14 ベトナムの商人
気がつけばあっという間に8月も下旬になっていた。
北海道の夏は短い。
既にチラホラと秋の風情が漂いはじめている。
結局のところ有望な鉱山も、鉄鉱石も見つけられなかった訳だが、せめてひと冬過ごせるだけの石炭だけでも確保しようと、夕張の付近まで現地調査に赴いた。
もちろん付近のコタンに声を掛け、案内人と村長とでユーパロ川を遡上し、石炭の表出している地層を探して回った。
2時間ほどで、かなり大きな地層を見つけることが出来たのだが、問題は採掘と運び出しだ。
輸送の手間を考え、苫小牧から馬車で夕張地区まで来たのだが、もちろん道など整備されているはずもなく、馬車での輸送は早々に諦めざるを得なくなった。
何より先に、港と道路網の整備を優先すべきだったな。
とりあえず今回は、川で遡上できるところまで行き、そこに歩いて運んでこれる範囲に限られるだろう。
事前に荷運び用の小舟を作っておいて良かったな。
本来は港湾での小規模な輸送や、大型船からの乗員の乗り降りに使うつもりだった。
帆走は出来ず、艪1本で操作出来るようにしてあるが、アイヌ流に手で帆を立てて進むことも可能ではある。
とりあえず今回は、この小舟に載せられるだけ載せて帰ることにした。
小舟と言ってもアイヌのカヌーのような船よりは大きく、瀬戸内海で使われる小早と同じくらいの大きさで、人も15人くらい乗せられる。
石炭も400kgぐらいなら難無く運べる。
しかし400kgでは到底ひと冬は過ごせない。
少なくとも2トンは欲しいので、この船で5往復はすることになりそうだ。
そんな感じで、苫小牧と夕張の間を行ったり来たりしていると、それがタンタカの目についたようで、何をやっているか見せろと言って、こっちの行動を監視するように付いてまわるようになった。
まあ別に、見られても困るようなことはしていないので、それは構わないのだが、何かする度にあれはなんだとか、これは何をしているとか質問攻めにあうので正直鬱陶しい。
中でも興味を持ったのが、石炭を運び出す時に使っている一輪式の手押し車、いわゆるネコと呼ばれる工事現場でよく見るあれだ。
ネコと呼ばれるようになった由来は、ネコのように機敏に動けるとか、逆さに伏した姿がネコに似ているとか、諸説あるが、江戸時代に使われた猫車と呼ばれる木製の一輪の台車が起源だとする説が有力だ。
その、江戸時代の物よりは、現代で使われている形に近いものを、尾張にいた時から作って使用していたのだ。
なので、中部地方ではかなり一般的になっていたと思うが、まあ、土木工事をしないアイヌの人達には伝わってなくても当然だろう。
しかし、タンタカはなぜ興味を持ったかというと、冬に使うソリで似たような物を使っていたからだ。
つまり、車輪の代わりにソリが付いているわけだな。
アイヌの人達も、ソリを車輪に置き換える知恵は思い付かなかったようだ。
こういう便利な物はドンドン使っていきたいと彼も思っているようで、そこまで自然絶対主義というわけでも無さそうだ。
こんな単純な仕組みでも、1人で100kgぐらいの物を運ぶことが出来るから、土木作業以外の分野でも、結構重宝している。
地面に置いた時はちょっと安定が悪いので、いきなり重いものを乗せたり、重い物を乗せたまま長時間放置するのは危険だが、安定した足場のあるところなら、それもある程度許される。
非常に使い勝手が良い道具なのだ。
だったらアイヌでも使ってみては?と提案したのが、ソリと車輪を取り替えられる、夏冬兼用のネコ車だ。
アイヌでは車輪という物の有用性をあまり重視してなかったようで、それは道が整備されてないせいもあるのだが、1輪車であればそこはあまり問題とならないことが、彼らにとっては目から鱗だったようだ。
これは瞬く間にアイヌで普及し、木の実の採取から、捕れた魚の水揚げを運ぶ時でも、水を入れたまま運べるので非常に便利だった。
彼らも手先が器用なので、同様なものはすぐ模倣して作られ、気がつけば北海道中のコタンに広まっていった。
道路が整備されていないため、馬車のような高速で大量の荷物を運ぶような用途が存在しないということで、道路が整備されるまでは、基本的には人間一人、ないしは二人で扱う交通手段や輸送法が、アイヌで普及する条件になりそうだ。
それは駕籠であったり、牛車のような物になるのかも知れない。
そういう意味では、港湾作業用の小型船も、ちょうど使い勝手の良い船になりそうだ。
そんな感じで細かいインフラを徐々に普及させていけば、彼らの暮らしは次第に豊かになっていく。
