余韻
「思ってた通り、ヴァンさんはすっごくかっこよかったですッ!!」
その言葉とその時の彼女の笑顔を思いだし、僕は少し幸せな気持ちになりながら家路に就いていた。
今日はすごい一日だった、改めてそんなことを思う。
レベリングのためにダンジョンに行き、学習能力の高いコボルトが戦術的撤退を強いる展開に。
このままだとレベリングどころではない、そう考えた僕は無理を承知で、いや、ただの慢心かな、まぁそんな感じでかなり奥へと踏み入っていく。奥へ行くに連れて道は荒れ、狭まっていって。
そこで出くわしたコボルトは今までのコボルトを凌駕した強さで、一戦交えただけでその違いに驚いた。
知能も数段上のそいつは、地理的条件を活かしたコンビネーションで怒涛の猛攻を仕掛けてきた。それどころか圧倒的な強さの次は、圧倒的な数。想定十数体という群れで迫り来るコボルトに、僕は一種の覚醒を見せた。
絶望的な逆境に立ち、全身の体毛が逆立つような感覚に囚われた僕は、気付けば並を御していた。
平凡を逸脱した、当の本人でも良く分からない挙動と攻撃で僕は次々とコボルトを蹴散らしていった。
粗方制し終え、ついにボス『コボルト・エグゼクティブ』の待つ最深部へと向かった僕は、そこで今日一番の奇跡とも言える体験をすることになる。
「……今でも、冷静になってみると信じられないよなぁ」
ため息をついても何も変わらなくて、理解の度合いも上がるわけがなかった。士官学校時代、僕が親しくなったコボルトが『コボルト・エグゼクティブ』のいるはずの大広間に居座っていた。神々しいまでの風貌をしたそいつは僕と話して夢を持って、人間になりたいと望んでしまっていた。
僕みたいな人間が夢を与え、不可能な望みを授けてしまった。その事実に僕は少し戸惑ったのだけど。
作り話でしかないお伽話の再現をしたところ、彼女は見事人間の少女、アリスとなった。
光を失い、生きる世界を見ることすらできなかったその双眸は、僕のスキルで完全回復に至って、これでもかと言うほどの涙をこぼしてその光を受け入れ、歓喜していた。人は本当に感動すれば、これほどまでに涙が出るのかというほどに、おいおいと泣いていた。同時に、彼女は初めて見たその世界に感動し、一場面、一場面を目に焼き付けるかのように輝く双眼を忙しなく動き回していた。
「あのときの光といい、なんだか調子良すぎないかな……ちょっと後々ありそうなしわよせが怖い」
こんなときでも素直に一喜一憂できない僕は、やっぱり屁理屈が得意な人種なんだと思う。そんな自分が割と好き。
「今日は取り敢えず祠で最後のひとときを仲間たちと過ごすって言ってたけど……ということはそれからは僕の家に住み着く気か」
あんなに綺麗な女の人なら大歓迎なんだけど、いろいろ問題はある。
基本的に、こういう状況に陥ったら取り敢えず喜ぶ前に問題提示するのがお約束で、それを聞いた奴らは
「そんなの悩む要素無いだろッ? そんな可愛い子、さっさと同居しちまえば良いじゃねぇか!!」
と、決まって大声を張る。
でも、一つ言わせてください。
「そんなに世間は甘くねぇから!!」
はい、ご静聴有難うございました。いや、だからね。考えてもみて欲しいんだよ。
例えば、絶世の美女が突然僕の家に住むことになったとするよ。ここまでいい? それでさ、最初に何考える?
「……ぐへへ」
ってなった奴はろくな奴じゃない。これ確定。
確かに下心も見え隠れしたりというか隠れないで見え見えだったりもうそれどころかモロ見えだったりするけどさ、でも冷静になってみればいろいろ考えるべきことがあると思うの。
まず、裏。
何かあるって考えるよね。そんなに世間は甘くないし、神様もそんなにお人好しじゃない。警戒が解けないっていうのにどうしてそう簡単に自分の家に上がらせるの? バカじゃないの?
