五章・竜と未来とただの剣士(4)
あの頃の私は、その汚名を、むしろ喜んで受け入れた。
(自由が欲しかったんです……誰にも縛られない人生が。そのためにはゲッケイのように人々に恐れられる存在でいた方が好都合だと考えた)
でも、この判断が結果的に彼女をより追い詰めることになってしまった。今さらながら己の過ちに気付きました。
映像が真っ暗になり、代わりに声が響き渡ります。閉ざされた小部屋にいるかのような甲高い反響音を含んで。
『何故……どうしてあの女は本当のことを言わないの? なんで私が大勢を殺した真犯人だって告発しようとしないの?』
『自分で真実を言う勇気が無い。今度こそ殺されてしまう。アイビーに見つかり、正体が明らかになって消されてしまう。そしたら、お父さんとお母さんの最後の願いを果たしてあげられない……』
『でも苦しい……嘘をつき続けるのは苦しい……助けて……ヒメツル、助けて……本当のことを言ってよ』
『私を脅したいの? いつか脅迫するために今は口を噤んでいるの?』
『どこへ行ったの……どうして消えたの……私を放っておかないで……私の罪を……貴女だけが知っている、それを誰かに語って……』
「これは、オトギリの心の声?」
「こんなものまで再現できるなんてね」
『あいつ……あいつを殺さなきゃ。ヒメツルを殺さなきゃ』
『誰にも喋られないうちに口を封じるんだ。この手で確実に葬ってやる』
『私は生きる……絶対に生き延びる……お父さんのために、お母さんのために、先祖達が遺してくれた、この技を誰かに伝えるために……』
そこで完全に映像と音声が途切れました。十分経ったのです。銀の煙自体が消失を始め、やがて社長は気絶したままのオトギリを見て呟きます。
「竜の心臓が消えた。おしまい」
「良かった……」
今度こそ安心だと座り込むナスベリさん。クチナシさんもその隣に腰かけ、ポンポンと背中を叩きます。
私は社長に訊ねる。
「彼女の魔素を操る技術は……」
「ええ、彼女の一族が四百年かけて編み出したものよ。この世に絶対存在してはならない技術」
「どうしてですか?」
たしかに魔素は危険なものです。それはわかりました。でも、それなら──
「魔素の利用を禁じているなら、どうして、ビーナスベリー工房はあの装置を製品に組み込んでいるんです?」
「逆よ。魔素が危険な物質だから、あれを世界中に拡散させる必要があったの」
「えっ?」
「スズちゃん、さっき社長が言ってたでしょう。あの装置はね、魔素に保存された記憶を魔力に変換してるの」
「あっ」
そうか、そういうことだったのですね。だから誰かに解析され利用される危険を冒してまで、アイビー社長達はあの装置を自社の製品に組み込み販売し続けている。
「魔素そのものはね、別になんでもないの。ただの記録媒体だと思えばいい。問題はそこに保存されている記憶の方。それが再現されて記憶災害が起きるのを防ぐためには、常に記憶を魔力に変換して消費し続けるしかない」
アイビー社長は、魔法使いの森が長年その役割を果たしていたのだと言います。
「森の結界は魔素から抽出した魔力によって維持されている。あの森は世間から魔法使い達を保護するためのものであり、同時に記憶災害から世界を守る要ということ。だから結界を破られると本当に困るのよ。わかった?」
「あのことはもう許してくれたはずでしょう!」
一年近く前のことを蒸し返さなくてもいいじゃないですか。第一、ゲッケイの隠し倉庫に入るためにソルク・ラサを使おうって言ったのはクルクマですわ!
「冗談よ。さて、今度こそあの子を……って、嘘でしょ?」
「えっ……」
嫌な予感がしてアイビー社長の目線を追いかけると、想像通り、またしてもオトギリが立ち上がっていました。幽鬼のような表情で私達二人を見つめています。
「アイ……ビー……ヒメ、ツル……」
「その執念にだけは感服するわ」
嘆息して自分から近づいて行こうとする社長。森がざわつき始めます。自身の手で決着を付けるつもりでしょう。話を聞くに社長も彼女とは因縁があるようですから。
けれど、その肩を掴んでそっと後ろへ引き戻す手。クチナシさんです。
「……」
ニコッと微笑み、腰の後ろから短剣を引き抜く彼。逆手に握ったまま無造作な足取りでオトギリに歩み寄って行きます。
ふんと鼻を鳴らし、社長はその背中を見送りました。
「いいわ、任せてあげる」
「えっ!? ちょ、いいんですか?」
いくら強いと言っても剣士ですよ。しかも例の剣を失ってしまいました。それともあの短剣も強力な魔道兵装?
