第2話 野性少女と二人きり
南国の島、エラミ島。
北に低い山、南に天然の港がある島。
山からは水が流れて川を作る。
島のほとんどはジャングルのような深い森に覆われている。
港近くにNPO「少女を日本社会に返す会」のプレハブ小屋がいくつか並んでいた。
事務所や食堂、寮などだが、船舶用のコンテナを流用したとても頑丈な小屋が目を引いた。
見た目は無骨でところどころ錆びている。
ところが中は一変していた。
通常の細長いコンテナの中は、壁はマカロンカラーの布やカーテンで覆われていて、魔法少女や動物のイラストが描かれている。
床はネズミーランドの動物たちが描かれた絨毯が敷かれている。うさぎさんのぬいぐるみに、イルカや熊のぬいぐるみなど動物のヌイグルミが所狭しと転がっている。
部屋の隅には黒い光沢を放つアップライトピアノまであった。
まるで女の子の部屋だった。
そんな特別製のコンテナの中に、俺と野生少女――西園寺やよいが入っていた。
捕獲ネットに一緒に包まってしまったため、出られなかったのだ。
もちろん野生化した少女の更生室であるため、俺だけを外に出すのは難しいらしい。
場違いな俺は早く出たかった。
やよいには可愛いものに囲まれて、早く理性を取り戻して欲しかった。
ところがやよいはファンシーな内装などものともせず、壁を殴ったり叩いたりしていた。
「シャアアア!」
顔が完全に怒りに歪んでいる。目付きも怖い。
俺は被害を受けないよう、コンテナの反対端で小さく座り込んでいた。
――と。
コンテナの真ん中に設置された薄型モニターにブーンとスイッチが入った。
ちなみに殴られても壊れない特注製だ。
モニターに移ったのは、白衣を着た眼鏡の女性さなえさん。
笑顔で話しかける。
「はーい、やよいちゃーん、元気してるかな~?」
「シュゥッ!」
やよいは一息で部屋の反対側まで飛んだ。
ふーっとネコのように警戒している。
「そうよねー。怖いよねー。せっかく嫌なことがいっぱいある日本から逃げられたのに、戻るのは嫌よねー」
「ふうーっ!」
「でもねー。しがらみの社会に戻るのも悪くないわよー。それでは、しばらく見ていてねー」
さなえさんは微笑んだままいったん消えた。
すぐに画面には青と赤と黄色の女の子が駆け出した。
OPが流れアニメが始まる。
1.2.3のポニーキュアだ。
三人の少女が馬の力で変身して悪い奴らをやっつけるアニメ。
一年前に放送されていたアニメだけど女子小学生に人気があった。
やよいは、部屋の隅から画面に食い入っていた。
もう顔から怒りが消えている。呆けたような、あどけない顔。
アニメの力は凄いと思うが、凄すぎる気もする。
そしたらレシーバーが鳴った。
声をひそめて話す。
「こちら佐々木です、どーぞ」
『さなえよー。やよいちゃんの様子どう? カメラの死角に入っちゃって』
「食い入るように見てますよ。見すぎな気もしますが」
『やよいちゃん、去年のポニーキュア大好きだったのよね』
「なるほど~」
部屋の向こうに目を向ける。
やよいは隅から離れて、モニターへ少し近付いていた。
画面ではポニーキュアたちが悪い奴らの攻撃で地面に倒れていた。
『ふははっ! たった三人でなにができる! この世は絶望で塗りつくされるのだ!』
はいつくばっていたポニーキュアたちが震えながらも立ち上がる。
『それでもあたしは諦めない! 友達がいるかぎり!』
「トモダチガ イルカギリ!」
やよいは大きな瞳を輝かせて、胸の前で小さな手を握りしめて言った。
俺は驚いてつい叫んでしまう。
「しゃべった!」
やよいにジロッと睨まれた。
こわっ。
肩をすくめて部屋の隅に縮こまる俺。
レシーバーから声がする。
『よほど好きだったのね。ちょうど遭難前の放送なのよ』
「なるほど。喋り始めたのはいい兆候ですか?」
『そうよ。人間は言葉によって思考するのよ。言語を思い出したら第一段階突破ね』
「次は――どうするんです?」
俺は基本、外回りの少女保護要員なので、更生方法は知らなかった。
