目と、それに耐える肉体。両方鍛えろ』


「筋トレしろってことか?」


『筋トレもだ。走れ。食え。寝ろ』


『それから、金がないなら身体を使って稼げ』


 健司の背筋に、嫌な予感が走った。


「身体を使って……?」


『日雇いの肉体労働だ』


「いやいやいや!」


 健司は思わず声に出してスマホに突っ込んだ。


 深夜コンビニのバイトだけでもきついのに、これ以上肉体労働なんてやったら過労死してしまう。


「日雇いなんて絶対無理だ! 体力ないし、現場仕事なんてやったことないぞ!」


『嫌なら脳を破裂させるか、時給千二百円のまま一生レジを打ってろ』


 健司は言葉に詰まった。


 魔導書の言うことは、腹が立つほど正しい。


 競馬場に通うには金がいる。基礎体力をつける必要もある。身体を使う仕事なら、金と訓練を兼ねることができる。単純作業の中で、身体強化の魔法の初歩を試すこともできるだろう。


『一石三鳥だ。金が入る。身体が鍛えられる。身体強化の練習にもなる。猿にしては悪くない修行環境だろう?』


 健司は渋々、スマホで日雇い求人のアプリを開いた。


『建設現場補助』『資材運び』『未経験可』『日給一万二千円』。


 並ぶ文字を見ているだけで、全身の筋肉が悲鳴を上げそうだった。


「絶対きついやつじゃんこれ……」


『きついから訓練になるんだよ』


 健司がため息をつきながら求人画面をスクロールしていると、ふと一つの疑問が浮かんだ。


「でもさ……俺がもっと上手くなって、競馬で稼ぎ放題になったらどうなるんだ? 毎週万馬券を当て続けたら、日雇いなんてしなくてもすぐ金持ちじゃないか?」


 魔導書の返信は、少し間を置いてから表示された。


『やめておけ』


『目立つ』


「目立つ?」


『この世界には、お前以外にも魔法に触れた者がいる。数は多くないが、ゼロじゃない。そして、そういう異常者を監視・管理しようとする組織も存在する』


『国家直属か、裏の組織か、形は色々あるが……少なくとも、普通の人間社会は、異常な幸運を何度も見逃すほど間抜けじゃない』


 健司は画面を見つめたまま、生唾を飲み込んだ。


『競馬で毎週大穴を当てる。宝くじを何度も当てる。株でありえない勝率を出し続ける。そういう人間は、必ず目立つ』


『目立つ猿は捕まる。ある日突然、黒服に囲まれて、どこかの窓のない白い部屋で一生質問されるかもしれんな』


「じょ、冗談だろ……?」


『半分はな』


「半分かよ!」


 背筋が冷たくなった。


 魔法で大勝ちし続ければいい。そんな安易な発想は、完全に打ち砕かれた。この力は、隠しながら、しかし確実に使っていかなければならない。


 最終レースの時間が近づいていた。


 健司は再びパドックに立ち、因果を感じ取った。


 かなり強い。人気薄の馬だ。馬券を買えば、数万円にはなる。


 財布の中には、まだ数千円残っている。


 買いたい。


 今すぐ買いたい。


 健司は券売機の列に並んだ。


 周囲の客が次々と馬券を買い、一喜一憂している。健司も千円札を取り出し、機械に入れようとした。


 だが、その瞬間。


 再び、因果の糸がぐにゃりと濁った。欲望と不安が入り混じり、頭痛がガンガンとこめかみを叩く。


 健司は、機械に伸ばしかけた手を止め、歯を食いしばって千円札を財布に戻した。


 列を離れ、競馬場を後にする。


「……今日は、買わない」


 悔しさを押し殺して呟いた。


『ほう』


 魔導書からのメッセージ。


「買わないんじゃない。まだ買えないだけだ。でも、いつか買う。その時は、絶対に当てる」


『よろしい』


『ようやく猿が、罠の前で立ち止まることを覚えたな』


 帰りの京王線の中。


 結果をスマホで確認すると、健司が最後に観測した人気薄の馬が、見事に一着でゴールしていた。


 買っていれば勝てた。


 悔しさが胸を焼く。


 だが、健司は分かっていた。今日買っていたら、あのノイズのせいで全く違う馬を買っていただろう。勝てた未来と、今の自分が実際に勝てるかは別なのだ。


 健司は日雇い求人アプリを開く。


 幸い、翌日の夜勤は休みだった。


 身体を休めるべきだという魔導書の言葉は頭に残っていたが、それ以上に、今は動かなければ何も変わらないという焦りが勝っていた。


 明日の朝集合の『建設現場の資材運び』の応募ボタンを押す。


『いい判断だ、猿』


『明日は身体強化の初歩を叩き込んでやる。せいぜい、現場で潰れないように祈るんだな』


 健司はスマホの画面を睨みつけた。


「祈るだけじゃなくて、勝つためにやるんだよ」


 金はまだ一円も手に入っていない。


 だが、健司は初めて理解した。


 人生をひっくり返すには、ただ幸運を掴むだけでは足りない。その幸運を、因果という巨大な濁流を、正面から受け止めるだけの強靭な“器”を、自分自身の中に作らなければならないのだ。


最後までお付き合いいただき感謝します。


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