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壁の向こうのB  作者: カカオ
第3章
26/53

空気読めない小鈴

 層となってうず高く積もる 全てわたしの残骸か

 集めて掃いて 焼却炉へ

 残った灰が 本質的なわたし

 崩れた心を集めなきゃ わたしはいつまで経っても非わたし


 造られたモノへの懐疑心 わたしへの疑惑もまた然り

 砕いて潰して 穴の中へ

 穴にはすでに 既視感のあるそれ

 埋めた後にはあら不思議 飽きた空のわたしのできあがり



 小鈴は今日も歌っている。

 マイクを握り、今井家の面々の演奏をバックに。それぞれの楽器から放たれる音は一つになって小鈴の背中にぶつかり、彼女を会場の外へ吹き飛ばすかの如くパワーにみなぎっている。

 歌詞はどう好意的に聴いても明るいものではないのだが、それを悲しく歌うのではなく、激しい音の群れに合わせて叫ぶように鋭く歌うことによって聴いている者の気分を高揚させている。

 サンザンロード内に設置された特設ステージ周辺には、これまでにないほどの人々が詰めかけている。『BAR無菌室』の常連たちがボランティアで観客整理をしているが、あまり効果がない。



 大のギターソロに突入する。ギターに専念するようになって一週間、大のギターは一段と切れを増し、曲の盛り上がりどころでしっかりと山場を作るようになった。

 ドラムを叩く琢磨はそんな大を頼もしい思いで後ろから眺める。心なしか小鈴が来てから大の背中が少しだけ広くなったように彼には思えた。

 けれど気がかりなこともある。李利だ。

 李利のベースは日に日にどこか浅くなったように感じられる。もっと太い音を出して曲のリズム隊として安定した地盤をこのバンドに築いていたのだが。なによりも李利の剣呑な雰囲気だ。それが彼女の手元を狂わせている。この状態もやはり小鈴が来てからである。まだ琢磨しか気付いていないが、いずれは大も気付くことになるだろう。

 それに引き換えひかりはもう毎日がクリスマスイブみたいに楽しそうだ。タンバリンは相変わらずリズムも何もあったものではないが、ひかりの場合は彼女が幸せであるならそれでよし。観客も元気なひかりが見たくて来ているようなものだ。ひかりにとって、小鈴は季節外れのサンタクロースのようなものなのだろう。


 ライブは終盤に入る。

 小鈴はギターソロの終わりとともに、その細いのによく通る不思議な声音をサンザンロードに響かせる。


       *


 ――どひゅー。ちゅーかーれーとぅわー。

 小鈴はファンからもらった扇子をパタパタとあおぎ、ぺたりと地面に直に座っている。尻が汚れても気にならない。今はとにかく暑さと疲れ、それに興奮の冷却に費やす。

 ライブは大成功に終わった。それは何も今日に限ったことではない。小鈴が歌い始めてからずっとだ。今井ユニットのライブはもともと固定ファンはいたが、それは決して多くはなかった。ここまで人気が爆発したのは小鈴のおかげと言っても差し支えない。

 ライブが終わって一時間近くが経ち、ようやく会場から客がいなくなった。みんな各々の買い物や娯楽を楽しむべく、サンザンロードの中を通り過ぎていく。

 ふと、小鈴は今日カレー屋で大が言っていたことを思い出す。


 楽しく生きろよってことだと俺は思うよ


 バーサーカー症候群の原因は怒りらしい。ならば、それを防ぐには楽しく生きるか何も考えずに生きる以外にないだろう。そして小鈴は何も考えずに、大は楽しく生きている。

 ――んー……どうなんだろ。

 と彼女は奇妙な違和感を覚える。

 ――別に何も考えてないわけじゃないよなぁ。それに……うん、楽しいし。歌。

 小鈴は一瞬そう思い、慌てて周りをきょろきょろと窺う。当たり前だが、彼女の心の声など聞ける者はいない。大は『BAR無菌室』の常連のおじさんたちと馬鹿笑いし、ひかりは琢磨に肩車されてワーワーと騒いでいる。李利はひとり寡黙に楽器の片付けをしている。

 ――楽しい、か。

 小鈴は今の自分の気分をどう受け止めたらいいかわからないでいる。なぜなら、それは今まで彼女が味わったことのない気持ちだから。というより、今まで小鈴はどんな感情も味わってこなかった。味覚障害と言ってもいいほどに。

 だがここ<ゾーン・B>に来て、小鈴の心の舌は正常になりつつあるのかもしれない。

 気持ちの整理に困る小鈴だったが、ギィギィという黒板に爪を立てるような凄い音でハッと我に帰る。

 見れば李利が台車にアンプを二つにバスドラムを乗せて移動しようとしていたが、台車は少しずつしか進まない。

 キャスターが地面にこすれて黒板を爪でひっかくような音を立てている。相当な重量なのだろう。

 小鈴は急いで立ち上がって李利に駆け寄る。

「大丈夫ですか? わたしも手伝いま――」

「触らないで」

 台車をいっしょに押そうと取っ手をつかもうとした小鈴だったが、李利の発した一言に思わず伸ばしかけた腕を引っ込める。

「あ、あの」

「アンタ、楽器やってないでしょ。楽器やってない人間が下手に触って何かあったらどうするの」

「すいません」

 謝る小鈴には目もくれず、李利は台車を押して『BAR無菌室』へと向かう。ギィギィと音を立てながら。

 そんな彼女の背中を、小鈴は首をかしげながら見送る。

 ――うーん、たぶん……いや絶対にわたし李利さんの地雷踏んでるよね。でもそれが何なのかわからないんだけど……。空気読めてねーなーわたし。



 くーき読めてなーいぃぃ わーたすぃぃ



 出鱈目に歌ってみた。

 虚しいだけだった。

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