四章・魔素の真実(2)
名前も忘れた魔女さんが溺れて気を失った直後、タザー湖の畔に彼女と一緒に着陸した私の前へ予想外の顔触れが現れました。
「まさか、追いついてみたらもう終わってるなんてね」
「流石だよスズちゃん」
「え? アイビー社長にクルクマさん? それにクチナシさん」
「……」
ニッコリ微笑み、パチパチと拍手するクチナシさん。手話で“かっこいいね”と言ってくれます。いや照れますわね。
って、そんなことより!
「二人とも来てたんですか!? じゃ、じゃあ知りませんか!? うちの母は──」
「大丈夫」
てくてく歩いて来たアイビー社長は私の手をポンポン叩きます。子をあやす母のように。
「貴女のお母さんも、貴女の弟か妹かわからないけれど、お腹の子も無事よ。モモハルが助けてくれたわ」
「モモハルが?」
力を使ってくれたということでしょう。
そうですか、あの子が。
「良かった……」
ちょっと前から、母が妊娠していることには薄々気が付いていました。だって隠し事の下手な人なんですもの。
けれど向こうから言ってくれるのを待った方がいいと思って、ずっと訊くのを我慢していたのです。
本当に良かった。私を拾う前、自分が妊娠できない体だと知ったお母様が苦しみ続けていたことは知っていますからね。私もすごく嬉しいです。
「良かった……ありがとう、モモハル……」
安心したら気が抜けて、足に力が入らなくなってしまいました。長く長く息を吐き出し、その場に座り込みます。
「よしよし、怖かったわね」
座り込んだ私の頭を撫でる社長。見た目は五歳児なのに、なんだか村のおばあさま達と同じくらい安心できます。流石は人類の最長老ですわ。
「って、いでででででで!」
「今、不愉快なことを考えなかった?」
いきなり頬をつねられました。
「か、かんがえへまへん! らから、ほっぺはやめへふらはい!!」
「怪しいわね。まあいいわ、礼ならナスベリにも言ってあげなさい」
アイビー社長の手が離れ、ペチーンと元に戻る私のほっぺ。いつつつつ、危うく伸びてしまうところでした。
「そういえばナスベリさん、その格好は?」
前にも見たことがあります。細部は異なってる気もしますが、去年うちの母と決闘した時と同じ服装。ちょっぴり扇情的なデザインの黒い革のスーツ。
「あ、これ戦闘用の装備。うちの技術で熱にも寒さにも強くしてあるし、鋼の鎧並の防刃性能も備わってるんだよ。それでいて軽くて柔軟で動きやすいんだ」
「へー、凄いんですね」
「スズちゃんにあげたあの着ぐるみにも技術を流用してあるから、あれも快適でしょ?」
「たしかに……って、あれの原型がこれ!?」
「うん、そうだよ?」
どんな発想をしたらこの最先端装備からクマの着ぐるみに落とし込めますの……やはりこの人も侮れません。腰にもなんだかよくわからないものを提げてますし。
私の視線に気付いたナスベリさんは目を輝かせてそれを引き抜きました。
「こっちはね、回転弾倉式小型連射砲って言って」
「ナスベリ、その説明は長くなるから後になさい」
「はい……」
社長に諫められてシュンと肩を落とす彼女。語りたかったんですね。ちゃんと後で聞かせていただきますよ、なんとも不思議な形で興味を引かれますし。
ともあれ、武装しているナスベリさんを見てようやく二人がここにいる事情を飲み込めました。
「村を守ってくれたんですね」
さっきは頭に血が上っていたせいで気が付きませんでしたが、たしかにあの時、村の中に二人の姿もありました。あそこで寝ている魔女とその仲間達から村の皆を守ってくれたのでしょう。
「お礼は言わなくていいよ。私にとってもココノ村は故郷だから」
「そう、それに私は今回、貴女達を“囮”にしたのよ」
「だと思いました」
嘆息する私。七王会議の準備で忙しいはずのアイビー社長が今ここにいる、その理由を考えてみたらわかりました。私達は利用されたのだと。
おそらくは、彼女を誘い出すために。
「ナスベリ、クチナシ。彼女を見張って。ちゃんとふん縛っといてね」
「はい」
社長の指示に従い、謎の女の元に駆け寄って行く二人。テキパキ手際良く拘束具を装着。あれでもう暴れることはできないでしょう。安心して話を続けられます。
ってクチナシさん、今さりげなく胸や太ももに触りませんでした?