もちろんオトギリも弱っています。誰にやられたのかわかりませんが私と戦った時点ですでに傷だらけでしたし、私が一度窒息させた上、その間にドラゴンの核になって戦ったので体力も魔力もかなり消耗しているでしょう。実際魔力に関してはさほど脅威を感じません。ほとんど気力だけで立っているような状態です。そもそも魔力封じの手枷も嵌ったままですしね。
それでも、彼女にはまだあれがあります。魔素を操る力が。
だからこそ魔素を吸収できるアイビー社長が適任だと思うのですが……ナスベリさんも心配顔。
「社長、疲れたんなら私が」
「誰がこのくらいでへたばるもんですか。舐めんじゃないわよ小娘。いいから見てなさい、畑違いでも勉強にはなるでしょうよ」
どういう意味? 私とナスベリさんは顔を見合わせます。
「あれはね、貴女達とは別の意味でのトンデモよ。ホッカイの片田舎で生まれ、絵本の中の剣士に憧れて木の棒を握った。切っ掛けはたったそれだけ。
それだけのことから、純粋に剣技だけで“善の三大魔女”の一角に数えられるほど成長した女なんだから。伊達に“静剣の魔女”なんて呼ばれてないわ」
……はい?
「え? 今なんて?」
「剣技だけ? 魔法じゃなくて、純粋な剣技!?」
「いや、それより魔女? クチナシさん、女性でしたの!?」
「……」
私の声を聴いた彼女が一度だけ振り返り、手話で問いかけてきました。
“おっぱい揉む?”
「揉みません!!」
「相変わらずの変態ね。それでいて顔と腕がいいから始末に困る」
「なんなんですか、あの人!?」
混乱する私とナスベリさん、達観しているアイビー社長の視線の先で、遂にオトギリとクチナシさんの両者が立ち止まります。ほとんど同時のことでした。
その距離はおよそ十ヒフ。普通なら剣の届く間合いではありません。でも、私達は散々彼女の剣が離れた標的を切り裂く光景を見てきました。
つまりこれは、どちらにとっても必殺の間合い。
ナスベリさんの凍らせた湖から白い冷気が漂って来て、両者の間に霧のように立ち込めます。
刻一刻と緊迫していく空気に、ゴクリと唾を飲み込む私達。
すっと腰を低く落とすクチナシさん。短剣を腰だめに構えつつ、初めてその唇を動かしました。
「その妄念を、斬る」
喋れますの!? 予想より高い涼やかな声色に驚いた瞬間、霧を貫いて不可視の腕が襲いかかりました。その攻撃の軌道を正確に見極められるのは、おそらくこの場ではアイビー社長だけでしょう。
でも、クチナシさんには関係無かった。オトギリが動くよりもさらに早く、そして速く、彼女は動いていたのです。姿が突然消えて無くなり、オトギリの両目が大きく見開かれる。凄まじい脚力で踏み砕かれた氷片がキラキラと宙を舞う。
一瞬で、本当に瞬く間に十ヒフ以上の距離を駆け抜けたクチナシさん。その右手の短剣が再び私達の目に映った時には、すでに勝敗は決していました。
無音の世界の中、アイビー社長の瞳にのみ映っていた“魔素の腕”が二本とも根元から切断され、同時にオトギリの胸に衝撃が走ったのです。
「そん、な……」
前のめりに倒れ込む彼女。どうやらまた気絶したようです。服の胸元だけが綺麗に切り裂かれていましたが、下の肌には傷一つ無し。まさか本当に“妄念”だけを切断したのでしょうか?
呆然としている私達に、アイビー社長は説明の続きを語ります。
「あの子の魔力は微弱過ぎてね、他人の魔力を視認することにしか使えない。だから全部純粋な剣技なのよ。水を斬ったり、炎を斬ったり、遥か彼方の標的を斬ったり……どれもこれも、もはや魔法としか思えない技ばかりだから世間が勝手に“善の三大魔女”の一角に加えてしまったけれど」
「んな無茶苦茶な!?」
ナスベリさんがまだ納得できずにいる一方で、私はなるほどと頷きました。ノコンさん達が憧れてしまうのも無理ありません。魔力無しでも人はここまで強くなれるのだと彼女は明確に示してくれているのですから。
「……てへっ」
世界最強の“ただの剣士”さんは頭に手を当て、はにかみました。




