五章・竜と未来とただの剣士(5)
三柱教の総本山シブヤ。その中心に建つメイジ大聖堂の教皇執務室へ僧侶が一人、血相を変えて駆け込んで来た。
「きょ、教皇聖下! ベロニカ殿が……正裁の魔女が例の神子達に敗れアイビー様の手で捕らえられたと報せが! しかも、十年前のメイジ大聖堂への放火の真犯人だったと自供したそうです!!」
「……」
予想通り。やはりあの娘では勝てなかった。放火の真相を明かしたのは意外だが、教皇ムスカリは報告を受けても動じることなく、ただ一言「下がりなさい」と返す。
「はっ、いや、しかし……」
司教はムスカリの前に立つ二人の女に目を走らせ、逡巡する。
「良いのです。彼女達は私に危害を加えたりはしません」
「わ、わかりました……」
そして彼が出て行った後、ムスカリは改めて目の前の二人に話しかける。
「あなた方の言った通りになりましたな」
「私達のというより、アイビー様の思惑通りです」
目を伏せるロウバイ。彼女もあの手紙で呼び出された時点では知らなかったのだ。師の本当の狙いを。
「まさか七王会議さえも、私と彼女を動かすためのペテンだったとは」
「いやあ、本当に怖い怖い」
苦笑するクルクマ。彼女も今回の一件にアイビーから要請され協力していた。主に虫を使った監視役として。ベロニカが動き出したことをビーナスベリー工房に伝えたのは彼女である。
そして、それからすぐにロウバイと共にこの地まで赴き、教皇と接触した。アイビーの真意を伝えるために。
まあ、流石にロウバイの名声をもってしても簡単には通して貰えず、こうして直に対面できるまでに結構な時を要したが。その間にタキアでの戦いは終わったらしい。
「それで……」
必要な書類へのサインを終えた彼は、ようやくペンを置いて二人の魔女を見つめる。
「私に、何をどうさせたいのかね? どうせベロニカに神子の始末を命じた証拠は揃えてあるんだろう?」
「ええ、まあ、たしかに用意してあります。ただ、無駄になったかもしれません。放火のことまで自供したとなると、多分あなたのこともあっさり白状するでしょう」
「だろうな」
あの娘の三柱教への忠誠心だけは本物だと思っていたのだが、随分簡単に心変わりしたものだ。それとも、そうなるだけの何かが向こうで起きたのか。
「あなたは動じませんね、教皇聖下」
「……私は、もう諦めていますから」
ロウバイに問われ、彼もまた本音を明かす。教皇になった直後、世界の真実を知ることになった。崩壊の呪いについてと、おそらくはまだ新たな神子達でさえ知らないことまで含め、全てを。
そしたら馬鹿らしくなった、何もかも。どれだけ努力しようと、どんな熱意を抱こうと、何もかも消え去る前の泡沫の夢でしかないことがわかったから。
そんな彼をロウバイは哀しげに見つめる。
だが、やがてその麗しい唇から要求を紡ぎ出した。
「新たな二人の神子の認定を。そして二人とわたくし達に、聖域へ入る許可を」
「ヒメちゃんの懸賞金も取り下げてください。メイジ大聖堂の放火は冤罪だってわかったんでしょう?」
彼女達の要求にムスカリは順に回答する。
「神子の認定は了承しよう。あのベロニカを倒した時点で並の人間でないことは明らかだ。アイビー様が認めている以上、聖域への通行も問題無い」
ただ──
「ヒメツルの赦免は難しい。大聖堂への放火は冤罪だったにしても、彼女は他に多数の罪を犯している」
「いや、そこは新たな神子の母親だからってことで、どうにかなりません?」
「彼女の被害者にはいまだ有力な貴族や商人が多い。聖騎士団の恨みも深い。だが正式な神子となることで娘に対し狼藉を働こうと考える者はいなくなるだろう。今はそれで満足したまえ。どうせ支障あるまい? ヒメツルなど、もうどこにもいないのだから」
「へえ……」
クルクマの首に汗が一筋伝った。ただのやる気の無い男かと思っていたら、この教皇は意外と切れ者らしい。
(まあ、そうでもなければ若くしてこの地位にいるわけはないか)
ムスカリはまだ五十二。教皇に就任したのは八年前、さらに若い時だった。この年齢でここまで登り詰めた人間は歴史上、他に存在しない。
──もっとも、最初期には美しく魔力の強い乙女が“主神代理”として崇められていたそうなので、当時を含めるなら話は別。アイビーは当時の神殿の一つで生まれた第二世代の代理候補だったらしい。
一つを除いて要望は通った。実際ヒメツルの赦免には無理に押し通すだけの価値は無い。食い下がってこじらせるより、この場は納得すべきだろう。そう判断したクルクマは軽く頭を下げる。
「わかりました、赦免についてはまた改めて」
「機会があればな」
「では、わたくし達はこれで失礼いたします」
そう言って立ち去ろうとする二人。
それをムスカリは呼び止める。
「待って下さい」
「なんです?」
「私の罪は問わないのですか? あなた方の手には今、私をこの椅子から引きずり下ろすのに十分な証拠が握られているはずだ」
もちろん今すぐ断罪されることはないだろう。まだ口約束だけで本当に契約を果たしたわけではない。
しかし、いやにあっさり帰ろうとするのが気になった。この魔女達には自分をどうこうするつもりは無いというのか? 何故?