「あの方、いったい何者なんです?」
「正裁の魔女よ。三柱教の最高戦力であり教皇直属の諜報部隊を率いる隊長。教会に敵対的な勢力を潰したり、戦争に介入して武力で強引に事を収めたりすることから“死を運ぶ天使”とも呼ばれているわ。ロウバイと同じ善の三大魔女の一角で名はベロニカ」
それを聞いた私はゲンナリしました。
あんなのが善の三大魔女だなんて世も末です。
あ、そういえば本当に世の末なのでした。
なんて馬鹿なことを考えていると、アイビー社長は「でも」と言葉を続けます。
「あの子の本当の名はオトギリ。私達がずっと追いかけ続けていた二人の“魔素使い”の片割れ」
「どういうことです?」
「彼女の一族はね、ずっと“魔素”の研究をしていたの」
──そしてアイビー社長が語ってくれたところによると、社長と社長の仲間達は遥かな昔から魔素の研究者を探し出しては、その努力が実を結ぶ前に潰して回っていたのだそうです。
どうして? 私の問いかけに彼女は答えました。実にシンプルに。
「危険だからよ」
魔素には一般に知られていない特性がいくつかある。それらを人々に伝えること自体が危険なので徹底的に秘匿されている。でも、そのせいで知らず知らず絶対にやってはいけない利用法を研究してしまう者達が後を絶たなかった。だから取り返しのつかない事態が起こる前に対処していた。そういうことらしいです。
「なんなんですか、その危険な特性って……?」
訊いても教えてくれるかはわかりませんでしたが、一応質問してみます。
すると社長は、
「貴女ならいいでしょう。救世主の使命にも関係があるかもしれない」
そう言って秘密を明かしてくれました。
「魔素は“記憶”を保存するの」
「記憶?」
「そう、あらゆる生物の記憶。それを転写して保存し続ける。魔力を抽出できるのはその特性があるからよ。魔力は魂から生まれるもの。そして記憶は魂の断片。うちで開発した魔素吸収変換装置は、保存された記憶を魔力に変換して取り出している」
「でも、それだけなら……」
「そうね、これだけなら大した危険は無い。でも二つ目からは大問題。危ないから詳細な方法の説明は省くけれど、魔素はね、保存した記憶の“再現”もするの」
再現? いまいち理解できず私は首を傾げます。
社長は指先に小さな炎を灯し、湖の周辺の木々をぐるりとその指先でなぞりました。
「たとえば森林火災を見た誰かの記憶が再現されたとする。魔素は、その誰かが見た炎に変化して辺り一帯を焼き尽くすわ」
「なっ……!?」
私の脳裏に、ある日、ある場所での記憶が蘇りました。
まさか、あれは……。
「竜巻を間近で見た人間がいて、その記憶を再現したなら魔素は竜巻に変化する。どんな仕組みかわからないけれど、本当にそっくりに化けるのよ。自身の性質までも変化させて記憶の中の現象や、あるいは生物を再現してしまう。それを私達は魔素災害や記憶災害と呼んでいる」
私達が知らないだけで、自然災害の中にはそういった魔素によって引き起こされているものもあるのだと社長は語ります。
そして、それらはまだマシな現象だとも。
「三つ目……これが最大の問題。そもそも昔、この世界に魔素なんて物質は全く存在していなかった」
「えっ?」
「けれど、今は世界を満たすまでになってしまった。それは過去に数回、三つ目の特性が発動してしまったから。
魔素は時として“別の世界への門”を開く。地形や気象条件が重なって一ヵ所に大量の魔素が溜まり、さらにそこへ“最悪の決定打”が加わった場合にのみ球形の“結晶体”が生じるの。
それが門よ。そこから大量の魔素と“別の世界の記憶”が流れ込む。これが極めて危険なわけ。滅多に無いことだけれど、開いてしまった門を私達は“竜の」
──その瞬間、アイビー社長の説明を遮って獣の咆哮が響き渡りました。
「なに!? まさか……っ」
「うわっ!!」
「ッ!!」
私達二人が振り返ったのと同時、ナスベリさんとクチナシさんがすぐそこにまで弾き飛ばされて来ました。アイビー社長が能力で下草を伸ばし、クッションを作って優しく受け止めます。
「あ、ありがとうございます社長」
「そんなことはいい! それより、いったい何をしたの!?」
小さな体をめいっぱい逸らして斜め上を見つめるアイビー社長。視線の先には浮遊する正裁の魔女ベロニカ、いえ、オトギリの姿。魔力封じの手枷と鋼鉄の足枷はちゃんと装着されています。
「何もしてません! 見張っていたら、突然見えない力に吹き飛ばされて!」
「クチナシさんも“予兆は何も無かった”と言っています!」
「そう、なるほど、それが切り札ってわけねオトギリ!」
アイビー社長の言葉に対する返答はありません。私もようやく気付きました。あの人はまだ意識を失ったまま。自分の意志で動いているわけではないと。
「おおかた、自分がやられた時を想定して仕込んでおいたんだわ。意識を失った時にだけ開くように、あらかじめ体内に」
「な、何をですか!?」
「まさか──」
「そう、そのまさかね」
ナスベリさんの言葉に歯噛みする社長。
彼女の口からついにその名が出ました。
「“竜の心臓”よ」
ドクン。正裁の魔女の身体から何者かの鼓動が鳴り響きます。
その胸にはうっすらと銀色の球体が透けて見えました。