次に体裁。
特に僕の場合は顕著だよね。僕みたいな嫌われ者があんなに可愛い少女と同居したらどうなるか。それは火を見るより明らかで。
「火炙りだ……」
僕だけで被害が済めばまだ御の字。下手すれば彼女にも下衆な輩の汚い手が伸び寄ってくるかもしれない。それだけは避けたい。
最後にプライベートタイム。
僕みたいな人間には、ひとりの時間がめちゃくちゃ重要だったりする。そりゃあ、罵倒され続けている
手前、話し相手や安らぎの対象は必要不可欠なんだけど、同居となるとどうしても夜のプライベートタイムを侵されることになる。いくら同室にいなくても一つ屋根の下にいるだけで緊張するってものだ。リラックスどころではない。丁度良い長さの会話が大事なのだ。
「……どう対応しようかな」
モニカ、王室一つくらい貸してくれないかな。僕に協力するって言ってたしな、懇願すれば何とかなりそう。ともすれば、懇願の勢いが大事だろうな。まぁ当然土下座だろう。一番無難で一番効果の大きい謝罪。
「最近土下座なんてしてないからな……フォームがうろ覚えだ」
周りに人がいないことを確認して、大草原から王国に入って直ぐの街道で地べたに膝をつく。ほんのり吹く風と、背中を照らす橙の輝きが哀愁を漂わせる。これは土下座に最適と言えると思う。多分。
「すぅーはぁー」
無駄のない洗練された動きを意識しつつ、僕はコンパクトにまとめられたキューブをイメージした形で頭を地につけて――
「どうかよろしくお願いしまぁーす!!」
「え、キモ、何それ……しんでくんない?」
「…………」
――確認したはずの前方には、目上で切り揃え、首上でボブヘアにまとめた茶髪の女性が、蔑みと嘆きと絶望と失望と殺意を織り交ぜて二乗したような何ともえげつない視線で僕を見下ろしていた。
「いや、だからさ、しんでって」
「…………」
僕は、土下座終了直後の体、顔面は上方を向いて女性を見上げているというこの体勢から、右方向に半回転、仰向けになる。次に下半身を持ち上げて反動をつけて、両手を顔の両脇から地につけて、地面に力を注ぐ準備をする。そこから下半身を振り子のように思い切り振って思い切り地面を手で押す。足が地面に接触し、続いて上体を持ち上げれば成功……だったが、思ったより体が持ち上がらず、足で得た反動がそのまま地面方向に突き刺さり僕は地に叩きつけられる。いや、何にびっくりしたって、起き上がれなかったことよりビターンって倒れたことだよ。それはもう、綺麗にビターンって、あれ、これ前にもあったような――
「もういろいろいいからさ……しんで、ね? ほら、早く」
「…………」
――もう何も言うまい。凄まじくダサい格好で起き上がった僕は、言葉無しにその場を後にした。女性の視線の圧力は思ったより強く、背中からでも殺気とか色々迸っているのが分かった。だから、僕はそれから逃れるように、唯一の決め場を設けるかのように親指を突き立てて右腕を掲げる。そう、地球の平和を巨大隕石から守った英雄がいたとしたら、その人たちがするポーズを想像して。
「……いてっ」
投石されました。それも結構大きいの。あれ、後頭部から血出てない? すんごく痛いよ。それに今さらだけど、さっきの『ほら、早く』が結構効いた。心が折れる音がした。
俯きがちに地を駆ける。でも僕はめちゃくちゃ成長したんだ、そう簡単には死なないぞ。自分に言い聞かせて、涙の夕日を駆けていった。
■
家に着くまでに、しねと言われたのはその一人だけだった。もしかして、僕の剣士として練度に比例して罵声も少なくなっていくのか?
それなら俄然やる気が出る。勇者の仕事もこなせて、国民の評価も回復できる。これほど一石二鳥に見合う事例は少ない。
その時、家の天窓から鈍い音がした。割れるような音ではなく、歪むような音。
「え~、そこの住人、そこの住人、いるのは分かっている。え~なんだ、あ~……とりあえず、しんだらどうだ?」
歪みの正体は、大音量による音波の伝播だった。なんだか良く分からない人たちが、大きな拡声器のようなもの片手に家の前に綺麗に整列していた。耳に響くハウリングを織り交ぜながら、その行為は一時間近く続いた。
「……っひぐ、ひっ、はぁっ、うっ、うぅ」
泣いてないよ、泣いてない。これはあれだよ、罵声が気持ちよすぎて嗚咽が漏れてるんだよ。いや、それもどうなんだ。
ともあれ、涙が収まったので『パンドラの匣』に向かう。今日の書き込みをしておかなければいけない。毎日続けることが大事だってモニカも言っていた。
「さてさて、まず前の書き込みの閲覧数の方は……」
『閲覧数:24532、コメント数:23442、:しおり数:24500』
相も変わらず、僕の掲示板はうなぎ上りに閲覧数が伸びて行っていた。まぁ、まだひとつしか投稿していないからなんだろうけど、これから先、こんなことが続くのかと思うとやっぱり気が進まない。
「……あぁ、やる気しないなぁ。どうせ書き込んだところでしねの応酬だしなぁ」
二位は勿論、王宮レストランシェフの料理講座。三位に大差をつけての堂々二位。この掲示板の方がよっぽどマシなのに、この掲示板に優っているのが非常に申し訳ない。
「あ……そうだ」
パンドラの匣のキーボードを操作して画面をしたの方へスクロールする。立ち上げられた掲示板の数は三倍近い数になっていて、僕は迷わず一番下の最下位掲示板へとカーソルを向ける。
「たけし……おまえってやつは……」
なんとこちらも相変わらず、不動の最下位を保っていた。閲覧もしおりもほとんど変化がない。二桁に行っていない掲示板はこれだけだ。
『勇者ってウザいよなー。しんでほしいよねー?』
あの野郎、あまりに閲覧数少ないからって俺を餌に使いやがったな!? ふざけやがって、この前は同情した俺がバカだったよ!! 舐めんなよ、ダンジョン踏破した剣士だぞ、かかってこいや!!