するとロウバイは改めて険しい表情を彼に向ける。おかげで一瞬、学生時代に戻った気がした。
そう、あの暑い国で学友と競い合っていた若き日に。
「自分の為すべきことは自分で考えなさい」
「先生……」
「ですが、わたくしは覚えていますよムスカリ。あなたが三十年前、国を出る時に語ってくれた夢を」
「……」
「スズランさんの戦いには多くの仲間が必要です。それは別に前線で戦う戦士に限った話ではありません。後方から彼女の背中を守り、支えること。それも大切な戦い。あなたのかつての夢も人々の心の支えになることだった」
だからと、彼女は一度だけ微笑む。
「自分で決めなさい。もう一度夢を追いかけるか、諦めて投げ出すかを。これはわたくし個人のわがままです。少しばかり猶予をいただきました。結論が出たら再び会いに来ます。その時どちらにせよ一緒にアイビー様に謝りましょう。もちろん、スズランさん達にも」
「……はい」
今はまだ結論を出せそうにない。けれど考えてみよう。ムスカリはかつての恩師を前に小さく頷く。
それから数日後、教会は新たな神子が二人現れたことを公表した。
「お母さん!」
私達が村へ戻ると、お母様は家のベッドの上に寝かされていました。周りにはトナリの街のお医者様と、連れて来て下さった三つ子さん。レンゲおばさまとモモハルとノイチゴちゃん。そしてメカコとウメさんがいます。
「大丈夫!? なんともないの!?」
「平気平気、モモハル君が治してくれたおかげでピンピンしてるわ。あたしも、このお腹の子もね」
「ちゃんと検査してみたが実際なんともないよ。よかったね」
母とお医者様の言葉を聞いて、私はモモハルに駆け寄り、抱き締めました。
「ッ!!」
「モモハル、ありがとう! 本当にありがとう!!」
「え、えへへ」
この子、なんだか昔と抱き合った時の反応が変わって来ましたね。
それはともかく、私は再び母の元へ。
すると母は、いきなりごめんねと謝ります。
「えっ? 何が?」
「今まで黙ってたこと……いつ話そうか迷ってたんだけど、お母さん、実は春にイマリに行った時、ロウバイ先生に診てもらってたの。
ほら、前にスズが言ってくれたでしょ? 遠慮しなくていいよ、むしろ弟か妹ができるなら大歓迎だって。だからね」
あ、モミジの植樹を終わらせた後のことですね。今ならもう不妊症の治療を受けられるだけの余裕があるんだし、私に遠慮しないで受けてみたらと提案したのでした。
でも、そうですか、ロウバイ先生に治療してもらったのですね。たしかに、あの人ならそういったことも出来そうです。弟子のスイレンさんだって医師免許を持っているという話ですし。
でも、妊娠については──
「知ってたよ。ロウバイ先生に治療してもらったのは初耳だけど、お母さんが妊娠してることには少し前から気が付いてた」
「えっ、そうなの?」
「だってお母さん、隠すのが下手なんだもん」
そう言って笑った私に、母も照れ笑いを浮かべて手招きします。
「駄目だよ、今はまだ汚いから。着替えて来るね」
「いいの、そのままでいいからおいで」
「ええっ?」
私、戦い続けて服はボロボロ、全身いたるところ泥と埃まみれですよ? そんな状態で妊婦さんに抱き着くだなんて……。
お医者様に目配せして確認すると、私もたまに診てもらうおじいちゃん先生は苦笑しながら頷きました。
「構わんよ。さっきも言ったが驚くほどに健康だ」
「じゃあ……」
おずおず近付いて行くと、母はガバッと私を抱き寄せました。その胸と腕のぬくもりに、自然と体の力がスーッと抜けていきます。
「スズ、あなた、お姉ちゃんになるのよ」
「知ってる……もう、弟の顔も見たんだから」
「えっ? それって予知?」
「うん。教えちゃ駄目だった?」
「う~ん……楽しみが一つ減った気はするけど、でもいいわ。それならそれで赤ちゃんの服を用意しやすいだろうし、名前も先に決めておけるもの」
「そうだね、名前はまだわからないから楽しみ」
「ね? どう? 可愛かった?」
「えっとね……」
私はチラリと目を開けて周りの表情を確認します。
お医者様、ウメさん、三つ子さん、おばさま、モモハルとノイチゴちゃん、そして私と共に戻って来たクチナシさん。メカコまで前のめり。
みんな、ワクワクした表情で私を見つめています。なんですのもう? そんなの答えは決まってるじゃないですか。
「すっ……ごく、すっごくすっごく可愛いよ!!」
「そっか!!」
ワッと沸き立つ皆。満面の笑みのお母様。その母のお腹に耳を当て、私は心の中で呼びかけます。
待ってますからね。
皆で楽しみにしていますから。
焦らず、ゆっくり大きくなりなさい。
私の大切な弟。
お姉ちゃん、その日のために頑張りますわ。
「……あら、この子ったら寝ちゃった」
「なんだか色々あったようだし疲れたんじゃろう。どれ、手伝いなレンゲ。それとそこのお嬢ちゃん。アタシらで風呂に入れて綺麗にさせてやるよ」
「えっ? ちょっと待って、クチナシさん女の人なの!?」
「ええっ!?」
「何を驚いとる? どう見ても骨格が女じゃろうが。ほれほれ他は散った散った。医者とメカコさん以外は、さっさとお帰り」
「おおい! ソコノ村に行った連中が帰って来たぞ! ソコノ村の生き残り達もおるから、なんぞ炊き出しでもしてやろう!」
「やれやれ、今日は忙しい日だね」
「ウメ様、カタバミ様、私はあちらを手伝ってまいります」
「あたしも行くよ!」
「アンタは寝とれ!」
「妊婦が無理しないの。わたしの時も手伝ってもらったんだし、今度はカタバミがじっと我慢する番よ」
「ううう、性に合わないなあ」
……そんな、賑やかな喧騒を聴きながら眠り続ける私。次のさらに大変な戦いの予感を胸に抱きつつ、今は静かに回復に努めるのでした。
温かい母の腕の中で──




