印
その舞は天に納められし歌。その歌は地に還る音色。白百合の咲く草原でその少女は歌い踊っていた。
鈴の音のような声で紡がれた歌は風に乗り、辺りを爽やかに包み込む。その歌、言葉には不思議な力が込められており、歌う彼女には何者であろうとも近づくことは出来ない。
ほのかに桜色に色づいた長髪を揺らし、彼女は踊りを天に捧げる。美しいその舞は、誰の目にも留まることはない。
では何故彼女は踊っているのだろう。何故彼女は歌っているのだろう。
彼女の言葉には理さえ超越する力があった。彼女の口から発せられた言葉は全てが肯定され、理を越えた規則となり得る。
羽衣を身に纏い、半獣半人を思わせるその四肢は艶めかしく凜と潤い、流れるような動きでステップを踏み、しなやかな腕を天へ伸ばす。硬直はしない、そのまま次の動作へつなげ、今度は細く長く伸びた足を大きく広げ、柔軟な関節を自由自在に魅せる。これほどまでに儚く美しい舞が誰の目にも入らないというのは、勿体ないような気さえさせる。
しかし、それは間違っており、そして逆であるのだ。
彼女は――
『誰にも見られず触れられないために踊り歌っている』のだから。
■
辺りはすっかり暗くなり、視界も不明瞭になってきた頃。予定よりも少し遅れはしたものの休憩で立ち寄る中立都市までもうすぐというところ。モニカは退屈であったが、他の皆は昼間からずっと歩いているため、自分が情けない姿を見せてはいけないと律することでなんとか意識を保っていた。
相当厳重な護衛を用意していることで、まずこの軍勢に刃をむける者などいないに等しかった。魔法の障壁によって暗殺も容易ではなく、前後左右四方位全てに広域探索を出しているため、殆ど襲われる心配はないのだ。
だからモニカにしてみれば、この完全な陣形に寧ろ襲ってこい、とさえ思っているくらいであった。返り討ちにすることで、士気も高揚する。
「モニカ王女、ご気分はいかがですか?」
「……少し退屈だけど、もう少しで着くから我慢する」
モニカの隣にはアイナがいた。道中モニカが話し相手を欲してアイナを近くに呼んだのだ。学校の頃とは違い身分が違いすぎるからと遠慮したアイナだったが、モニカが無理を言って無理矢理話し相手に選んだ。アイナは渋々了承し、そこで部隊指揮を部下に任せてモニカと世間話をしていたのだ。
「どうやら敵の妨害はなさそうですね。よかったです」
「確かに何もないのは一番だけどね、どうせならこの陣形の素晴らしさを証明するために蛮族の一つや二つ攻めてきても良かったのに」
「そんな……まだ目的の叡智の塔までは長いんですから」
対応に困ったアイナは苦笑いでそう答えた。モニカも若干の居心地の悪さを覚えたが、それは仕方が無いことだと本人もよく分かっている。国を治める王としてのかしこまった風貌を崩すことが出来ているだけでも、喜ぶべき事なのだ。
アイナがふと空を見上げたのを見て、モニカも空を仰いだ。敢えて暗い道を通っているので夜空は見れば見るほど星が瞬いていた。
「アイナはプラトー王国好き?」
「え、王国ですか……? はい、もちろん好きですよ。自分の国に誇りを持っています」
アイナは即答した。分かっている答えが返ってきてモニカは安心すると同時に、自分の責任を強く感じた。王女としての重責、これまで何度も悩まされてきたその問題だが、今では違った。
それが自分を王女たらしめる理由であり誇りであると、今ではそう考えることが出来る。モニカは変わっていた。
「私ね、今回の会談がとても大事なことだって事はよく分かっているし、慎重にならなきゃいけないのも理解しているんだけどね、でもそれを踏まえてでも今は自信で満ちあふれているの」
「…………モニカ王女?」
「誰かさんのせいでと言うか、おかげでと言うべきか、今の私は最高にこの国の王女にふさわしいと思える自分がいるんだ。前までは私なんかが――って思っていたけど、いつの間にか一転してた」
「それは、ヴァンの影響ですか?」
アイナが隠そうともせずその名前を口にして、モニカは少し赤くなった。それだけで全てを察したアイナは微笑むだけでそれ以上は喋らなかった。モニカも空を見上げたまま口を閉ざす。突如として息を飲むような静寂が二人を包み込んだ。