さなえさんは言う。
『そうね。次は調理されたおいしいご飯かしら? 野性のものしか食べてこなかったはずだから――今、部屋に差し入れるわね』
「あ、はい」
俺が答えると同時ぐらいに、コンテナの扉の下にある小さな窓口が開いた。
トレイに乗ったパンとシチューとサラダにチキンが差し入れられる。白いクリームシチューと、こんがり焼けた骨付きチキンからは暖かい湯気が立ち上っている。
もちろん二膳。
『それを彼女の傍に置いてくれないかしら?』
「え? 危険じゃないっすか!?」
『あなたの傍にあるほうが危険よ』
その言葉どおり、やよいは鼻をくんくんと鳴らし始めた。
そして大きな瞳が俺を捕える。
歯並びの良い白い歯を光らせて、うーっと威嚇する声を上げる。
――やばい。
俺は、這いつくばるようにして、床の上をトレイを押していった。ぬいぐるみやクッションが邪魔でなかなか進まない。
「しゃううう!!」
やよいの威嚇する声がますます大きくなる。
「ええい!」
俺は床を雑巾掛けするように、小走りでトレイを押していった。
細長いコンテナの真ん中辺りまで来る。ちょうどモニターの正面。
そこにトレイを置きっぱなしにして、また部屋の隅まで逃げ帰った。
ライオンの檻に閉じ込められている気分だった。
こっそり観察すると、やよいは俺をにらみながらも、中腰でじりじりとトレイへ近付いていく。
そしてモニターの正面へ来る。
まずはパンとチキンを両手に持って、交互にかじり始めた。
さすが野性。ワイルドだった。
俺は少し呆れながら言う。
「あれでいいんですか?」
『まあ見てなさい』
しばらくやよいの食べっぷりを見ていた。
すると――。
シチューの椀を持って一口食べたときだった。
彼女は細い首をかしげた。長い黒髪がさらりと揺れる。
そしてシチューをトレイへ戻すと、今度はパンを千切ってシチューに浸しながら優雅な指先で食べ始めた。
「あれ。動きがおしとやかになった?」
『そうよ。野生化しても元は良家のお嬢さま。優雅な振る舞いが体に染み付いているのね』
「な、なるほど……」
超名門お嬢さま校である黒百合女子大の付属だけに、良家の子女が多かった。
アニメ、ポニーキュアは続く。
次の話になり、やよいの視線はよりいっそうモニターに注がれた。
彼女が見ていない話だからだろう。
しかし食べる振る舞いが劇的に変わった。
大口を開けて骨付きチキンにかぶりついていたのが、今は可憐な口元を小さく開けるだけで、しずしずと静かに食べていく。
あぐらをかいていたのが、いつの間にか女の子座りに変わっている。
時々、トレイに付属したナプキンで、上品に口元を拭う。
俺はご飯を食べながら、ほうっと溜息を吐いた。
「変わるもんですねぇ……あんなに凶暴だったのに」
『まあ普段抑圧されてる人ほど、解放されたときに野生化が激しくなっちゃうみたいね』
「そういうもんですか」
シチューをすくって口へ運ぶ。パンにかじりついて食べる。
口の中でまろやかな食感が広がる。
俺にはあんな上品な食べ方はできないなと思った。
そうしているうちにご飯を食べ終わった。
一日の疲れが出て眠くなる。
しかしレシーバーは容赦なく鳴る。
「なんですか? どーぞ」
『さて。悠斗くんに一つやってもらいたいことがあるの』
「なんでしょう?」
『やよいちゃんもそろそろ眠くなってきたから、着替えさせてあげて』
ガチャッと扉の下の小窓が開いて、可愛いフリルの付いたワンピースが差し入れられた。
「えっ! 俺に彼女の着替えを手伝えっていうんですか! めっちゃ暴れられますよ!」
『普段は一緒に入った職員がやるの。今日はあなたしかいないでしょ?』
「別に今のままでもいいじゃないですか」
『あのね、女の子は綺麗な服を着ると心まで変わるものなの。ありきたりの学校の制服じゃ心が荒むのも当然なのよ』
「ぐぅ……」
俺は黙り込んだ。
さなえさんは少女更生のエキスパートなのだから、言っていることはかなり正しいのだろう。
でも――俺が少女の着替え手伝い!?
