草原に立つ
王国を出た瞬間は、何とも言えない開放感が体を突き抜けた。
別に王国を出ると行ってもここはまだ王国なのだが、何というかここは王国の庭のような感覚で有り、即ち家を出た感覚に近い。今まで王国、まぁ今で言う家を出たことがなかったとかそういうわけでもないんだけど、なんだか今まですごい狭いところにいて、すごく小さなことで悩んでいたように感じた。
見渡す限りの大草原は、僕の閉じこもった心の窓を勢いよく解き放ってくれたのだ。
やっぱり外はいい。というか、閉じこもっているのはよくない。
外に出れば、必ず何かしらの出来事が起こる。外に出たって何も起こらないじゃないか、という人はただ単に周りに目を向けていないからじゃないかな。いつもいるところから一歩外に出ただけで世界はぐるっと回って物の見方が変わるから、普段なら気にしない出来事もその素敵な本質に気づくことだってできる。
と、僕の『屁理屈』はこんなところにしておいて。
空気の美味しい草原をひた歩く。ここは特にモンスターも出現せず、ゆったりのんびり気楽に進むことができる。
僕たちが暮らす王国『プラトー王国』はとても広大な土地を持つ大国だ。
現王女、モニカ王女は世界中で注目を浴びる史上最年少王女。
さらに言えば、他の国はプラトー王国と比べて領地が異常に少なく、それ故『王国』と言うだけでそれはプラトー王国を指す言葉になっている。
今では他の国から王国に移住する人々が増えており、巷では世界統一目前なんて言われているが、王女にはその考えは無いらしい。
とにかく、モニカ王女が治めるプラトー王国はすごい王国なのだ。
で、その広大な領土の内の一部が、この大草原。名前はなんだったっけかな。大草原でいいや、うん。
この見渡す限りの一面緑が全て王国の支配下ってわけなんだけど、ちょっと規模が大きすぎて良く分かんない。
でもまぁ、そのおかげで僕はこうやって自由にクエストに行くことができるんだけどね。
僕がこうしてダンジョンに赴くのは、かれこれ何年ぶりになるのかなぁ。しっかりとダンジョンに行った記憶は一回しかない。剣士の職業を貰った次の日、同じ同級仲間で地下のダンジョンに行った事を少しだけ覚えている。
僕等は一皮むけ、自分たちが強くなったんだと確信していた。実際は皆、初級剣士にも満たない強さで能力に一切変化なしだったんだけど。
で、まぁ意気揚々とダンジョンに行き、ボコボコにされました。それはもう見事に。なんでここまで攻撃が当たらず、相手の攻撃がこんなにも痛いのかと、その時の僕はそればかり考えていたような覚えがある。
それがトラウマで王国を出て行ってしまった奴もいて、逆にそれを機に貪欲に強さを求めるようになった奴もいる。
一方僕は、例によってこの通りだ。
だから、ダンジョンというものは僕にとってそれ相応に思い出深いものがあるところなのだ。しかも今の僕は勇者。王国を危機から救う英雄、勇者なのだ。
ダンジョンの一つや二つなんのその。級友よ、見ていてくれ。成長した僕の姿を。
「さぁ、着いたぞ」
大草原をひたすら歩くと、土の壁に大きな穴があいているところがある。そこが、今回のダンジョン、コボルトの祠だ。
名前の通り、コボルトたちが住まう祠なのだが、最初からコボルトがいたわけではない。
ここにコボルトが住み着くようになったのは、ある事情があったからなのだ。
それは、かれこれ数年前の事。この大草原にまだモンスターが蔓延っていた頃だ。
蔓延ると言っても、そのモンスターたちは非常に温厚で人が寄っても攻撃はもちろん、ちょっかいすら出してこない。
モンスターの中では非常に珍しいタイプで、衣食住において敵対する存在がいなかったことで攻撃的な面が弱まり逆に大草原を渡りゆく人々に懐くようになったらしいのだ。
そんなペットのようなモンスター達は、王国中の人々から可愛がられ、ますます穏やかさを極めていった。
一方でその頃、プラトー王国は既に王国としての立場は揺るぎないものとしていたものの、その勢力は少し頑張ればほかの国も追いつけるような状況だった。今でさえ絶対的な王国ではあるが、その頃はそこまで圧倒的ではなかった。
だから、追い越せ追い抜けとする他の国々が馬の鼻先に餌を垂らしたように、こぞって追随していたのだ。
でも実際は、その餌が自分の額から垂らされているから、一生かかっても追いつくことは出来ないわけなんだけど。
そんなこんなで、他国は王国を抜こうと、または引きずり下ろそうと躍起になっていたのだ。
そしてその欲望の標的の一つとされてしまったのが、大草原で生息する温厚モンスターだった。
非正規なクエストを発注し、そのクエストに参加した他国の面々がこぞって大草原に武装介入し、無抵抗のモンスターを否応なしに討伐していった。当初、モンスター達は何が起こったのか分からず、驚嘆の最中屠られていったが、次第にモンスター達も自己が置かれた危機的状況に本能が呼び覚まされ凶暴化して応戦する。
その状況を知った王国の民は、ギルドへ抗議に押し寄せ、それに対応したその時の王女がギルドから鎮圧部隊を派遣。
