真の顔
ハイドランスの一角、夕刻のひと時を繁華街から少し離れた路地裏の建物、その四階で過ごす少女は紅茶を片手に窓から見える街並みを眺めていた。彩度の高い金色の髪が夕日に照らされて白色の煌きを放つ。
ここから見える景色を見ていると、ここが自分の生きる世界だということを忘れそうになるな、と。彼女はいつもそんなことを思う。それはそこから見える景色に数階建ての建物が多く存在し、そのさらに奥の方には王宮があるからだ。自分たちの住む田舎に比べて、ここはあまりに都会的でモダンだ。
「あれ、レベッカ、いたのか」
「うん」
レベッカと呼ばれたその少女は声の持ち主に見向きもせずに紅茶をすすった。ティーカップを手前のテーブルに置く乾いた音が鳴り、その無機質な音を最後に部屋の中から音がなくなる。レベッカはそんなこと気にもせずにハイドランスの街並みを見ていた。彼女の瞳に映る街並みはいつも変わらない。多少の違いはあれど恒久的にその景色を保ち続ける。
少しすると、外の方から弦楽器で奏でる小気味いい音楽が聞こえてきた。ハイドランスの街では珍しいことではない。繁華街で賑やかに演奏する者もいれば、今のように住宅街でひっそりと演奏する者もいる。レベッカはその音を合図に立ち上がり、空になったティーカップに紅茶を注ぎに行く。
すると入口の方で音がして、今度は別の誰かがやってくる。パタパタと小走りでやってくるその音を聞いてレベッカは誰がやってくるのかがなんとなく分かった。
「レベッカだ、久しぶりね!! おかえり!!」
「うん、ただいま」
小柄な少女はぶかぶかの毛糸の帽子をかぶり、顔の半分を隠すマフラーに埋もれながら笑顔を覗かせた。茶色に染まったセミロングの髪に水色の結晶の形をした髪飾り、体躯にあまり似つかわしくない黒のコートを羽織って、ショートパンツから伸びる折れてしまいそうなどに細い足は黒いソックスで包まれている。
レベッカは自分のフリルも装飾も何もない動きやすさに特化した黒に青のラインの入った軽装と見比べて少女の服装に惚れ惚れする。
「メリオールはいつもおしゃれだね」
「え、本当!? ありがとうッ!! こんどレベッカも一緒にお買い物行こうね!!」
「そうだね、約束」
レベッカは紅茶の入ったティーカップを右手に、左手で小指を立ててみせた。メリオールはそれをみて同じように小指を立てて、洗面台の方へとパタパタ走っていった。
自分の元いた場所に戻ろうとすると、先ほどの声の持ち主であり、この建物の持ち主でもある男がわざとらしく鼻高々にそこに座っていた。
「ちょっとアギス、そこ私の席なんだけど」
「ちょっとレベッカ、ここ私の家なんだけど」
ふざけた調子の裏声でそんなことを言ってくるアギスにレベッカは容赦なく腹部に蹴りを叩き込み、その場から退かす。
「……マジかよ、そこまでするようになったか」
「久々に顔出した美少女に意地悪するアギスが悪い」
レベッカは自分の席にどっかりと座って紅茶をゆっくりとすする。先程まで聞こえていた演奏は終わってしまい、また別の人々が演奏を始めている。
「……さっきの人たちの曲の方が好きだった」
「どうやらいつものレベッカのようで何よりだ……っと」
髭を生やしてボサボサの天然パーマを掻き弄りながら、倦怠感丸出しの細い目でレベッカを流し見てその場を後にするアギス。紅茶の隣にある容器からコーヒーを注ぐとレベッカの隣にある頭から足まで全てを受け止める大きな椅子に腰掛ける。角度の問題で夕日が王宮に遮られ、だんだんと暗くなっていく部屋を横目にアギスもハイドランスの街並みを見下ろす。
「決心はついたのか?」
「……うん」
「なら結構」
アギスはなるべく口を開きたくないのか、少ない言葉で会話を交わす。そのくせ会話を終わらせようとしないことにレベッカはぼんやり疑問を感じていた。
「お前は難しい立場だからなぁ、別に無理しなくていいとは前に言ったが結局はお前が決めた選択が一番――」
「――こうは言っているけどね、どうしたら一番レベッカのためになるかってうんうん唸ってたんだよ」
