ズキュウウン!!
割と本気で腹を斬る勢いだった。もしうまくいかなかったらどうしようと思いながら、一気に剣を押し当てようとした。だけどその瞬間、視界が眩むような感覚と共にまたも無彩色の世界へと誘われる。狙いはこれだったのだ、うまくいく保証なんてなかったが、自分や仲間の窮地に限り現れるもうひとりの僕。
無欲の世界――。
「ちょっと、ヴェイロンに殺さない程度って言われてるんだから勝手に死なないでよ」
「誰が死ぬかよ」
「うわ、また可愛くない勇者になってる」
ボロボロになった四肢に鞭打つように立ち上がり、気神を従える女を見据える。薄く色づく柔肌に刻まれている紋章が煌々と輝き、彼女の気神を形成する気を奔流させている。先程までとはまるで比べられない規模の気によって、その気神の周囲は触れるだけで吹き飛ばされてしまいそうな流れが存在していた。
「時間がかかり過ぎてる、そろそろ終わらせよう」
「その体で、ねぇ。まぁあんまり長引くと面倒くさいから、こっちもそろそろ意識刈り取らせてもらうよ」
シャオフェイが両の腕を前方に振り抜きながら胸の前で交錯させる。同時、気神の体を中心とした衝撃波が周囲に生じる。その正体は圧倒的な量の気による津波のようなものだったが、この体では防ぎようがない。
そのまま波を全身で浴び、脳が揺れる。気の流れを狂わされて平衡感覚を失う。しかしここで倒れれば二度と立ち上がれなくなる、それが分かっているから堪えきる。
「……これでも気を失わないの? どれだけ頑丈なのよ」
若干の驚きを見せたシャオフェイは、その口元に賞賛の笑みをこぼしながら今度は拳を思い切り後方に引き絞る。気神は野太刀を刺突の構えで振り絞り、迷い無き剣筋でもって空気を、地上を、あらゆる邪魔な存在を断ち切る用意を整える。
そこから放たれる刺突は空気を裂き、空気中の粉塵との静電気でジリジリと怪しげな音を響かせながら襲い来る。たった一点、気神の持つ野太刀の先端がひとつの点となって迫り来る。
だがこれを待っていた、この大きな隙を生む一撃を。
この機会を逃さんとばかりに上体を低くして、体を右に傾斜させながら地面を蹴る。鋭い痛みが全身を駆け巡るが、たとえ骨が砕けようとも肉が裂けようともここで倒れるわけにはいかない。空気抵抗を軽減して弾丸のように打ち出された体が疾走し、やがて迫り来る剣戟とすれ違う。体を傾けていなければその剣先は真正面から僕の顔を捉え、真っ二つにしていただろう。
鼻の先一〇数センチを研ぎ澄まされた気による野太刀が通り過ぎていく。肌がチリチリと焼け付くように熱される。超速度の一撃が空気との摩擦で熱を持ち、それが極至近距離にあることで身が焼けるように熱い。
低速できりもみするように回転しながらシャオフェイとの距離を詰めていく。その距離は一瞬で詰め切り、勢いそのまま彼女に体当たりをする。直前飛来する僕に気がついた彼女は慌てて空いている手を半回転しながら薙ぎ払おうとしたが、速度が足りない。
地面を引きずるように吹き飛ぶシャオフェイを逃さないようにしっかりと掴み、一緒に引きずられていく。失速し止まる頃にはシャオフェイの立っていた位置より一〇〇メートル近く離れていた。
「ふざけんなッ、何を!!」
馬乗りになる形の僕に対し、シャオフェイは仰向けになって倒れていた。思うように身動きが取れずにもがく彼女に対し、僕は脇目も振らずにただ一点を見つめる。ここまでくればあとはもう一歩だ、それでようやくこの戦いを終えられる。
「思い上がるなよ!! もはや体に力が入らないお前なんて、容易く――」
「――うるさい、黙れ」
恐ろしい力で抵抗する彼女に対し、そろそろ持たないと思ったため最後の一手を打つ。じっと見つめたただ一点――
――彼女の額に自分の額を重ねる。
「…………なっ、んんっ…………な、なにしてっ…………あッ」
「最終手段なんだ。我慢してくれ」
暴れようとする彼女をしっかりと押さえつけ、なるべく手短に終わらせるためにより距離を詰める。互の息が聞こえ、漏れ出る呼気の音が生々しい距離で額を合わせ集中する。目を開けばそこには大きな瞳を潤わせて僕を見る彼女の姿があった。