そこに通貨を持ち込むことで、物々交換からもう一歩進んだ経済環境を構築できるかも知れない。
通貨を理解するには、数の概念と文字の普及が必須となってくる。
どういう文字を使うのが良いかは彼らが選ぶことだが、俺は日本語お勧めしたいところだ。
いずれにしても文字が定着すれば、日本との文化の融合が起きて、いずれは日本と同等の文化水準を持ち得るかも知れないが、おそらく同化することはないだろう。
彼らなりのアイデンティティーを保ったまま、日本の文化も取り入れるという形になるんじゃないかな。
その流れで大規模な農耕もいずれは認められて、彼らの生活を支えるものになっていくだろう。
そうなった時のために、こちらはそれに応える準備を怠らないようにしないとな。
北海道の気候にあった作物、産物の開発は当初から模索しているところだが、もしかするとちょっとしたブレイクスルーが起きるかもしれない。
実は密かにだがジャガイモの入手を画策しているのだ。
フィリピンにいたガルシアから聞いた話では、南米原産の芋がフィリピンやインドネシアなどで栽培されているらしい。
すぐに育つし干魃にも強いため、すでに重要なカロリー源となっており、タロイモなどより大量に生産出来ることが普及を後押ししたようだ。
これをなんとか入手出来ないかと考えている。
船員たちがフィリピンに帰る時、誰か同行して現地で芋や苗などをもらって、帰ってくるだけで良いのだ。
麦の休耕時にジャガイモを植えることで、土壌が改質されて連作障害を起こすことなく、続けて麦を植えることが出来ると考えられるのだ。
トウモロコシと合わせて、3種の穀物を順番に作れれば、かなり豊かな食料を得ることが出来るだろう。
これに加え豊富な海産物、牛や馬の飼育なども活発に出来るようになれば、北海道が農業生産で逆に日本を牽引するような立場になれるかも知れない。
将来の日本の食料安全保障を考えれば、これは大きな変化になるだろう。
まずは、目指せ人口300万人だ。
特に根拠はないが、それくらいの勢力になれば、他国、特に日本などはもう、侵略しようとは思わないだろう。
人口に勝る強みは無い。
北海道にはその余力がまだまだあると思う。
余剰産物は他国に売って外貨を稼ぎ、それで新たに人を呼び込み、人口はさらに拡大していくだろう。
そうやって力が増してくれば、海外の国も無関心では居られまい。
それでも中には戦争を仕掛けてくる輩もいるだろう。
そうなった時に、俺の真価が試される。
かつてのように戦人として先頭に立つ事も出来るし、国内で強力な兵器を生産する事も出来る。
アイヌ侮り難しとなれば、日本も共生を本気で考えざるを得なくなるだろう。
そうなれば棄てられた民のような扱いは受けずに済むだろう。
そして、いずれは満州国と手を組み、明やロシアに対抗するのだ。
9月に入り、本格的に港湾の機能と道路整備を進めていたところ、予定より大幅に前倒しで堺からの連絡船が到着した。
1ヶ月前倒すほど何か大事があったのか?と思っていると、なんとその船には今井ジュニアと今井さんが親子で乗っていたのだ。
今井ジュニアはベトナムからの鉄鉱石のサンプルと、同時に買い付けた鉛などを持ち込み、本格的に製鉄事業を開始できるという報告と、ベトナムで知り合ったという現地の商人も連れて来ていた。
彼は堺だけでなく、北海道も貿易の相手となるなら、堺、函館、上海、澳門、そしてベトナムの海防を結び、大きな商売が出来ると非常に前向きだ。
今回早めに船が着いた理由が、どうやらその商人の事情もあるらしい。
今年中に大きな商いを纏めないと、いろいろと都合が悪いらしく、そのためには遅くとも10月までには話を纏めて帰国の途につく必要があるらしい。
まあ、ここからベトナムまで2ヶ月は掛からないけど、1ヶ月以上は掛かるだろうからな。
今井さんは、堺側での商売の元締めという立場なので、その商人に北海道での商いも勧めたようだ。
俺の様子も見たいということで、同行したらしいが、単純に大きな船で船旅をしたかっただけなんじゃないかと思う。
で、その商人は何の商売を狙っているかというと、鉄鉱石をはじめとする鉱物資源に加え、硝石と木材を品目に加えてきていた。
ベトナムでは、ヨーロッパの商船には胡椒や織物を売っているが、アジアの国には逆に南国のフルーツなどが主な輸出品だ。
そんな中で日本だけは資源である鉄鉱石と、木材を輸出している。
日本国内の木材が不足していることに加え、戦国時代ということで、船代を差し引いても国内で捌くより高く売れるらしいのだ。
さらに硝石も産出するので、確実に高く買ってくれる堺に持ち込もうとしているようだ。
