49 小谷城
深夜3時、吉又城はういろう作りで大騒ぎである。
何しろ正午までに、小谷城にういろう30人分届けねばならない。
それも、この前持って行った3色の物と同じ物という依頼だ。
遅くともあと1〜2時間のうちに出発しなければ間に合わない。
しかし、ここへ来て小豆が無くなってしまった。
まだ店はやってないし、仕方なしに、たまたま頂き物で手元にあった干し葡萄を少し混ぜて、体裁を整えることにした。
ちょっと風味が変わるかも知れないが、背に腹は代えられない。
一人前を3色それぞれ2切れずつと計算しても、一人200g×30でおよそ6kg。
重さとしては大したことは無いが、それぞれ個別に包装するのでけっこう嵩張る上、なにより一番重いのが保冷用の氷である。小谷まで持たそうと思えば10kgの塊が必要だろう。
さらに、ういろうだけ持って行っても駄目で、そこに我々の携行食や、初対面の挨拶用にちょっとした手土産も要る。
やっぱり運ぶだけでも最低でも3騎、必要だ。
護衛も連れて行くとなれば、中々の大所帯である。
思えば、初めてじゃ無かろうか?
名のある御大名に直々に呼びつけられるのは。
浅井の殿様が俺のことについて、どれだけの認識があるのかは分からないが、ただのういろううりでは無いことを、理解してもらわないとな。
どうにかこうにかういろうを作り終え、きちんと包装もして、手土産の高級清酒と共に背負子に括り付け、準備を終えた。
後は自分達の携行食だが、これがなかなか作っている暇が無く、塩をまぶしたおにぎりと梅干しだけとなってしまったのが、なんとも痛いところだ。
それでも、前田利家などは「ご馳走じゃないか」と喜んでいた。
普段何を食っているんだ?
せめて板海苔があればな、ずいぶん違うんだが。
新九郎を先頭に護衛3人を挟み、俺、その後にまた護衛4人、殿を前田利家という布陣で、朝の5時少し前ぐらいに出発した。
本来なら、馬車のお披露目と行きたいところだが、まだ耐用試験も出来ない状態では致し方ない。
まだ夜も明け切らぬうちの道中だが、今のところ順調である。
戦装束でも無いし、このあたりの城主たちとも、何の因果か懇意になってしまったので、特に咎め立てされることも無く、朝日を背に受け関ヶ原を超えることが出来た。
須川城に差しかかったところで、遠藤直経が出迎えに来ていた。
「朝早くから申し訳ござらん」
「いえいえ。浅井様のたってのご希望とあらばこのくらい」
「かたじけない。何事も無いと思うが、念のため、荷物を改めさせてもらうぞ」
「どうぞ」
「ではご無礼いたす」と言って、遠藤さんはこちらの行李の中身と、手土産品の確認をしている。
「それにしても、大変な荷物ですな」
「ほとんど、氷ですけどね」
「さよう!この行李がことのほか皆に好評でな、小谷でも使うべきだという意見が多いのだが、何処で手に入れたのじゃ?」
「これは、今ウチの領地で開発を手伝ってくれてる、岡部又右衛門という宮大工が考案したものです」
「ほう、わざわざこのために作ったのか?」
「いえいえ、もともとは魚貝類とか野菜とか、生ものを市場から運んでくるために作ったものですので、売ってはいません」
「そうであったか」
「ただ、そう言うことであれば、お譲りしてもかまいませんよ」
「いや、ただはいかん。金を払うから作ってくれんか」
「あぁ、わかりました。では格安にて販売させていただきますので、数をお知らせくだされば、岡部さんに発注しておきます」