いたいけな少女にのしかかり、小学校の制服を無残にはぎとるイメージが脳裏をかすめた。
いやいや、犯罪だろ、それ。
可愛いワンピースを手にしたまま途惑っていると、さなえさんの声が聞こえた。ニヤニヤ笑っているのが伝わってくる。
『ははあん。全裸に脱がせた上で着替えさせようと考えているのね。へんたい、よこしま、スケベッ』
「いや、そうでしょう!? 違うんですか!?」
『制服の上から着せればいいのよ。頭からズボッと。そのためのワンピースよ』
「暴れたりしません?」
『大丈夫。やよいちゃんはアニメに見入ってるわ。特に今見てる回は、ポニーキュアたちが新しいドレスアップを手に入れるところなのよ。女の子ならみんな釘付けよ!』
「知りませんけど。どうせおもちゃ会社の都合なのに」
『それは禁句よ。さあ、頑張って』
「はぁい」
俺は小声でおざなりに返事した。
あの凶暴な少女に丸腰で近付くなんて正気の沙汰とは思えなかった。
それでも頼まれた手前、やらないわけにはいかない。
俺はじりじりと四つんばいになって近付いていく。
やよいは画面を食い入るように見ている。花弁のような赤い唇を噛み締めている。
アニメはその回のクライマックス。
今までの変身では通用しなかった敵に、それでも果敢に立ち向かうポニーキュアたち。
しかし攻撃はことごとく跳ね返される。
『ふははは! 前回はやられたが、パワーアップした我にはもう及ぶものなどいない!』
『そ、そんなこと、やってみなくちゃわからない!』
『そうか? これを受けられるとでも? ――ハァッ!』
ドガァァンッ!!
『きゃあああ――ッ!』
敵のエネルギー弾が爆発して、吹き飛ばされるポニーキュアたち。
やよいは眉間にしわを寄せ、爪を噛んで見守っている。
爆発の煙が消えると地面に青赤黄色のポニーキュアたちが倒れていた。
画面の中で敵が言う。
『あっけないものだな』
しかし赤ポニーキュアが膝を震わせて立ち上がる。
『まだ……まだよ!』
『なにい! まだ絶望しないだと!?』
『当然よ! どれだけあなたたちの絶望が世界を覆ったって、私たちには希望がある! 友達という希望がある限り!』
「あるかぎり!」
やよいが小さな拳を振り上げて流暢な日本語で言った。
完全にポニーキュアと同化しているようだった。
――ん? これは利用できるんじゃないか?
俺は閃きに従って、さらにゆっくり近付いた。
アニメへの注意は欠かさずに。
画面の中で敵は鼻で笑った。
『ならば死んで納得するがいい! 死ねぇ!』
敵は腕を振り上げる。
その時、赤のポニーキュアに輝きが集まる。
『最後の最後まで諦めない! ――ドレスアーップ! スーパーポニーキュア!』
カッ!
眩い光が画面から放たれた。
ポニーキュアがさらなる華麗な衣装を纏い出す。フリルのたくさん付いたドレス。
その時、やよいが立ち上がって叫んだ。
「どれすあーっぷ! すーぱーぽにーきゅあ!」
次の瞬間、俺は全力で跳躍した。
ワンピースの裾を両手で持ち、やよいの頭から一気に被せる!
さすがは細身の小学生。
ズボッとうまく頭から被った。
フリルの付いたピンクのワンピース。
やよいは信じられない目で、自分の外見を見下ろした。
「どれすあっぷ、した?」
「ああ、したよ」
何気なく俺は答えた。
しかしそれは間違いだった。
やよいは大きな瞳を釣り上げてギロッと俺を見る。
――あ、やべ。
俺はやよいを痛めつけた宿敵。
同じく痛めつけられたポニーキュアが逆転するシーン。
ポニーキュアに同化しているやよいがどう振舞うか。
答えは決まっていた。
画面の中でスーパーポニーキュアが叫ぶ。
『ポニーキュア、スーパーギャロップキーック!』
その声を合図に、やよいが俺目掛けて疾駆する。
「ぽにーきゅあ、すーぱーぎゃろっぷきーっく!」
長い黒髪をなびかせて、小鹿のような細い手足に力を漲らせて。
俺へと真っ直ぐに飛び蹴りを放った。
しかも飛び膝蹴り。
――少女アニメで膝蹴りはアカンやろ。
そう思ったのも束の間。
ズンッ!
と腹に重い一撃が入って、俺はぶっ飛ばされた。
そして壁に頭を打ち付けて、意識を失った。
最後に見たのは、やよいが拳を上げて勝ち誇る姿だった。
今回は予約更新をしてみました。
ルビはちゃんとできたかな。
ていうか、毎日4000字書くって大変ですね。
皆さんすごいです。