モンスターと人どころか、人同士が斬り合い、撃ち合うという在ってはならない事態となってしまった。
その結果、温厚なモンスターを非正規に討伐したメンバー、並びにクエストを発注したギルドは、職剥奪並びに無期限の営業凍結とされてしまい、大草原には凶暴化したモンスターたちの無残な亡骸が緑を真紅で染めるように
広がる事となり、文字通り最悪の事件となったのだ。
そして、その紛争に辛うじて生き残り、仲間たちの死をむざむざと見せつけられた数少ない生存モンスター達は、大草原を離れ、どこか異境の地へと生活拠点を移していき、それまで賑やかだった大草原は静寂に包まれることとなった。
だから『コボルトの祠』はその紛争を生き抜いたコボルト達が新たに選んだ生活拠点という事になる。
既に温厚な性格は宿しておらず、反動、大きく暴徒化してしまったせいでその祠のコボルトは普通より凶暴性が増すという。
じゃあ、態々なんで危険な祠で鍛練するのかといえば、もちろん美味しい経験を得られるからだ。
僕にはそんなに時間的余裕がないからね。背に腹は変えられないよ。
ちなみに、その大紛争の際、僕は何をしていたかというと士官学校の図書室で読書に勤しんでいたよ。
紛争のことも、話や文献で知っただけ。正直無関心の一言に尽きたよ。
多分、ここで国民からの評価が急下降したんだろうね。
でも、僕以外にもその同時期に本を読んでいた人いっぱいいたんだけどなぁ。その人たちもその事件については無関心だったし、なんで僕だけなのかな。なんか生理的に受け入れられてないのかな。だったらショック2割増だなぁ。
と、まぁそんな歴史があるこの祠。今日から始まる鍛練はここが舞台だ。
一応、事件抜きにしてコボルト関連の思い出がないこともないのだが、それはちょっと思い出したくなかったりする。
「最新部にはボスがいるって言うし、手前の階層でじっくり頑張ろう」
腰から剣を抜き、防具の可動域を確認する。がしゃりと大仰な音を立てて、臨戦態勢に移行する。
「さぁ、どこからでもかかってこいやぁっ!!」
威勢良く叫んだ鼓舞の一言は、祠の中を一気に駆け抜け余韻を残してしばらく響いていた。
■
その頃、同時刻にして祠近くの村ではせっせと農作業に勤しむ人たちで賑わっていた。
まだ大草原にコボルトが生息していた頃、そこがコボルトの寝床だったこともあって、その村はコボルト村なんて呼ばれをしていた。村長もその頃にコボルトと毎日草原を駆け巡り愛情の限りを尽くしていたこともあってその名は正式な名として登録されている。
「最近は祠のコボルト達が落ち着かない様子でなぁ。この間も夜にギャンギャン騒いどった」
「もうあの事件から相当経つでのぉ。あのコボルト達がどうなっているのか、少し気になるが……」
この村は、主に家畜業や畑作、総じて農業で生計を立てており、特産品を諸外国に売り出すことで村の存続を実現している。
だからこの村には戦闘することのできる人が少ない。そもそも必要ない。
以前は祠も貴重な鉱山資源が得られる場所として、力自慢の男たちがピッケル片手に良く趣いていたのだが、今では祠は危険な場所として村で立ち入りを禁止している。
だから、コボルト村などという名前を掲げていながら、現在のコボルトとの関係性は皆無なのだ。
その問題には、村長も苦悶の表情を浮かべる他なかった。
そんなちょっとした、しかし由々しき問題を抱える村で、一人の少女はいそいそと農作業に勤しむ。
肩ほどまでに切り揃えられた栗色の髪は、ボブヘアーという彩りで飾られ、その細い体躯に似つかわしくない薄緑色の作業着を着込み、土をえっちらほっちら耕していく。その目に映る輝きは乏しく、農作業を彼女がどう思っているか如実に物語っている。
「あー、つまんないなぁ」
この村に少女と同じ年頃の人はいない。だから年相応に遊ぶこともできず、だからと言って反抗するまででもないのでこうやって家族と土を耕す日々。別段不満ではないが、満足もしていない。
刺激を求めているわけでもない、青春を求めているわけでもない、平和を求めているわけでもない。
ただ満足したいという、酷く抽象的な自身の欲求に彼女はここ最近しばらく苛まれている。
でもやっぱり、ご飯は美味しいし、村の人たちは優しいし、空気は綺麗だし、このままでも……と思ってしまう。
「これって贅沢病なのかなぁ……同年代がいないからそれすら分かんないよ……」
鍬を握る手は依然として弱々しく、振り上げた際の腰つきは非常に危うい。女性らしさを完全に失わせる作業着からでも全身がぷるぷると震え、彼女の精一杯の努力がひしひしと伝わる。それを村人たちはしっかり感じ取っている。
「……頑張り屋さんだぁなぁ」
「時には女の子になってもいいんだけど、そもそもなる理由がないんだよなぁ。辛い思いさせちまって申し訳ねぇよ」
王国とは違った抑揚で話し合う農夫たち。彼女が村一番の頑張り屋さんで、それを絶対に周りに感じさせない謙虚さを兼ね備えているということを、この村で知らない者はいないのだった。




