第九話
ユニは状況が読めず身動きが取れなかったし、ミリエンスは否定するような言葉を発しなかった。神父が羊皮紙をひろげる音が物陰にいるユニの下まで届くほど静かだった。
「それではついて来てください」
神父がそう言った後、足音がだんだんと遠ざかっていった。
ユニはただ頭を抱えて座り込んでいた。
体を動かそうとするたびに、広場で処刑された少女のことを思い出した。しかし、その度にユニが感じたのは、ミリエンスを守りたいと言う気持ちより、神父を殺さなければいけないかもしれないことへの恐怖だった。
ミリエンスがいなくなってからしばらく経っても、ユニはまだ頭を抱えていた。
空が夕焼けに染まり、窓からの日差しが伸びきった頃、料理の匂いにユニの空腹が反応した。
ミリエンスが帰って来たのかと思い、ユニがキッチンへ向かうとそこにはミリエンスの叔母さんがいた。
叔母はユニの方をじっと見据えた。
その視線に耐えられず、ユニは目をそらした。吹き出る汗が頬をつたう。ユニの目は少し潤んでいた。
「……とりあえず、お食べ。腹が減ってたら何にもできないさ」
叔母に言われるがままに、ユニは食卓についた。そして、向かい合う叔母に向かって意を決して口を開いた。
「ごめんなさい‼︎ ミリエンスさんを助けられなかったです」
「……」
叔母は何も言わない。かじったパンを飲み込んだ後、小さく呟いた。
「助けられなかったんじゃなくて、助けようとしなかったんだろ?」
その瞬間、ユニは罪悪感に押しつぶされそうになった。止められなくなった涙が、ポツポツと溢れ始め、テーブルの上にしみを作る。
「……ごめんなさい」
消え入るような声でユニはそう言った。
「……なに、責めているわけじゃない。私も似たようなもんだからね。ただ、だからこそ私とおんなじ思いはして欲しくない。それに、可愛い姪を見殺しにもしたくない」
申し訳なさに、ユニは立ち上がった。だが、叔母はそれを止めた。
「まだ、焦ることはないさ。処刑は早くたって明日さ。その前に、ひとつ私の話を聞いていきなさい」
ユニはただ無言のまま首肯した。
✳︎
私がまだ若い頃の話さ。と言ってもまだまだ、若々しいがね。……少しは笑ったらどうなんだい?
まあ若い頃、当然ミル——ミリエンスも幼かった。あの頃はまだあの子の父親、つまり私の弟も生きていたし、年の離れた兄もいた。母親はあの子を産んですぐに何処かへ行ってしまったみたいだから、私も詳しくは知らんがね。
幼い頃のミルは、たいそう活発で素直な子だったよ。本当に素直だった。簡単な嘘も信じ込んでしまったし、それを嘘だと教えれば泣くほど怒ったものだった。
ちょうどそんな頃だったよ、魔女が異端認定されたのは。
ここで一旦魔女狩りについて話しておこうか。きっとユニ君はしらんだろうからね。
あれが始まったのはつい十数年ほどまえさ。
ちょうど国が併合直後で不安定だった時、疫病が流行ってね、民の不満が膨れ上がっどった。国と教会はそれに困っていた。そんな時に、急にある噂が流れ出したんさ。
疫病を起こしてんのは魔女たちじゃないかってね。
不安定な精神状態だった患者やその親族はそれを信じ出して、急速に噂が拡大していったさ。
そしたら教会はそれを利用して魔女を異端認定して不満の矛先を変えさせたんさ。以来、教会は厳しく魔法を異端だとする教えを出すようになったのさ。
結局、疫病は今はないが、あれはいろんな目的があるから続いとると言われとる。一番は金さ。処刑された人の財産は全て協会が没収できるようになっとるからね。
だから、多くの魔女が森へ逃げてしまっても異端審問は終わらなかった。
あらゆる人が処刑されたさ。しかも、その大半が魔法なんて少しも使えなかった。
魔女狩りつまり異端審問が広まったのは急速でさ、子供はおろか、大人ですらよくわかっていないものもいた。
だから、幼い日のミルには魔法が異端だとされていることがよくわかっとらんかった。
ある日、ミルの兄が急に魔法を使えるようになったんさ。兄はそれをひた隠しにしていたけど、ミルにこっそり覗かれたみたいでね。ミルは自慢げに近所の友達にそれを話してしまったんさ。
噂はすぐに広まって、父と兄の二人が処刑されたさ。ミルだけは証言者として生かされたがね。
それから、一人になったミルは私の元へやってきたさ。けど、雰囲気がすっかり変わっちまってて最初は驚いたよ。
口数は極端に少なくなったし、ぼーっとしていることが多くなった。きっとミルには何も先のことが見えていなかったんだろうね。
✳︎
そこまで話し終えると、叔母はユニをじっと見つめた。
「さて、私が本当に言いたいのはここからさ。まず一つ目。私はミルの父親と兄貴が処刑される時、助けようとすらできなかった。我が身可愛さに、家の隅で膝抱え込んで目を閉じてたさ。けどね、ミルが家に来てからたいそう後悔したよ。あんなに元気だったのが、見る影もなかったからね。毎日彷徨うように、あてもなく過ごしているミルを見るたびに私は自分を責めずにはいられない。次にね、だから、昨日のミルには驚いたさ。あんなに活発に喋ってて。きっと、ユニ君、君だけがミルにとって信じられるものなんだろうさ」
「……」
「あの子は今まで悩んできたさ。親には魔法使いのおかげで自分の命があると言われ、教会からは魔女は異端だと言われてきたさ。きっとあの子には何を信じたらいいのかわからんのさ。でも、君がきてくれたおかげで、やっとあの子は自分を持ち始められたのさ」
そこまで言うと叔母は手をついて深々と頭を下げた。
「だから、この通りさ。あの子を助けてやってくれ。処刑からだけじゃなくて、過去からも逃がしてやってくれ。悔しいが、力のない私にはあの子を救い出すことはできない。あの子がどれだけ苦しんでいても、私にはあの子に触れる権利はない。唯一、私があの子にしてやれるのは、今は君に向かって頭を下げることだけさ。無理を言っているのはわかっとるが、頼む。この通りさ」
ハインリヒから逃げ切った時のミルの妙に清々しい笑顔の意味や、昨晩の不可解な様子の意味がユニの中で溶けるように明らかになる。
途端にユニはミルのことが愛おしくなった。
自分を敬愛してくれる女の子が、未熟でひ弱で今にも死のうとしている。そう考えると、ユニは彼女を守ろうとせずにはいられなかった。
「……わかりました。絶対に助け出してみせます」
ユニの声には芯が通っていた。そこには強い決意がうかがえた。
「そうか、ありがとう」
叔母はそう言って笑みを浮かべる。
「きっと、あの子は今頃、君を守れたことに満足しとるかもしれん。もしそうだったら蹴りを入れてやっとくれ‼︎」
「はい‼︎ 任せてください」
ユニがそう言ったのと同時に、二人の腹の音が大きく鳴り響く。
「よし‼︎ それじゃあ何はともあれ飯じゃな‼︎」
「……ですね」
二人は笑い合うと、次々に料理を口へと運んでいった。