先輩勇者
「アギス、どうしてここに?」
「どうしてって言われてもなぁ。最低限の目的を達成出来たら教えてくれって言ったのはレベッカだろ」
「あ…………そっか、そうだね」
突然現れた気怠げな男とやけに厚着な女の子。そのうち、レベッカにアギスと呼ばれた男の方がレベッカと何やら話していた。どうやら見知った関係であるようだが、ギルドのメンバーであるようには見えない。
そこで僕は思い出す。彼女はギルドの人間ではないのだ。今までの彼女は偽物で、今の彼女は――そう、トラジェディとか言ったか。そんな名前の何かなのだ。
「おいレベッカ、お前勇者倒せなかったのか?」
「…………まぁ、ちょっと手こずったのは間違いないけど」
アギスの言葉を聞き終えるやいなや、レベッカはレプリカントナハトを起動させた。静寂に包まれていた辺りを甲高い音が鳴り響く。
「でも、今すぐ殺せって言うなら殺せるよ」
「…………ま、別に良いんじゃねぇか? とりあえずここまで生き残ったことを免じて放っておいてやれよ」
既に満身創痍な僕はアリスに肩を預けており、このままレベッカに攻撃されれば間違いなく倒されていた。だが、レベッカは踵を返して離れていく。代わりに前に出てきたのは面倒くさそうに首に手を回す男。
「レベッカから聞いているとは思うが、俺らはトラジェディって組織だ。今回の戦いも発端はギルドに潜り込んだレベッカの仕業でね、利害関係が結構一致していたから軍も巻き込んだって寸法さ」
レベッカはもう一人の少女がいる後方まで下がり、そこで僕たちのことを見ていた。レプリカントナハトも落ち着いており、もう戦う意欲はみられなかった。
だがそれ以上に、アギスの放った言葉は聞きたくない事実だった。レベッカはこの惨状を望んだものだと言っていた。それは何も難しい話ではなく、レベッカが発端となって引き起こしたからなのだ。ギルドでのレベッカは偽物というのは、そういう意味。
「どうしてこんなことを、何故国全土を巻き込む必要があったんだよ」
「違うな少年、国全土を巻き込まなくちゃいけなかったんだ」
アギスは全てを見据えた黒い瞳と、胸に直接響くような低い声色で続けた。
「俺たちの目的はたった一つ、やり直しだ。この王国を一からやり直すんだ。この国は多くを抱えすぎて、それ故に罪に触れ、禁忌に達しつつある」
「どういうことだよ、言っている意味がわかんないぞ……」
「それはそうだ。お前はまだ若い、それに国の事なんてさっぱり分からないんだからな。だがな、勇者となった今は違うぞ。これからお前はこの国の真実を目の当たりにしていく。そうすれば、お前も俺たちと同じ境地にたどりつく」
酷く難しい話をされている気分だった。勇者になる前、この国に深く関わることで見えてくる影、その存在についてモニカにも示唆されていた。でもそういう影と相対する存在、それこそ勇者だと僕は思った。だから僕は勇者になった。ともすれば、僕がこの国の真実を目の当たりにすることは、願ったり叶ったりな話のはずだった。
それなのに、アギスの言葉は重く響いた。
「とは言え、俺たちの最低限の目的は果たされた。この国の最低限の地盤を崩して、この国を王の座から失墜させ、新たな王国としてやり直す。そのための粛正だったって訳だな」
「ふざけるな!! 王国の罪だか新しい王国だか知らないけどな、何があっても多くの命を切り捨てる選択は間違っている!!」
僕の言葉を聞いて、アギスは少しだけ黙った。表情は変わらず、それでもどこか憂いのようなものを感じた。
「まぁ、お前の言うことは分かる。勇者だからな、そういうことを言うのが勇者だし、勇者だからそういうことを言うんだろう。だがな、目先の幸福に捕らわれ、狂ったように多くを救っているだけではいずれ痛い目を見る」
それは経験論から語られているのだろうか、まるで焦る気配もなく、かといって押し聞かせようとしている訳でもない。おとぎ話を朗読するかのように、ゆったりと言葉が紡がれていく。
「多くを救える選択と多くを捨てなければいけない選択。お前ならどちらを選ぶ?」
「そんなの…………多くを救うに決まっているだろう」
「だろうな、それは一つの正義と言える。でもな、正しくはない」
あれ、なんだろう。そのフレーズ、いつかどこかで聞いたような気がする。
