五章・竜と未来とただの剣士(1)
銀色の煙がオトギリの身体から噴出し、包み込んで行きます。そしてそれは徐々に形を変えて何かを“再現”し始めました。
同時に私達の周囲で突風が生じます。なんだか社長を中心にして風がこちらへ引き寄せられているような?
「社長、あれってまさか!?」
「そう、魔素よ! 貴女達にも見えるくらい高密度のね!」
「社長の力で吸収できないんですか!?」
「ナスベリさん、社長の力って?」
「魔素を吸収できるんだ! 社長と魔法使いの森の木々はそういう力を持ってる!」
なんですかそれ初耳ですよ!
「もうやってる! でも拡散を防ぐので精一杯なの! 相手は異世界から流れ込んでくる無尽蔵の魔素なのよ!?」
たしかに、いくらアイビー社長が人外級の能力を誇る神子であっても、世界そのものを相手にするとなれば分が悪いのは当然。
「じゃあ、他に何か手立ては!?」
「耐えなさい!」
「え!?」
「竜の心臓は一度開くと長時間維持できないのよ! 過去のデータから最大十分間が限界だと推定されている! それを過ぎれば自然消滅するわ!!」
十分? たった十分? 一瞬気が抜けそうになりました。
でも、考えてみればそのたった十分間が過去に数回あっただけで世界中に魔素が満ちたのです。その事実に気が付いた私は逆に寒気を覚えました。もしここに魔素を吸収できるアイビー社長がいてくれなければ、すでに最悪の事態に陥っていたかもしれません。
「私はなるべく魔素の吸収に専念したい! 貴女達でどうにか“再現されたもの”に対処して! 自分の身は守れるから人里に向かわないよう誘導するだけでいい!!」
「わかりました!」
「……!」
ホルスターから小型連射砲を抜いて両手で構えるナスベリさんと、剣の柄に手をかけるクチナシさん。
私も早速行動に出ました。ホウキを召喚して飛翔します。
「こっちですわ! でっかいお馬鹿さん!!」
挨拶代わりに魔力弾を一発。やっぱりあの銀色の煙で阻まれます。
「スズちゃん、何を!?」
「囮です!!」
ナスベリさん達に見上げられながら低空飛行し、オトギリの頭上を旋回して挑発。こういう役どころなら私が最も得意なはず。お二人には援護してもらいましょう。
『……』
オトギリを包み込んだ銀の煙は、そんな私を見上げて急激に形を変え、巨大な“翼”を広げました。
そして羽ばたき一つで嵐のような乱気流を巻き起こします。
「うわっ!?」
「ッ!!」
ぶわり、悠然と舞い上がったそれの名を私達は知っていました。おとぎ話の中の怪物として。
「ド……」
「ドラゴン!?」
竜の心臓から放出された魔素は文字通りに“竜”を形作ったのです。赤銅の鱗で全身を覆い、鼻面に銀色の太い角が突き出した巨竜です。
次の瞬間、大気がビリビリ震えました。
『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
「──ッ、は……!?」
凄まじく大きな雄叫び。それ一つで失神しかけるほどのダメージを受けた私に対し、赤い巨竜はすかさず追撃を放ちます。長い首がボコリと膨らみ、その膨らみが下から上へと移動して、すぐさま口から吐き出されたのです。
ボンッ!! 音速を突破する速度で私の家より巨大な火球が射出されました。意識が朦朧としている状態で避けられる攻撃ではありません。
そして音が消え去ります。
「……!!」
「えっ!? なに? 斬った!?」
隣で剣を振ったクチナシさんの所業に驚愕するナスベリさん。火球は私の眼前で上下に割れ、遥か後方で爆発。湖の上で炎を撒き散らしたのです。
(た、助かりました!)
地上からあんなものを切り裂くなんて、本当にとんでもない人ですね! やっと眩暈の収まって来た私は急加速でドラゴンに接近しました。羽ばたきの起こす乱気流に逆らいながら飛び回り、出来る限り気を引いてやります。
「スズちゃん、そんなに近付いたらまた咆哮で!」
「無駄よ、叫んでも聴こえないわ!!」
「えっ? あっ──」
全身を魔力障壁で包んだ私を見て何をしてるか察したのでしょう。ナスベリさんも魔法を使いました。自分の両耳を小さな障壁で塞いだのです。そう、音さえ遮断してしまえば、どんなに大声で叫ばれようと関係ありません。
「クチナシ! これを!」
「!」
アイビー社長の投げた耳栓を掴み取って耳に詰めるクチナシさん。あの方、魔力障壁の扱いは苦手なのでしょうか? そういえばまだ一度も見ていません。
ドラゴンは鬱陶しく周囲を飛び回る私に対し爪や牙、長い尻尾を使って攻撃してきます。何度も羽ばたき、空中を移動しながら距離を取ろうともする。もちろんそれは許しません。
ボンッ! 痺れを切らして再び火球を吐出。今度の狙いは私でなく地上の三人。けれどそれはクチナシさんに斬られるまでもなく巨大な魔力障壁によって阻まれました。社長の魔法です。
「こっちのことはいい! そいつに集中しなさい!」
「はい!」
音を遮断しているので何を言っているのかはわかりませんが、なんとなくなら伝わりました。流石ですね社長。向こうは心配いりません。
「このッ!!」
「!」
無数の小爆発と遠距離斬撃。ナスベリさんとクチナシさんの攻撃にも晒され、さらに気を散らされる怪物。どうやらオツムは良くなさげ。さっきから単純な攻撃しかしてきませんし、この程度なら時間稼ぎくらい、どうということもありませんわ。
──などと甘い考えを抱いた時でした。突如動きを止め、天を見上げるように背をのけぞらせるドラゴン。
「何を?」
私達の視線の先で、その鼻の部分から伸びている長い角に銀の輝きが収束していきます。
って、これ、まさか!?
