朧ろな影
買い物は相当な時間を費やすこととなった。主に、女性陣の性というものが遺憾なく発揮される展開となったのが原因だ。彼女らはその類まれな視野と観察眼を用い、至るところにあるお買得商品を目ざとく見つけていくのだ。
お金には困っていないだろうモニカも納得のいく値段になるまで交渉し、決して諦めることなく店主に立ち向かい続ける。もちろん、店主は王女の申し出となれば受け入れざるを得ないはずなのだが、そこはさすが商売人。いくら身分が上の相手だろうと商品を扱えば一人のお客さん。対等な接し方でお互いの妥協点を探していくその姿勢はとても誉れだった。
一方でアリスは、強気な物言いこそできないものの、逆に困ったように言いよどむ姿が店主たちの同情を買い、ややアリスに利益が出る形で交渉が確定する事案が多発。まさに小悪魔といったところ。しかし本人にはそんな気は一切なく、言葉に詰まれば相手が同情してくれるという非情なまでのキャラの勝利である。
そしてその間、僕、勇者は何をしていたかというと。
はい、国民との意思疎通の場を設けておりました。
当初は、モニカ王女に付きまといその恩恵によって国民からの非難の嵐を回避しようと考えていたのですが、ものの数分でモニカを見失い、完全に蛇の前に放り出された蛙状態となってしまった僕は、それはもう悲惨なことになりました。
「あのぉ……モニカ王女知りませんかね……?」
「え、何、しにたいの?」
いやぁ、そんなこと一言も言ってないんですけどねぇ。
「いや、そういうわけではなくて」
「うわぁ、なんかモジモジしてるー。しすべきだね、うん、しすべきだよ」
やはり結束力というのはとてつもない力を持っているね。まず話が通じない。個々それぞれ皆言いたいことが有り、その欲のままに言葉を連ねることでかなりの音量と響きで僕の言葉を阻害する。そして、その個々の言いたいことが皆共通しているという最悪な展開により、謎の団結力を伴って僕の心を抉りに来る。
「ほら、カウントダウンしてあげるからしのう? ね、ね?」
「ホントッ、マジしんでくれればもう何も言わないから、マジッ、ホントッ、だからさ、一回さ、しんでみよ?」
「この世界の理に基づき、生命の真理に問いただす。この者の命は如何なる流体を宿しているのか……ふむ、ふむ、そうか……神は言っている、この者はここでしすべきだと――」
胡散臭い僧侶も、この現状ではすごい大盛況ぶりだ。僕のいるこの商店街の一角は既に異様な雰囲気に包まれ、これでもかと人が押し詰めている状態なわけで、さらには飛び交う言葉は全て僕への暴言。これだけで僕はもう擦りおろされるようにダメージを負っていくのだが、それはあくまで精神的な面。ここまで刺々しい言葉を吐いておいて、一切手は出てこない。
さらに言えば、なんだか国民の表情も忌み嫌うものを見る目というより、単純に今を楽しんでいるような感じ。
だからと言って痛みが緩和するわけでもないけど、まだ心底嫌われているのではなくて、ちょっとした煽りを受けているだけなのかな、なんて解釈することもできる。
「よーし、ここにいる人々は皆僕のファンで、好きな子にいたずらしちゃう的な衝動が働いているだけなんだ。我慢我慢」
と、こんな感じで二人の買い物を待っていたのだ。正直耐えている最中は何があったかよく覚えていない。印象に残っているのは滝に打たれていた自分だ。おそらく無欲の世界に没入していたのだろう。あれ、なんかかっこいい響き。無欲の世界への没入……うん、イイっ!!