「正義には犠牲がつく。そして悲しいことに、それは間違った選択である可能性がある。多くを救ったことが原因で全てが滅びるかもしれない。だから、よく考えて先を読み、時には多くを殺して少なき者も守るという柔軟性も必要なんだよ」
「……そんな先、未来の事なんて分からない。だからこそ、多くを救うということが最善の策であるんじゃないいのか? お前らには未来が見えるって言うのか」
「そうだ」
アギスは断言した。レベッカは僕たちの会話を黙って聞いていた。果たして彼女は何を思っているのか、僕には分からなかった。
「未来さえ見通す境地、そこに立ってこそ本当の勇者だと俺は思っている。だから俺たちはある意味では勇者を目指しているということになる。そして少なくとも、俺らはお前より未来が見えている」
何を言っても、無駄なように思えた。言外に僕より数多の経験を積んでいて、この国のことがよく分かっている事が伝わってきているからこそ、彼の意見の正しさがなんとなく分かってしまう。綺麗すぎる正論だけでは何も出来ないこと、そんなことは自分でもよく分かっている。現時点では、アギスは間違いなく、僕以上に勇者であるべき存在だった。
しばらくして、アギスは指を鳴らした。するとレベッカの隣、そこで済ました表情で佇んでいた少女が歩いて僕の近くまでやってくる。マフラーや毛皮のコートなど、まるで一人だけ銀世界にいるかのような格好の少女は、僕の前で会釈をした。
「さて、とは言えこの騒動は俺らが発端な訳だからな、後始末はしっかりとしていくから安心してくれ。そいつはメリオール、今からお前の仲間の元に助けに行く奴だ」
「こんにちは、勇者さん。突然だけど、私があなたのお仲間さんに敵じゃないですよって安心してもらえるようなものないかな? そういうのあった方がお互い安心でしょ?」
「後始末…………まさか、お前僕の仲間を殺して回る気じゃ――」
嫌な予感がよぎった直後、言葉を遮るようにメリオールは僕の口を人差し指で塞いだ。前屈みに人差し指を押しつけてくるメリオールに困惑した僕だったが、僕がどうにかする前にアリスが驚いたように振り払ってしまう。
「そんなことしないよ。仕方ない、結構高級なんだけどこれ使おっか」
メリオールは胸に駆けたポーチのような者から一枚の紙切れを取り出す。その紙切れを半分に切り取り、一方を僕に手渡す。
「ここにあなたのお仲間さんの名前を書いて。今生きていれば、その名前は青い文字でその紙に刻まれる。もし死んでいれば、赤い文字。私の方には自分のサインでも書いてちょうだい」
疑心暗鬼になりながら、僕はその紙にアリス、モニカ、シェリルの名を書き入れた。どの名前も青い文字だ。続いてメリオールの紙に自分の名前を書いた。
「これ、安否は分かってももし裏切られれば防ぐことは出来ないような……」
「心配性だねぇ、大丈夫だって。皆殺しにしたいなら今すぐレベッカが君を殺すし、こんな面倒くさいことしなくても勝手に殺すって、安心してよ!!」
小柄でかわいげな少女から物騒な言葉が飛び出しぎょっとする。メリオールは僕の反応を見て微笑むと、そのまま消えるようにどこかへと飛んでいった。レベッカも僕の方をぼんやり眺めている。
「じゃあそういうわけだ。その辺でまだ戦っている連中は俺らの方で意識だけ飛ばしておくから心配するな」
ボウズ、出番だ。と、アギスが小さく呟いた。すると、レベッカの体が光に包まれて消えていく。そしてアギスの体にも光が集い始める。そのときだった。
「おい勇者。勇者という存在そのものがこの国に縛られているということ、ちゃんと覚えておけよ。先輩勇者からのありがたいお言葉だ、喜びな」
言葉を残してアギスも消える。そこに残ったのは僕とアリスだけだった。僕と一緒に全てを聞いていたアリスは、僕ほど理解しているようではなかったが、それでも彼らがとてつもない驚異である事は言わずもがなであった。
「ヴァンさん、私たち、生きてるんですよね」
「あ、あぁ、大丈夫。一回死んだような気もするけど、生きてる」
「すみません……ちょっと、手、握って良いですか?」
「いいけど、どうして?」
「あの、ちょっと、現実味がなくて。死の驚異をあれだけ長い時間感じていたことが初めてで、人の温かさが、恋しいんです」
そう言って、アリスは僕の手に指を絡めてきた。その手は酷く冷たい。そのまま倒れるように寝そべると、もうすぐ夜が明けそうな白けた空が見えた。
もうすぐ、王国の長い一日が終わる。




