38.彼女の手紙
屋敷に戻り、夕食の後直ぐにクラリッサは手紙をしたためた。届けて貰うにはもう遅すぎるかもしれない。朝一で使用人にお願いしなくては、とクラリッサは書き上げた手紙を封筒に収め封蝋を施した。
少し冷めた所を指先で確認し、そっと胸に押し抱く。
ドキドキした。
手紙にはただ、『話したい事があるので時間を作って欲しい』とだけ。
色々迷い逡巡して、心の内については自分の口から伝える事にしたのだ。と言うか手紙にしたためて渡す勇気は結局、持てなかった。
自分の胸の内をマクシミリアンに打ち明けると宣言した瞬間から―――ずっと胸が早鐘を打っている。
どう伝えよう?何処から話そう……そう心の中で考えるだけで、クラリッサは頭がいっぱいになってしまい夕食の間も気がソゾロになってしまっていた。
トルデリーゼが彼女の様子に気が付いて、頻りに体調不良を心配していた。けれどもクラリッサはすっかり上の空で「大丈夫です」と繰り返す事しか出来なかった。
本日の夕食の席は父も兄二人も仕事で不在であった。このため広い食堂でクラリッサとトルデリーゼの二人だけが向かい合って大きな食卓を囲んでいる。尚三人いるクラリッサの兄の内、一番上の兄は既に伯爵位を授与されて妻と子供達と領地にある屋敷に居を移しているので、今ではこの食卓で顔を合わせる機会はほとんど無くなっている。
トルデリーゼの心配を余所にボンヤリとした視線、ふわふわとした頭でクラリッサは部屋に戻った。頭の中で考えている事を手紙に落とし始めると止まらくなってしまい、ちょっとした小説のような数枚に及ぶ大作が出来上がってしまった。我に返ってクラリッサは文章を推敲して―――結局は簡素な、会う約束を取り付けるだけの文章に落ち着いたのだった。
興奮でなかなか寝付け無かった為か、やはり朝も頭がボンヤリしてしまう。クラリッサはそんな自分を叱咤して、仕度を終えた。この週末、彼女はレオノーラに会うために実家へ帰省したのだ。今日は学院寮に戻ってそれから―――と、そこまで考えてクラリッサはふと思う。戻っても何も手に付く気がしなかった。
きっと自分は朝一で使用人に託した手紙の返事が気になって、勉強も自治会の仕事も碌に進める事ができなくなるかもしれない。そんな予感がした。ソワソワする気持ちを隠しつつ、クラリッサはいそいそと寮に戻る準備を進める。トルデリーゼが名残惜しそうにしていたが、気遣いもそこそこに屋敷を飛び出してしまった。
しかし学院寮に辿り着き―――いつもなら直ぐ返って来る返事が、今日に限ってなかなか来ない。自室をウロウロ歩き回っては椅子に座り、それからまた立ち上がって、窓の外を見て―――と落ち着かない独楽鼠のようにクルクル動き回っている自分に気が付いて、クラリッサは頭を振った。
「いけない……そうだわ。ここに籠っているから気になるのよ。いっそ、女学院の仕事に手を付けてしまいましょう」
そう言って立ち上がり、部屋を出て女学院にる自治会役員室へ出掛けようと談話室の横を通った時、見覚えのある少女を集団の中に見掛けた。
「そうなの……それは心配ね、マーリア」
「いきなりの辞令なんですって。最低でも一月は掛かるって聞いて」
「王立騎士団だけなの?」
「ええ、何人か選抜されて派遣されるそうなの。詳しい事は仕事だからって教えて貰えなかったんだけど……」
「見習い騎士は、マーリアの婚約者だけなの?」
「ううん、一緒の隊に所属しているお友達も。でも派遣団にはその二人しか見習い騎士がいないんだって。何か危険な任務なのかしら」
「それにしても今日いきなり発つなんて、随分急なのね」
クラリッサは胸を押さえて思わず、談話室へ踏み出していた。
「あのっ!」
「へ?」
「あっ……クラリッサ様!」
おしゃべりに集中していた三人の少女がそれぞれ目を驚きに見開いて、クラリッサを凝視している。女学院のトップである自治会長を任ぜられている、クラリッサ=アドラー公爵令嬢から直接声を掛けられるなど、新入生の彼女達からすれば非常に稀な事であったからだ。
遠くからしかいつも眺める事が出来ない、銀髪銀目の『アドラー家の至宝』から正面から見つめられ歩み寄られ―――比較的おとなしい部類に入る彼女達は畏れ多く思いつつも、思わずその美しさに惹き込まれてしまったように固まってしまった。
「もしかして、その見習い騎士って……ジーモン=ウーラント様の事かしら?」
その紅も引いていないのに果実のように朱く熟れた唇から、言葉が出て来るのを呆けたように眺めていたマーリアは、聞き覚えのある名前にハッと我に返ると立ち上がってスカートの裾を摘まんで簡素な礼を示した。
「え、あっはい……!私の婚約者です」
慌てて他の二人もソファから立ち上がり、マーリアに倣って礼を示した。
クラリッサは優雅に頷き返し、ニコリと笑顔をみせて先ず彼女達を落ち着かせた。
「やっぱり。ウーラント様には先日夜会で兄と一緒にご挨拶させていただいたの。女学院に可愛らしい婚約者がいらっしゃるって伺っていたので、もしかしてって」
するとホッとしたように三人は肩の力を抜いて、ぎこちない微笑みを返してきた。彼女達が気を少し許したのを感じ取り、クラリッサは微笑みを維持しつつ―――一番聞きたかった事を序でのように口の端に乗せる。
「ウーラント様は一月も地方に派遣させられるのですか?お気の毒ですね。見習い騎士なのに、随分強引な辞令なのね。見習い騎士は今二人だけって―――ごめんなさいね。耳に入ったものだからつい気になって」
「ええ、そうなんです。ジーモン兄様……いえ、ウーラント様のご友人のコリント様、マクシミリアン=コリント様もご一緒と聞いております。まだ一年も経っていない新人なのにそんなお仕事もあるだなんて思わなくて……」
眉を下げるマーリアは、婚約者が心配でたまらないようだった。
「そうね、乱暴な人事だわ。私の兄が近衛騎士団に所属しているのだけれど……ご心配でしょうから、宜しかったら何か情報が無いか確認してお伝えしますね。お仕事だし、所属が違うから聞き出せるかどうか分からないけれども」
「まあ……畏れ多いです……そんなクラリッサ様にご迷惑をおかけするなんて」
そう言いつつも、マーリアの瞳は僅かに期待を滲ませていた。余程婚約者が心配なのだと、クラリッサは微笑ましく思った。
「聞いてみるだけなら全く手間も掛からないから、大丈夫。駄目元だから、期待しないで待っててくれれば良いのだけれど」
「いいえ……!嬉しいです。そう言っていただけるだけで……有難うございます!」
少し瞳を潤ませるマーリアと傍らに寄り添う友人二人に微笑んで頭を下げ、その場を辞した。去り際にチラリと視線を走らせると、涙ぐむマーリアに友人達が「良かったわね」と声を掛けているのが見て取れた。少しそんな光景を羨ましく思いつつ、クラリッサはあくまで優雅な仕草を心掛けながら廊下へ消え―――周囲に人目が無いのを確認すると、小走りで駆けだしたのだった。