と、まぁ何はともあれ僕はモニカとアリスに無事合流し、事の次第を知ったアリスに慰められて、少しほっこりして家路についた。
現在は自宅まであと数分というところ。辺りはすっかり暗くなってしまい、それが途端に時間の流れを感じさせ、疲労感が増えた気がする。
「えっと……本当にこんなことでいいんですか?」
「うん、最高」
少々不審がりながらアリスが上目遣いで尋ねる。アリスの体は僕の左腕に密着し、僕の左腕を体全身で包み込んでしまっている。国民の総攻撃を被った僕にアリスが何か出来ることはないかと尋ねてきたため、人肌が恋しいと言った結果こうなった。
うん、今回ばかりは国民のみんなに感謝します。本当に有難うございました。あ、決して僕にそう言う気があるわけではなくてですね、国民の罵声で喜んだわけではなく、その結果アリスの柔肌という報酬を勝ち取ることができたことに感謝しているんです。その辺勘違いしないでください。あ、あと僕が女好きの変態だとも勘違いしないでください。ただただ人肌が恋しくなっただけなんです。でももしこの人肌がたけしとかの肌だとしたら、迷うことなくその肌を削ぎます。ええ、削ぎます。
「あんまりくっついてるとアリスも被害を受けるかもよ?」
「それでヴァンさんの痛みを分かち合えるなら望むところですっ!!」
「アリス良い子すぎる」
「はぁ……私の付け入る隙はないなぁ」
ぼそっと聞こえたモニカの声には耳も貸さず、刻々と迫る自宅までの道のりをゆっくり歩み進んでいく。一歩進むたびにアリスの柔らかい肌がぐにょんぐにょんして柔軟にフィットするのが新感覚だった。多分、アリスは細身だから女の子はみんなこんなに柔らかい肌をしているんだろう。
「モニカ、右腕空いてるぞ?」
「消し飛ばすよ?」
「ごめんなさい」
「そんなことよりさ」
一度高く掲げたスタッフを下ろして、モニカは自分のマジックポシェットに目をやる。
「かなり買い込んじゃったけど、今日全部ヴァンの家に置いちゃっていいの?」
「あぁ、全然いいよ。家は大きすぎて空き部屋だらけだから問題ない」
「そっか。でも今日は遅くなっちゃったから模様替えとかはまた今度するのね」
「そうだな、今日は疲れた」
「ヴァンさん、模様替え私も手伝っていいですか?」
「あぁ、というかアリス主体で進めようと思ってたし。レイアウトとか気にしないタチだからいろいろ教えてくれよ」
「はいっ、任せてください!!」
「女の子っぽくても全然構わないからな」
「どうせですし、私とヴァンさん両方の好みを取り入れたいですね」
密着し合ったまま会話は弾む。あぁ、こんな楽しい会話はいつ以来だろ。生まれてこのかたなかったかも。
「そ、そ、それよりさっ」
少し前を行っていたモニカが振り返る。どこか落ち着かない様子でうつむき加減の彼女は腕を組んで胸まで伸びている髪を弄る。
「私たち、三人それなりの力もあるわけだし、例のクエストもう大丈夫なんじゃない?」
「例のクエスト…………あっ、そういえば」
モニカの言葉で今まで忘れていた重大なことを思い出す。僕は勇者としての最初の目的、凶暴モンスターの討伐目指して頑張っていたのだった。なんかいろいろあって忘れていたけど、そういえば僕にとってもモニカにとっても穏やかではないこの現状を打開すべく、まずは結果を出そうとしていたのだった。
何もパーティ作って僕の話し相手を確保するのが目的ではなかったんだ。危うく、勇者ということを忘れてアリスとのほほんとした生活をおくるところだった。
「それもそうだな……僕の方はちょっとまだ心配だけど、三人で連携できればいけるかもしれないな」
「例のクエスト……?」
「ヴァンが勇者としてこなす最初のクエストのこと。凶暴なモンスターがターゲットだからできるだけ複数人で挑みたかったの」
「勇者としての最初のお仕事ってことですか……私、全力でお手伝いしますっ!!」
「アリスの強さはどんなもんなんだろうな?」
「うーん、そうね。少なくともヴァンよりも私よりも強いことは確かね」
「マジか」
モニカよりも強いとなると、相当な気もするが。
「レベッカとはどうだろう?」
「多分……レベッカと同じくらいじゃないかな」
「レベッカと同じ!? あのレベッカと!?」
「それってすごいんですか……?」
「かなりすごいよ……だって単純に考えれば僕が数人死ぬ程の力があるってことだからね」
「とりあえず、達成可能圏内だということは分かったし、これから暇があるときは連携の練習でもしましょう」
