勝者の余裕
飛び散った鮮血が振り抜いた剣の軌道を沿うように流れていく。剣を持つ僕の腕は確かに何かを捉えたような重みというか感触を感じていた。それがなんなのか、僕のはもう分かってしまっているのだが、それを確認する勇気がない。
故に、顔を下げたまま抜刀後のポージングをキープする。顔を上げれば現実が待っているし、かと言って動くのもこれ以上の何か悲惨な光景を目の当たりにしそうで嫌だ。
「な、何してんのよッ!?」
すると、目からの情報を拒んでいた結果、耳からの情報が入ってきた。その声はモニカのようで、酷く慌てているように聞こえた。そりゃそうだろう、だって――
――あれ、ちょっとまてよ。
この状況、まず冷静に客観的に判断してみよう。おそらく見てはいないが、僕の眼前に繰り広げられているであろう光景は、レベッカが血を流しているという光景。本当なら僕の切っ先なんてゲロを吐きながらでも躱せるであろうレベッカが、僕の斬撃を受けてしまった理由、それはイレギュラーな抜刀タイミングだろう。
僕は、不慮の事故により刃がさやの中で引っかかり、半ば強引に引き抜いた結果意図せず抜刀してしまった。その結果がこの現状だ。だからレベッカはそのタイミングを読み切ることができずに、攻撃を受けてしまったということになる。
では、この状況、一体どういう状況なのだろうか。
まず主観的判断。僕からしてみれば、剣を交えなければ死が待っていたわけだから、正当防衛となる。剣と剣がかち合って弾き合う形になれば幸い程度に思っていたが、斬撃が通ってしまうのは誤算だった。しかしまぁ、僕の主観的意見から行けば別に大きな問題はない。どうせ、レベッカは僕の攻撃程度で死ぬわけもないからね。
では客観的判断。多分、レベッカの動きは早すぎて僕くらいに洗練されていないと目で捉えることなど不可能だっただろう。ということは、周りの人からしてみればいきなり僕が変な体勢で剣を構え、抜くのに手間取っていざ抜いたと思ったら鮮血が飛び散りレベッカが倒れているという状況になる。
おやおや、これはちょっとまずいんじゃないか。
この状況、どう考えても僕が加害者だ。主観的な背景があってこそ正当防衛が認められるが、この状況はどう見ても僕がレベッカにいきなり斬りかかったようにしか見えない。ということはなんだ、僕はこの国の勇者でありながら真昼間から人を斬りつけてしまったということか。
「…………クソやばいぞ」
いきなり剣を持つ手が震えてきた。ああああヤバイヤバイと腰はガクガクと震え、次第に内股になっていき、剣を持たない方の手で額を抑える。
さっきのモニカの声は、僕に対して、
「なんてことをしているんだ!!」
という旨の言葉だろう。あぁあ、洗練されすぎた結果その剣で過ちを犯してしまった。なんてことだ。
と、とにかく、まずは目でこの現実を受け止めないと。いつまでも人を斬っておいて抜刀ポージングで硬直していたらそれこそ意味がわからない。完全に狂ってしまっている人だ。
僕は恐る恐る顔を上げ、その光景を目の当たりにした。
目の前には、レベッカの姿があった。
だけど、ピンピンしていた。
ただ、ものすごい形相でこちらを見ていた。
「レベッカ、あなた今何が起こったの? たった一瞬で腹部を切り裂かれてそれを回復して煮えたぎるような修羅の表情を抑えるように無理やり営業スマイルを数度練習して今に至ったように見えたけど!?」
「はっはっは、王女様も面白いことを言いますね。私はたった今普通にこの場に参上しただけじゃないですか、はっはっはっははぁ……ッチ」
まるで機械のような棒読みで言葉を繰り出し、言葉尻にはため息と舌打ちのセット。このコンビネーションは間違いなくレベッカのものだ。偽物ではない、彼女だからなせる技だ。しかし、そんな彼女は無事にそこにいた。
普段の二倍以上に見開いた目でこちらを見ているそのさまは間違いなくレベッカなのだ。もう目もすごいがその目を見開いた結果まぶたの皮がすごい形に折り重なってそっちもすごい。もう全部すごい、怖い。
間違いなく僕の剣はレベッカの体を、肉を引き裂いていた。それでいてこの現状が起こりうるということは、レベッカは切りつけられた瞬間に回復魔法を唱えて瞬時に回復させ、さも当たり前のかのような表情で佇んでいたと、そういうことになる。
もしかしたら、レベッカは僕に人を切り裂いたという大罪を与えるよりも、切りつけられたことを罵声の種にするよりも、こんな僕に切りつけられてしまったというあってはならない現実を隠すことを選んだというのか……?
そんなことを訴えかける僕の視線を受け取った彼女は、僕の影に唾を履き、先程までキャンディーを舐めていたのか、甘いその唾液に集まったアリが僕の足元でわちゃわちゃし始め僕がやるせない気持ちになる、という手の込んだ嫌がらせで対応してきた。
これは間違いなく僕の考えは正しいのだろう。
ともすれば、この女はどこまで僕に張り合う気なのだ。もう、恨みや憎み、憤りを通り越して愛すら感じる。
「勇者も、さっき剣を振り抜いてレベッカを思いっきり切り裂いたように見えたんだけど……」
「そんなことありませんよ、僕はたった今ぎこちない動きで剣を抜刀したくなっただけです。鞘に刃が突っかかったという想定で妙に取り乱しながら抜刀したんです。おかげで気分もさっぱりです」
僕は自分のファインプレーな言い訳が完璧に決まったことをレベッカへ親指を立てたナイスポーズで報告する。
すると器用に唾を僕の周囲三六〇度に吐きかけ、アリの包囲網を作り出す。もはや可愛いものだ。
どうやら僕も煽り耐性というものがつい来てきたみたいだ。レベッカも御せるようになれば、僕の未来は明るそうだ。
ということで、僕の窮地は意外な展開で回避された。
「それよりも王女様、今日は何のごようですか?」
「そうよ、すっかり忘れてた。ちょっと聞きたいことがあってね――」