「全力防御!!」
アイビー社長が赤い光球を発生させては消し、その明滅で警告。言われるまでもなく私とナスベリさんは、あらん限りの魔力を注ぎ込んで魔力障壁を展開。
しかし、そんな私達を嘲笑うようにドラゴンはニィと口の端を歪め、角を振り下ろしたのです。
凄まじい閃光。放たれる雷撃。
自然界の雷を遥かに上回る巨大なエネルギーが複雑な軌道で空と大地を駆け巡り、周辺一帯を瞬く間に破壊し尽くしました。
「う……くっ……」
数秒後、地上に落とされた私はどうにか立ち上がります。長年共に戦ってきたホウキが黒焦げにされてしまいました。ギリギリ自分自身への直撃だけは防いだものの、これではもう空を飛べません。落下時に魔力障壁での受け身を取り損ねたせいで左腕も上がらない状態。口の中には血の味が充満。眩暈も酷い。
「なんて威力……ですの……」
この私の魔力障壁が砕かれました。ゲッケイとの戦い以来のことです。アイビー社長達は無事でしょうか?
やがて土煙が晴れ、やはり満身創痍の状態でどうにか立ち上がったばかりの三人の姿が見えました。あの人達でも今のは防ぎ切れなかったようです。
「こいつ……私の知ってるドラゴンじゃない。多分、異世界の記憶の再現だわ……」
「強すぎる……あんなの、もう一回撃たれたら……」
「……」
アイビー社長は一気に魔力を使い過ぎたせいでふらついており、ナスベリさんは武器が片方壊れ、右足を引きずっています。クチナシさんは無傷ですが、剣は半ばから溶け落ち、半分の長さになっていました。もしかして雷を斬ったんですか?
時間経過は、おそらくまだ三分弱。
「無理です……」
あんな怪物を相手にどうやってあと七分近く戦えと言うんですの……? さっきまでの楽観的な予測は完全に頭から消え去っています。あれはゲッケイ以上の化け物。
『……』
こちらを見下ろしながら再び鼻角に銀の輝きを収束させていくドラゴン。流石は野生の獣ですね、全く躊躇がありません。殺せる敵は必ず殺す。そんな純粋で濃密な殺意が再び解き放たれようとしています。
私は諦めかけました。これは流石にもう駄目だろうと。
でも視線をあの三人に向けて、それを恥じました。
「社長、どうします?」
「二人とも私にもっと寄りなさい。今度は範囲を狭めて防御する。クチナシ、その剣でもまだやれる?」
“もちろん”
三人ともまだ諦めていません。あの大人達は、この状況でもさらに戦おうとしています。
逃げることだって出来るでしょう。けれど、逃げたら残り数分の間に甚大な被害が撒き散らされることになります。だから戦う。当然のような顔で。
本当は怖くても、苦しくても、辛くても、歯を食いしばって立ち向かう。それがきっと大人なんでしょう私達子供より前を行く者の務めを果たそうとしている。
「──そうですね」
このタイミングでアルトラインの援護が来ました。味なことをしてくれます。未来予知で応援だなんて。
小さな男の子の姿が見えただけです。栗色の髪で焦げ茶の瞳、とても可愛らしい、父と母の、双方の面影を受け継いだ少年。
その唇が“おねえちゃん”と私に呼びかけていました。
「ええ、私はお姉ちゃんになるのです」
ヒメツルだった時には兄弟なんていませんでした。クルクマは姉のように思えることがあります。モモハルも弟のようなものだし、ノイチゴちゃんだって妹同然に可愛く思っています。
でも、今度は本当の弟です。血は繋がっていなくとも、私の大好きなお父様とお母様の間に生まれる赤ちゃん。私が一番近くで守るべき新しい命。
「だったら私は負けません。負けられません!」
体の中から熱いものが込み上げてきました。魂が魔力の根源なら感情はそれを増幅する触媒。
アイビー社長は言いました。私の制御技術が未熟だったのは心に問題があったからだと。
ロウバイ先生は言いました、繰り返し研鑽して体に覚え込ませた基本的な技こそが一番信頼できるのだと。
魔法使いにとって最も頼りになる盾は魔力障壁。魔力自慢の私は昔からこれをたくさんたくさん使ってきました。これだけは昔から結構得意な術でした。今や呼吸と同じとまでは申しませんが、間違いなく最も慣れ親しんだ魔法。
だからいける。イメージはあります。
奇しくも貴女が見せてくれたんですよ、オトギリさん。
「行きます……」
もう一度、少年の姿を思い浮かべる。きっと可愛い私の弟。
貴方に会うために、お姉ちゃん頑張りますわ!
ドラゴンが再び雷を放ち、天空が眩く輝きました。
けれど、それ以上の強烈な光輝が地上で生まれます。その閃光は真っ直ぐに竜の放った雷に向かって上昇し正面から破砕しました。さらにそのままドラゴンの顔面に体当たりをかましてやります。
小山のような巨体がグラリと傾ぐ。効いてくれたようです。だったらここからが本番ですよ。
「あと六分かそこらでしょう? 付き合ってあげますよ、この私、最悪の魔女がね!」
全身を魔力障壁で包み、私は、ドラゴン相手に殴り合いを挑みました。