「そうだな、よし、なんだか気合入ってきた」
「お、お役に立てるように頑張ります!!」
■
家に着いたのはもう午後九時くらいだった。アリスがくっついていた右腕だけは暖かいが、それ以外の箇所は少し肌寒い。
家の立地場所が少し高いこともあって、見下ろす限りには大草原が広がる。と言っても、夜には一面黒く染まり、見えるのはコボルト村の小さな光と、草原に点在している街灯くらい。しかし、それがまた情緒ある風景で、王国でも割と穴場なスポットだ。
「こうみるとやっぱり草原は広いなぁ」
「それはそうでしょ。王国の領土の約半分が大草原なんだから」
「あの遠くに見えるのは何ですか?」
アリスは遠くに小さく光る明かりを指差した。見下ろすというより、まっすぐ前に小さく明るむそこは王国の外。
「あそこは王国への入口、国境門だよ。あそこを出ればもうそこは王国の領域外。基本的に王国民は王国から出ることは少ないから未知の領域って感じだよ」
「王女の私でさえ、他国とのやり取りは大仰なものでない限り王国内でなんとかなるからね。逆に言えば、他国からしてみれば王国と隔てられた最強最大の壁ってところね」
「門なのに明るいですね」
「あそこは門とは言えど、ちょっとした要塞級の門だからなぁ。駐屯している兵はザッと数千人規模だし、設備も王国には劣れど、他国と比べれば引けを取らないって話だよ」
「門なのに国レベルなんて……やっぱり王国はすごいんですね」
「まぁその分、治めるのはすごく難しいんだけどね」
一息ついて誇らしげに大門を眺めるモニカ。考えても見ればそうだ。これだけの広大な領地を有し、それを運用、保持していくことができているのは間違いなくモニカたち王宮の人々のおかげだ。この広大な土地を見て、また立派な門を見て、それを再認識した。
「……やっぱり王女ってすごいんだな。それに比べれば僕なんて大したことないや」
「うん? 何か言った?」
「だからさ、これからもがんば――」
「ヴァンさん、モニカさん」
少し改まって、らしくもない恥ずかしいことを言おうとした瞬間、アリスが神妙な面持ちで、精悍且つ鋭い目つきで遠くの方を見つめたまま小さく呟いた。
「あれ……なんでしょう。明かりではなく、大草原で朧ろに揺れるあの影」
低く落ち着いた声色に、僕もモニカも背筋が伸びる。しかし、アリスが指さす先には漆黒の広がるばかりで揺れる影など見えない。
「……何も、見えないぞ」
「同じく、私にもさっぱり……」
「なんだか、嫌な予感がします」
そこに、買い物の際中のおどおどしたアリスの姿はなかった。あるのは、獣の如き鋭い瞳と、風に靡く長髪が優雅で気品高ささえ思わせる別の姿だった。鈴の音のような声色とともに、彼女の双眸はより鋭さを増していく。
「少し……離れていてください」
そういった直後、一瞬反応が遅れた僕はモニカに覆い被さられる形で身を屈めた。
アリスは両腕を広げ、目を閉じていた。髪の動きは段々と激しくなっていき、着ていたワンピースも尋常ではない動きで暴れだす。
「えっと……一体何が起こっているんですかね?」
「変身よ。真の姿にね」
落ち着た声色のモニカとは打って変わって、僕はすごく動揺していた。だって突然女の子が少し浮いて風を纏いながら眩い光を放ち始めたのだからそれは驚くよ。最初、何か悪いものでも食べたのかと思ったよ。でも食べただけで風を纏って光を放てるならちょっと食べてみたい気もする。
くだらないことを考えていると、突然今までとは比べ物にならない暴風が吹き荒れ痛みさえ感じる。
「おい、モニカ大丈夫か?」
「大丈夫だったらこんな風に屈んでいないでしょ」
「そうじゃなくて。顔上げてたら痛いだろ?」
「だって顔下げたらその……ちか、ち、近すぎるし」
「そんなこと言ってる場合か」
「え――きゃっ!?」
逡巡するモニカを無視して無理やり顔を下げさせる。僕の顔と交差するように僕の片付近まで寄せる。
「ちょ、ちょっと、何ドサクサに紛れてワイセツ働いてるのッ!?」
「大丈夫大丈夫、不可抗力だから」
「完全に意図的じゃない!!」
「あのぉ……」
いつの間にか治まった風の代わりに、凛とした声が二人の耳に響いた。慌てて起き上がるモニカ。
そこにいたのは、人間の姿を失い、四足で地に立つ気高きコボルトだった。響く声色に似つかわない雄々しい姿の獣は、どこか気まずそうな表情をしているように思える。