「なに、これ……ち、近ッ、近い、えっ意味、わかん……ない」
この行為の意味。それはたまたま本で読んでいた知識によって裏付けられたものだった。
《気》はもともと各個人に絶対的な上限量はなく、個々の気の扱い方に依存して際限なく使用できる。上手に使うことができる者ならほとんど無限に、といった具合だ。しかし僕の場合、本来気なんて扱えないため直ぐに枯渇する。そうなった場合、回復するにはどうすればいいか。それには幾つかの方法がある。
まずは休養、これが一番手っ取り早く、無難な方法だ。ただ時間がかかるため戦闘中は叶わない。次に薬や瞑想といった特殊な方法での回復もある。しかしこれも、気を操るという概念の発祥の地である国では珍しくないのだが、そもそも気という概念が定着していないこの国ではそういった薬もなければ、瞑想の方法も明らかになっていない。ではどうすれば即座に一定量の気を回復できるのか。本にはこう記されていた。
最速での回復は、気を充分に持つものからの供給である、と。
供給の方法にはいくつかあるが、主に少し時間は伸びるが供給者が気の譲渡を一方的に行う方法――これはもらう側が供給中も自由になるため仲間同士での戦闘中に向く。そしてもう一つが、気を統率する器官を介しての直接のやり取り――気は体内に貯蔵され、それを洗練された技術と感覚で開放していく。その体内に貯蔵された気を直接供給者と繋がる事ですぐさま気のやり取りを行うことができる、そういう方法だった。
容量が大きくても出力が小さければ小出しにしかできない。シャオフェイの体に刻まれた紋章、あれが気を開放する手助けを担うものだとすれば、彼女は体内に相当量の気を保有し、それを自分の技量プラス紋章から開放することで出力を上げていると推測できた。
だからこの方法が可能であると判断した。
気を統率する器官、即ちシャオフェイの脳を介しての気のやり取り、うまくいく保証はなかったが、それが最後にして最大の選択肢だった。
結果として、僕の体には有り余るほどの気が充填されることとなった。
「はぁ、はぁ……結局この戦いはヴェイロンの牽制の意味合が強いんだろ? 殺すなって言われているわけだし、あそこで事について言及されるのを避けるための一戦、そういう位置づけ。だけど、僕は勇者だ、たとえ勝てなくても負けることは許されない。どんなに弱くても、どんなに相手が強大でも《敗北》は許されないんだ」
有り余る気を適当に放出する。彼女の気神のような完成された物は生み出せないが、荒れ狂う気の流れは僕の持つ剣を渦巻きその刀身に果てしない力を付与する。残った気で全身の傷に応急処置を施し、辛うじて力を込められるだけの強度に持ち直す。
彼女の体から離れ、剣を握る手に力を込める。直ぐに回復しないようにそれなりのダメージを与えなければならない。じゃないとまたこのような戦いへと発展してしまう。
そう思って剣を振りかぶった時だった。眼前の少女が微動だにしないことに気がつく。もはや恐ろしい気の流れも感じず、それどころか張り詰めていた空気さえ消えており、今では風の音が耳をくすぐるような些細な音も聞こえていた。
「……気を失っているのか」
見ると、シャオフェイは両腕で顔を覆おうとして、その思い半ばに気を失っていた。紋章は消え、泥や土で汚れた彼女の体が力なく横たわっている。やがえ僕の気も留まる必要がなくなり、空へと溶けていった。
「後で、この行動については謝りに来る。さすがにデリカシーが……ッ……うん? 謝る……そんな感情」
戦いが終わり、ようやく心を落ち着けることができると思った、が、眉間に走る鋭い痛みと共に、違和感を感じた。先程まで別人としての感覚であったことが、自分のことのように感じられる。夢を見ていて、今が現実なのか夢なのかわからないような感覚だ。無色であった世界に色がついていき、やがていつも見る世界の彩りを取り戻していく。痛みも激しさを増していく。
「ガアアアああああああ!? なんだこれ……めちゃくちゃ痛い……もう、ダメ」
そのまま僕は地面に倒れた。もう瞼が重く、あまりの痛みで五感が遠のいていく。視界は真っ黒になっていく。
そうして僕は、またも夢の世界へと沈んでいった。