「それは有り難い。さしあたり20個ほどお願いできるかな」
「20個ですね。ありがとうございます。納品の時間など追ってお知らせいたしますので」
「うむ、よろしく頼む」
思わぬ所で、商談成立である。
ウチでも10個しか頼まなかったのに、いきなり20個とはね。
まあこれで、ますます浅井に食い込む口実が出来たわけだが。
手荷物検査を終えた遠藤さんは「この酒も、旨そうですなぁ」とこぼしながら問題なしと認めてくれた。
そして「拙者が小谷まで案内いたすので、ついて参られよ」と言って、馬にまたがり先頭に立つと、付いてくるように促した。
そういえば、遠藤さんにも手土産を持ってくるべきだったな。
戻ったら酒を送ってやるか。
小谷城は、日本の5大山城の一つに数えられる、非常に堅固なことで知られる名城である。
浅井長政の祖父、浅井亮政が築城したとされるが、正確な築城年は不明だ。
小谷山の尾根伝いに、南北に長細く城郭が連なるように建てられている。
これは、城主が代を重ねるうちに、増築改築を繰り返してきたためだろう。
元々は小谷山の山頂にある大嶽城が小谷城の主城だったと言われている。
いずれにしても、山の上に城があるので、山登りが大変である。
城下町は、清水谷と呼ばれる谷の先にわずかな平地があり、そこに配下の屋敷などが建てられている。
遠藤さんの屋敷も、ここにある。
我々は、その遠藤さんの屋敷の手前で右手に折れ、小谷城への登山道へと向かう。
近江を制するもの日の本を制すと言われるほど、この地は京と美濃より東の各地を結ぶ交通の要衝でもある。
そういう意味では、浅井とは友好的な関係を築きたいものである。
クネクネとつづら折りのように続く登山道を登ること、およそ30分。
最初の城郭施設、御茶屋敷の前に到着した。
尾張から、途中休みを入れたとは言え、ずっと走りっぱなしである。
馬も、だいぶ息が上がってヨダレを垂らしながら登っている。
ただし、ヨッシーだけは平然とした顔で淡々と歩き続けている。
丈夫な馬だなぁ。
御茶屋敷は休憩所みたいな名前になっているが、一種の出丸のような物で、ちゃんとした土塁や柵に加え、その名の通り屋敷が建てられているので、戦時には兵の宿泊所にもなるのだろう。
我々はその御茶屋敷のさらに上、御馬屋敷という所で馬を下りた。
まさしく馬の屋敷とでも言うべき大きな厩が作られており、馬洗池と言う専用の池も用意されていた。
乗ってきた馬を預け、ここからは徒歩でさらに上の、大広間と呼ばれる建物に向かう。
そこから10分ぐらいダラダラと坂を登ると、左側に高い土塁が見えてきた。
右側には浅井家の重臣、赤尾清綱の屋敷がある。
その土塁と屋敷に挟まれた坂道をさらに登ると、さらに高くそびえる石垣で囲まれた本丸が現れる。
大広間に行くには、ここからスイッチバックして、また坂を登る。
大広間は本丸よりもはるかに大きな曲輪で、いろんな会合やら催し物に使うのだろうか、かなり大きな建物である。
我々は、よりによってそのいちばん奥の建物、つまり食事などの準備をする建物に通された。
そこでようやく、荷物を下ろすことが出来た。
なんだかんだで馬を下りてから30分ぐらい歩かされたことになる。
我々は全員30歳より下だが、それでも何人かは荷物を下ろすと安堵のため息をついていた。
これは40〜50の年寄りには、かなりきついんじゃないだろうか?