不意に聞こえた声はメリオールの声だった。水で濡れた手を拭き終わると、紅茶とお茶菓子を持ってレベッカのとなり、アギスの反対側の席に座る。大きな卵型の椅子で中の空洞にメリオールはまるまる入ってしまう。閉所が好きな彼女は満足そうに笑った後、アギスを意地悪そうに見つめた。
「いらねーこと言うじゃねえよ」
「えー、絶対いる話でしょー、ねーレベッカ?」
「まぁ……聞いても聞かなくてもアギスはアギスだけどね」
「そうだね、どっちにしろアギスはアギス」
「おい、アギスが悪口みたいになってるような気がするのは俺だけか?」
外から流れる曲は夜の帳を知らせるような、のんびりとした曲になっていた。王宮や繁華街の方は明かりが付きだし、住宅街の方も点々と暖かな光が灯り出す。一角ではバーベキューでもするのか、少しづつその家の家族やご近所の人々が集まりだしていた。
「私、こういうの好き」
「こういうのって?」
「豪華で華々しい、輝いた街並みがあって、でもそんな中でも住宅街では小さな輝きがあって、暖かい幸せがそこにはある。そんな風景をちょっと高めの建物から見ている。家の中は書類とか本とかでごちゃごちゃなんだけど、居心地はいい。全部まとめて、なんか好き」
「私はそういう描写を言葉で表現できるレベッカが素敵だと思う」
「片付いていなくて悪かったな」
「「アギス、そういうこと言ってるんじゃない」」
「ごめんなさい」
ちょっと驚いて即謝罪するアギスに、レベッカとメリオールの二人は揃って小さく笑った。それを見てアギスも微笑む。
レベッカは、そんな今がとても楽しいと思った。幸せだと思った。
そして――
――そんな日々を出来るだけ長く残しておきたいと、そう思った。
「す、すみません、連絡していた者なんですけど」
その声は玄関の方から聞こえてきた。
「あ、来たみたいだな。レベッカ、頼む」
アギスに言われて、レベッカは頷いて立ち上がる。床に散らばった本の山をジャンプしたり跨いだりして小走りに玄関に向かうと、開きっぱなしの扉の前に気弱そうな少年がいた。大きなリュックを背負った青い瞳の少年だった。
「どうぞ入って」
「えっと、その、ここが本当にその……場所なんですか?」
どうやら何かを疑っている風の少年を見て、レベッカは振り返り二人の方を覗きながら
「なんか信じてもらえないんだけどー」
と叫ぶ。遅れて来たアギスが面倒くさそうな猫背で少年の前までやってくる。
「あの……目印って言ってた看板が……その、見当たらなくて」
「あれ……そうなの? おーいメリオール、その窓から看板が裏返ってないか見てくれないか?」
言われたメリオールは、眺めていた窓の方に向かって歩いて行き、上半身を窓から突き出して看板を見てみる。すると見事に風か鳥の仕業か、看板がひっくり返っているのを見つける。しかし身長が低いためなかなか元に戻すことができない。それに身長と相反して大きく育った胸がつっかえてうまい具合に手が伸びない。
「んぎいいいいいいいいッ、えええええいいいいいいいいいああああ!!」
元の可愛げな声とは打って変わって、悍ましい叫びを上げながら伸ばした手は、ようやく看板に届いて掴むことができる。
元に戻った看板には簡素な文字で一行、彼らが所属する組織を示していた。メリオールの合図を見て、レベッカは少年に笑顔で語りかける。
「看板、ひっくり返っていたみたい。大丈夫、ここが正真正銘本物だから」
「そうそう、何も心配はいらないからな」
アギスは気弱そうな少年の肩をグッと抱き寄せて、室内へと招いた。
「ようこそ、我ら《トラジェディ》のアジトへ」
余談ではありますが、前話と本話のような美しい景色や日常の中で、車内や家などの孤立した空間にいる面々が他愛もない話をしたり、または重要な作戦を話したり、という場面がとても好きです。作中であるキャラクターが語った言葉は、そっくりそのまま自分の言葉だったりします。伝わっていれば、幸いです。