「あ、も、もう変身終わったんだね」
「変身ってわけじゃないんですけどね……」
少しおどおどした口調はそのまま、彼女は小さく呟いた。しかし直後、聞こえてきた声は打って変わったものだった。
「そんなことより、あれ。見えますか」
さっきからアリスが言っていた影、その行方を追うように鋭い瞳が闇夜を切り裂く。
「やっぱり何も見えないぞ」
「そうね……残念ながら何にも」
「大草原に見たこともない魔物がいます。それもかなり大きい」
そう言うアリスは表情一つ変えずに言葉だけを続けて紡ぐ。
「あの方向は……村、だと思います」
大きい魔物、村への移動、それだけ聞くとかなりマズイ状況のように聞こえる。しかし、ここは王国の領地。魔物の横暴が蔓延る隙はない。実力には折り紙つきのギルドメンバーたちが迅速かつ速やかに事態を収拾するだろう。
そう、適当に思っていたが。
どうやらモニカはそうは考えていなかった。
「……アリス、そいつの形とか分かる?」
「人型です」
「…………」
暫しの沈黙。たまらなくなった僕は声をかける。
「なにか思い当たるのか?」
「凶暴なモンスター討伐のクエスト、その討伐対象かもしれないのよ……そいつが」
「……まさか。そいつは住処に留まっているんじゃなかったのか?」
「さすがにクエスト詳細は読んでたんだ。そう、その通り。だけど、今大草原に大型のモンスターがいるのは考えられないのよ」
「そうなんです。今日の買い物の時にモニカさんに言ったんですけど、大草原にコボルトがいる間は取り敢えず安泰なんです」
「それはまた何で?」
「コボルトって、大型の魔物からしたら煙たがられる存在なんです。習性とか、行動とか、その全てが嫌われているんです。さらに言えば私の下で生活してきた子ですから、その辺は自分らの命を守るために強化されているんです」
「ということは、あそこにいるらしい大きな魔物っていうのは規格外っていうことなのか」
「村に着いたらそれこそ一大事ね、これは王女としても見逃せない。ね、せっかくだし今倒しに行かない?」
「いやぁ、連携も取れないのにそれはどうかなぁ……そもそもギルドが行けばいいんじゃ……」
「ヴァンさん、勇者たるもの、今こそ戦うべきじゃないですか?」
「その通りだよね、うん、行こう!!」
出ました、定番の楽観的勇者。うん、やっぱり嫌いじゃない。ぼくはもしかして楽観主義者なのかな?
「この勇者、ドサクサに紛れて殺しちゃおうかな……」
「そんな聞こえる大きさで言ったらドサクサも何もないと思うんだけどなぁ」
「私の背中に乗ってください、すぐ着きますよ」
腰を下ろしたアリスの背中に二人で跨る。ふさふさの毛皮がめちゃくちゃ心地よい。
「じゃあ行きますよッ!!」
「モニカ、俺の腰に手回してもいいよ?」
「首に回して絞めるのは?」
「王女としての自覚があるなら止めた方がいいと思うよ」
「うーん、じゃあ絞める!!」
「おかしいだろッ!?」
そんな他愛もない会話は、夜の空に吸い込まれるように消えてく。闇を駆けるアリスはその会話を聴いていながら、だけど頭には入ってきていなかった。彼女にはもう一つ、気になることがあったのだ。
あのモンスター、様子がおかしかったような気がするんですよね……。
そのざわざわと急かす胸の衝動にそのまま答えるように、彼女は一陣の風のごとく夜を切り裂いた。
一方でその頃、村の入口には一人の少女が同じく胸の霧を晴らすべくして、夜の光を堪能していた。
いつも通りの輝き、いつも通りの落ち着いた感覚、いつも通りの夜の匂い。ただ一つ、肌で感じる空気の質だけが、彼女に違和感を抱かせていた。
「うーん、さっきから鳥肌がたっちゃうなぁ。どうしてだろ、あんまり寒くないんだけど」
肌をさすり、気のせいだろうと思ってまた夜空を仰ぐ。周りに明かりがなく、星はとても映えて見える。
だけど、星の明かりは地上を照らすほど強くはない。彼女が見る世界は煌めいていても、彼女のいる地上は闇に飲み込まれているのだ。
星の輝きを活かすために、意図して選んだ暗闇。そんな場所では、闇に紛れた朧ろな影の存在など微塵も感じない。分からない。
既にその影は、彼女を視界に捉えているというのに――
星空の下、星々を仰ぐ少女の周りは、村で育てられた甘く、華やかな蜜の香りで満たされていた。
すみません、もうちょっとで終わるんです!!
あと3話位とか言って終わらずすみません!!
次で終わるはずです……多分。