リアルの俺だったら多分、赤尾屋敷の前で野垂れ死にしてるな。
俺たちは屋敷に居た台所番の武将にういろうを渡すと、酒樽を持って大広間の真ん中の建物まで連れて行かれた。
ここに来て、遠藤さんからようやく今日の催しの趣旨を伝えられた。
それによると、先日俺が持ち込んだ“ういろう”にいたく感動した御当主長政様が、各地の名物の菓子を食べ比べようという企画を立ち上げたという。
今日は初回ではあるが、けっこう有名どころが集まったようである。
京都のみたらし団子、饅頭。
大阪の粟おこし、くるみ餅。
伊勢のなが餅。
能登の豆飴。
長崎が発祥だが京都で作られた落雁。
美濃の栗金餅。
越前のつるし柿。
越後の笹団子。
近江の糸切り餅、等々
一見したところ、大半が餅、団子系である。
ういろうも米粉を使っているので、大きな枠組みで言えば餅の範疇に入るのかも知れないが、味わいとしては全く別物である。
というわけで、俺的にはライバル何するものぞ、な感じである。
それにしても、浅井長政がこういう企画を立てるとはね。
この手のイベントは信長さんとか、秀吉が得意な分野だと思ってたけどな。
そして、これが一番重要だが、誰が参加しているのかである。
30人分、作ってきたわけだが、全部家臣達だけで食べ比べをするわけではあるまい。
そこに、必ず文化人やらお公家さんやらが加わってくるはずである。
我々としては、そっちと繋がりが出来れば、非常に有り難いかぎりである。
さて、分からないのは、審査の方法である。
選考委員的な人が、それぞれ食べて判断するのか、あるいは全員一律に順番に出された物を食べて判断するのか。
まあ、別に一番になることが、目的では無かったし、そもそもそんな趣向だとは知らなかった訳だが、どうせなら優勝したいものである。
その辺の所を遠藤さんに聞いてみたかったのだが、「支度がある故」と言ってどこかへ行ってしまった。
それにしても、仮にお公家さんの前で口上を述べなくてはならないとすると、この出で立ちではちと問題である。
旅姿の服装のままではやはり、印象は良くないだろう。
せめて寧々さまの小袖を……って、あっそうか。
全部持って来てた、って言うか四六時中持ち歩いていたんだ。
アイテムボックスのことをすっかり忘れていた。
ここにそう言えば、いっぱいあったな。
「寧々さまの小袖」「お濃様の小袖」「吉乃様の十二単」。
さすがに十二単は要らないだろう。
寧々さまのではちょっと格が足らない感じ。
ま、ここはちょっと高そうな「お濃様の小袖」だな。
色も綺麗だし。
そうだ、もしかして、ういろうもここに入れておけば腐らない?
※それはシステム上出来ないことになっています。
それをやられたら、いろいろ掟破りなことが出来てしまうので。
生ものを入れるのは禁止です。
あらまあ、残念。
とりあえず、着替えを済ませると、と言っても一瞬で終わるのだが、前田利家がお濃様の小袖に着替えた姿を見て「おおっ!」と小さく歓声を上げた。
「失礼ながら、見違えましたぞ。良くお似合いです」
「馬子にも衣装ってね」
「そういうことなら、俺も着替えてくるかな」
「ん?前田さん、着替えなんか持ってた?」
サッとどこかに消えると、すぐに派手な歌舞伎者の衣裳で再び現れた。
えぇ?NPCもアイテムボックス持っているわけ?
※厳密に言えばアイテムボックスでは無く、システム上にある訳ですが、まあ難しく考えないようにしてください。
いや、でもこれって、あれだけ生ものの扱いに苦労していたのに、今さら実は腐りませんとか言われているようなものよ?
※ん、ま、まあそうですね。
あれ?もしかして、そうなの?
※いえ、賞味期限は設定してありますから、気をつけてください。
本当かなぁ。
今度ためし……
※頼むから試さないでください!
お願いします!
なんだよ。
バカに強硬に否定するなあ。
返って怪しまれるよ、そういうの。
※怪しまないでください。
はいはい。
そう返事しながらも、心の奥底では密かに企んでいるのであった。
※企まないでください!
ちっ!