渋々といった感じで、あとには引けないといった感じで、いろいろ複雑な気持ちになりながらコメントを見てみる。
『勇者もおまえもしね』
「あ――」
うん、今回は自業自得だと言っておこうかな。かわいそうだけど世間ってこんなもんだよ。寧ろその厳しさをコメントで教えてくれたことに感謝しなきゃ。
僕はそっと、パンドラを閉じた。そして慌てて開け直した。
「ヤバイヤバイ、ちょっと情入れしちゃって自分のこと忘れてた」
僕は、手短に今日あったことを書き記した。勿論、コボルトが人間になったとかそんなことは書かない。もっとありふれたことを記す。
『今日はダンジョンで修行しました。僕の練度も相当上がってきました。今の僕、まぁまぁ強いです。だから、死なないんじゃないかな』
「……よしっと」
今度こそ、しっかりとパンドラを閉じた僕は、有り合わせの陳腐な料理に貪り付く。今日は何度死にかけたか。本当に一歩間違えれば死んでいた場面が幾つもあった。その分、なんだかとても充実した一日であり、何よりアリスとの再開は少なからず僕の心に一筋の光を届けた。
「アリス……あの時に似て、かわいかったな」
一挙一動に幼さが見えた迷子のコボルトは、余分なものなど一切ないような華麗なスタイルに、コントラスト鮮やかなロングヘア。凛々しい顔立ちにツンと伸びた鼻先、ワンピースの下から起伏を作る豊かな胸、それらを支えるには華奢すぎる細脚。その何もが、完璧の域に達していた。
これまで出会った綺麗な女の子、レベッカやモニカも充分レベルは高いが、正直彼女には及んでいない。
モニカは、綺麗な白髪こそ彼女に勝るけど、スタイルが全体的に敗北。胸もすごく丁度いい大きさなんだけど、僕的にはアリスの大きさの方が好み。レベッカは、金髪ショートによく似合う挑発気味な吊り目、きめ細かい白肌、柔らかそうにバトルスカートから見え隠れする太腿など、アリスと引けを取らないスタイルだが、悲しいかな、絶壁。もうなんというか、かわいそうの一言に尽きる。別段、僕は胸に執着しているわけじゃないけど、あれだけギルドスーツをスマートに着れるサイズなのだ、女の子としてもう少し大きさが欲しかっただろうに。僕は全然いけるけど。というか、胸とかそんなに興味ないけど。
……あれ、気のせいかな? なんだか家全体がレベッカの得意技特有の方形範囲内に指定されている気がするんだけど。窓から白い光が見えるんだけど、えっ、えっ、ちょ、えっ、あ、え、まっ――
――閃光が走る。
「…………?」
何故か、家は損害なく、その代わりに家の前の草花が全て消失していた。おかしいな、レベッカはギルドの看板娘でギルドに寝泊りしてるはずなんだけどな。どうしてこんな事が起こるんだろう。おかしいな、気のせいかな?
とまぁ怪奇現象はさて置き、アリスは現時点で僕にとって最高の少女なわけで、僕もちょっとドキドキしちゃってます。
「あー、やばいなぁ、僕がこうそわそわしてる時はろくなことがないんだよなぁ」
布団に潜り込みながら、今日のことを振り返って、明日のことを考えてみる。でも結局はアリスのことに落ち着くので、思考を停止する。
眠りへと誘うのは天使か悪魔か、僕はその使いに身を委ねた。夢に見る景色は良いものかそれとも良くないのか。明日の事は順調に進むのか。
それらは、今宵眠りに誘ってくれる使いによって決まるだろう。あぁ、天使であってください。
半開きの眼で捉え損ねたその使いらしき幻覚は、白き光を纏っているようで――
そんな考えも半ば、僕はその濃密な一日を終えた。
■
「ヴァン、この書き込みちょっと最後が嫌味臭いよ……これは明日が怖いなぁ」
夜中、モニカ王女は仕事を終え、寝支度の片手間ボックスを弄ってヴァンの書き込みに危機感を覚えていた。
「頑張るのはいいけど、無理だけはしないでね……」
その彼女の願いは、満天の星空に吸い込まれて、消えていった。