そして、二人は小さく笑い合った。この時ばかりはアイナも少し前のモニカを今のモニカに照らし合わせていた。身分の違いはあれど、クラスメイトとして何気なく会話して何気なく一緒にご飯を食べて、そんな日々を懐かしく思う。
そしてほんの少しだけ、そんな日々にまた戻りたいな、と。ヴァンやドット、そしてそのほかのクラスメイトのことも思い出しながらそう考えていた。
そのときだった。
何かが揺れる音がした。宵闇、言葉の一つも聞こえない静寂であったからこそ気がつくことが出来たその変化にアイナは動いた。
「異変感知、探索部隊何か変化は無い!?」
「異変……ですか? いえ、何も変化はありません。至って平常そのものですが……」
すぐ隣にいた探索部隊の一人に声をかけたアイナだったが、聞かれた男は驚いたように取り乱しながらも首を横に振った。アイナの声を聞いて周りが少し動揺するが、目にも耳にも鼻にも異常は感じられず、むしろアイナが取り乱しているような雰囲気に包まれる。
「…………私の、勘違いでしょうか?」
「いや、私も聞いた。確かにこう、なんかドドドっていう、震えるような振動の音が……」
モニカがそう言った時だった。今度は音より先に誰であろうと一瞬で分かる大きな変化が訪れた。
大地が揺れていた。地震とは違う、とても小刻みな揺れだった。意表を突かれ皆体勢を崩す中、アイナとモニカの二人は敵襲も考え重心を低く腰を落としていたため、軽く揺さぶられる程度で済む。
「何、敵襲……ではなさそう、何か異変に気がついた人はいないッ!?」
見回しながらアイナが声を上げるのだが、その大地の揺れで取り乱した者達の声でアイナの声はかき消されてしまう。額に汗を浮かばせ唇を噛み締めるアイナの横で、モニカはじっと陣形の先頭の方を見つめていた。
「ねぇ、ちょっとあれ…………」
そこでモニカはある光景を目にした。言葉より先に体が動き、指先でアイナに合図を送る。それに反応したアイナもそちらに視線をやると、ようやくそこでなんとなく分かりたくも無い状況が伝わってきていた。
陣形の先頭、およそ三割の部隊が丸ごと消え去っているのだ。モニカの位置から見下ろすと警備の部隊どころか地面ごと無くなってしまっているように見える。
「地面が……そんな」
それだけでは終わらなかった。二度目の振動と共に、今度はモニカ達の後方で轟音が轟く。慌てて振り返る二人だったが、そこにはまたも信じられないような光景――後方に控える部隊三割も地面ごとかき消えているのだ。
「一体何が、何が起こっているというの…………」
モニカもアイナも、状況を理解するのに必死で何も言葉を発することが出来なくなっていた。混乱が混乱を呼び、お祭り騒ぎのような状況と化した部隊を見下ろして苦悶の表情をするアイナに最悪の予感がよぎる。
「モニカ王女、いったん下がってください!! この混乱で敵襲が来た場合、最悪陣形が即崩れしてしまいます!!」
「待って、この状況を高い位置から見下ろせるのは私とアイナだけよ。だったら二人で手分けしてこの状況を理由づける要因を探すべきだわ。それに、まだ障壁がある。敵襲だってそう簡単には――」
そこでモニカの言葉は打ち切られた。王女の言葉を背中で聞いていたアイナは不思議に思って振り返る。するとそこには闇夜に浮かぶ怪しい影があった。
この暗闇では自ら発光していないとその存在を視認するのは難しい。だが、モニカとアイナが目にしたその影は、はっきりと捉えることが出来た。
「あの『印』、まさかッ!?」
闇に浮かんでいたのは、ある紋様、印だった。よく見てみれば、至る所でその印が眼に入った。咄嗟に魔法を放とうとしたモニカだったが、その前に後方でアイナの鈍い声が聞こえる。
「うっ」
「アイナ!?」
しかし振り返ることは出来ない。夜の闇より深い闇が、モニカのまぶたの覆い被さってきていた。
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