全部筒抜けかよ。
そんなことを考えている時に、大広間の渡り廊下の手前に参加者全員集まるようにとのお達しがあった。
我々以外にも、各地から売り込みに来ている商人などがたくさん来ているのだろう、総勢20人ぐらいの商人らしき人たちがぞろぞろと一塊に集まっていた。
その中に以前天ぷら店の話をした今井宗久の顔があったので、思わず声をかけてしまった。
「今井さん!大谷です。どうも先日は」
「あいや!大谷殿。何でこないなとこおりまんのや」
「いやぁ、急ぎで届けろって注文を受けたもんで、慌てて届けたらこんなことになって、訳も分からずですよ」
「ほんまでっか?わしらもですわ。ここへ来て始めて食べ比べ言う話きかされましてなぁ」
「へぇ、で、今井さんは何を持って来たんです?」
「堺の名物言うたら“くるみ餅”ですがな」
「ふうん…ごめんなさい、食べたこと無いです」
「まあ、今度堺にお招きしますよって、そらもう死ぬほど食うてもらいますわ」
「ぜひ、よろしくお願いします」
「そういう大谷はんは、何持って来はったんです?」
「ういろう、と言っても分からないな。まあ、餅の一種ですけど、口で言うのは難しいです。食べてもらわないと」
「わかりました。今度また寄らしてもらいますわ、ほな失礼」
どうやら、係の人に呼ばれたらしく、慌てて駆けて行った。
今井さんは確か茶の湯の世界では、それなりに有名人だったはず。
居るとしたら審査する方だと思ったけどな。
そうこうするうちに、我々にも係の人が声をかけてきた、と思ったら宮部継潤だった。
「お久しゅうござる大谷殿」
「これはこれは宮部様。いつぞやはお世話になりました」
「この度は、突然の呼び出しに応じてくださり、誠にありがとうございます」
「いえいえ、こちらも顔を売る良い機会と捉えておりますので、こちらこそです」
「それは、前向きなお考え、ご立派と思います。我々も少し気が楽になりました」
「そんな、気になさることでも無いんじゃないですか?」
「いやいや、何しろ突然のことですのに、これだけの方々が応じていただいて、大変恐縮しておる次第で」
「まあ、いきなりの大量発注ですからね。でも商売人なら応じるんじゃないですか?」
「その通りですけど、騙しているようで申し訳なくて」
「まあそうですね。ただ、ここで認められれば、それなりに名を売る好機となるのでは?」
「そうだとよろしいのですが…」
「おや?何かあるんですか?」
「いや、何でもありません。すみません。では此度の食べ比べの手順を説明いたします」
「あ、はいはい」
「まず、場内には20名の味見人をお呼びしました。これらの方々は公家衆の方や、将軍家の台所番の方、茶の湯の大家の方、堺の町衆、歌人、僧侶などで、皆、菓子について一家言ある方ばかりとなっております」
「ほほう。良く集まりましたね」
「そこは、日頃から将軍家と深い繋がりのある朝倉様からのご紹介でしたから」
「朝倉様ねぇ」
「ええ、その方々に順番にお持ちいただいた菓子を食べていただきます」
「ああ、そういう方式ですね」
「はい、その際、お持ちいただいた方々のお名前とご所属などを、こちらから紹介させていただきまして、その後原材料や作る手順などをご説明いただきます」
「はい」
「そして、今回13品を出品頂きましたが、それぞれの評価を、無記名でしていただき、それをこちらで纏めて1等を決めたいと思います」
「なるほど」
ふぅむ。
一見公正なように見えるが、どうも臭いな。
ジャッジをする人間を朝倉家が呼んできたというのも怪しい。
そもそも朝倉家のある越前が“つるし柿”ってお菓子じゃねぇし。
そして、評価の集計は結局密室で行われるので、正当な評価が行われたのか、あるいは集計が公正に行われたかは分からないのだ。
仮に正当に行われたとしても、この手の食べ比べものでは、一番最後に食べた物が一番有利なのである。
その順番はまだ発表になってないが、いくらでも操作出来る状態だ。
何か裏があるなら、必ずそうし向けてくるだろう。
そこは要注目である。
しかし、驚いたことに一番最後は俺たちだった。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
まだしばらく食い物が続きそうです。
評価、ブックマーク、ありがとうございます。
話しも長くなってきて、そろそろ前に書いたことを忘れていたり、設定を間違って書いていたりしそうです。
もし、何かお気づきの点がありましたら、遠慮なくご指摘ください。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