産出量は少ないが、中国のものより質は良いようなので、高性能な火薬には欠かせないものになりつつある。
そして、日本からは鉄砲や連弩といった武器を買って、それを明や他の国に高く売ることで、さらに大きく儲けられると考えているようだ。
堺での商談が任務の中心だったのだけど、ついでに北海道も見てみようと言うことらしい。
ここで何らかの商売が成立するのかは、実際の状況を見て決めたいのだそうだが、残念ながら現在のところ輸出できそうなものは、魚貝類と昆布などの藻類ぐらいのものだ。
ベトナムに持ち込むには、干物にせざるを得ないし、正直魅力的な取引先とは言えないだろうな。
そこで俺としては、少しでも北海道の産物の付加価値を上げるべく、サケの料理レシピや、ホタテ、昆布の活用法などを添えて売り出すことを提案してみた。
その商人に、実際に昆布だしのスープとサケのバター焼きやカルパッチョなどを食べさせたところ、それはもう非常に喜んでくれて、これは世界のどこに持っていっても絶対に売れると太鼓判を押してくれた。
どうやらその商人は、産物そのものよりも俺の料理スキルに興味があるらしく、是非ベトナムで教えてほしいとまで言ってきたが、俺にそんな暇などあるはずがない。
なので、誰か習いたい人に来てもらって、そこで教えることなら出来るというと、それは必ず約束すると言って固い握手を交わし、交渉は成立した。
この契約によって堺に寄った後に、残った鉄鉱石を最低10トンは函館まで持って来てくれることになった。
それだけあれば、当面は十分足りるだろう。
それにしても、何でいつも料理がらみで話が進んでいくんだろうな。
まあ、それが人類共通の価値だからなんだろうけど、何か納得いかないよな。
突如として、ベトナムの食文化が急速に発展することになりそうだが、まあそれが日本発祥だというなら良しとしようか。
連絡船の到着が10月と予定していたため、アイヌとの会合は9月中に行うことになっていたのだが、タンタカからまだその案内は無い。
このままだと冬になってしまい、北側や東側のコタンはもう、身動きが取れなくなるだろう。
今やらないなら、もう来年にせざるを得ないのだが、こういう時間の観念が非常にのんびりしているところがアイヌらしいというか、日本人が厳しいというか、スケジュールが成立しないところが彼らの弱みだよな。
この辺が農耕民族と狩猟民族の違いかも知れない。
日本人はスケジュールを組む時、その結果をもたらす日、つまりXデーを設定して、そこから逆算していつまでにこれをやらねばならないとか、これを用意しなければならないとか、決めていくわけだが、アイヌはそういう考え方をしない。
今足りないから取りに行く、採れるうちに採れるだけ取っておく、それだけだ。
腹が減ってからご飯を炊くようなもので、腹が減る前に米を水に浸すようなことはしないのだ。
この相違はかなり大きくて、文化的に相容れない大きな壁の一つになると思われる。
現代日本でも、外国人労働者を雇う際にこういった問題に悩まされることが多い。
時間にルーズなブラジル人に、約束の時間5分前には到着するよう言っても通じないのと同じだ。
日本人は周囲とのコンセンサスを重視し、全員が同時に行動できるよう細心の注意を払う。
多分に個人主義、家族主義的な思想が強いアイヌは、やはり集団での行動は苦手である。
そういう意味でも、彼らを労働力などと考えてはいけないのだ。
なので、今回、北海道全体での会合はほぼ諦めかけていた。
だがしかし、光の速度よりも速く普及したネコ車によって、全体会合の意義が問い直されたと思われる。
その日本人とは話をする価値があると、ようやく分かってくれたようだ。
9月の29日に、タンタカがやって来て、5日後に札幌で全体会合をやるからと知らせてきたのだ。
そういうことならと言うことで、そこに居合わせていた今井さんと今井ジュニアも、堺の代表として出席することになった。
交渉相手に男性が加わって、何かが変わるとも思えないが、もしかすると警戒心を強めるかもな。
特に今井さんの悪人顔が、どう思われるか。
ちょっと心配ではあるが、彼らはあくまでゲストだからな。
大きな問題にはならないだろう。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
かつての鉄砲のように、一つの産物が両者の関係を大きく変えることもある。
はたしてネコ車が、アイヌとの架け橋になるのか?
引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。




