寂しいから、苗字を変える
「あのー、わたし思うんですけど、李利さんはボーカルやりたいんじゃないですかね」
「あ?」
小鈴にとっては確信を持っての発言だったのだが、大のリアクションは素っ頓狂なそれだった。
サンザンロードを抜けた先、駅近くのロータリーに設けられた喫煙所にふたりはいる。最近ふたりはライブが終わると休憩がてらここに来る。そして一休みしたら小鈴の両親探しにでかけるのだ。ちなみにここは小鈴が<ゾーン・B>に一番最初に降り立った場所でもある。
ふたりのほかにはベンチで眠りこけた酔っ払い男がいびきをかいているだけだ。
「なんだそれ、李利がボーカル? あいつがそう言ったのか?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど、ただ」
「ただ?」
小鈴は思ったことをそのまま言うべきなのか躊躇した。わたしは李利に嫌われていると。でもここ最近乗りに乗っている大の耳にそんな水を差すようなことを入れるのはどうなんだろう。
「うーん、とにかくですね、なんとなーくそう思うのですよわたしは」
結局誤魔化しておいた。
「いまいちよくわからんけど、それはないと思うぞ」
大は尻ポケットからクシャクシャになったタバコのパッケージを取り出し、一本を抜き取りジッポで火をつける。
「李利のオヤジさんがな、ベーシストだったんだ」
「李利さんのお父さん? ベーシスト?」
――ほえ? 琢磨さんはドラムだよね。昔はベースをやってたってことなのかな。
そんな小鈴の疑問をよそに大は続ける。
「オヤジの話だと、ここいらで活動してたらしいぜ。とくにこれといって決まったバンドには入ってなかったみたいだけどな」
――オヤジの話? 大さんが言ってるオヤジって琢磨さんでしょ? でも李利さんのオヤジは……って……おぉ?
「でもほら、バーサーカー症候群の騒ぎでな、殺されちまった……。李利はオヤジさんのことを覚えちゃいない。相当小さい頃のことだからな。けどあいつはガキの頃からオヤジさんが遺したベースを触って育った。あいつにとってベースは、オヤジさんそのものなんだよ。だからベース以外に興味はねえと思うぜ」
大は紫煙を盛大に吐き出す。強い風がそれをあっという間にどこか遠くへ流していく。
「まあ、ベースに限らず楽器は好きみたいだけどな。だからあいつ、いつも機材運び仕切ってるだろ」
「そ、そうですね」
李利がボーカルに興味がないのはよくわかった。けれどそれよりも、小鈴の頭の中ではほかの疑問が膨らんで今にも破裂しそうなほどに膨張している。それはここにきた当初疑問に思い、訊こうとするとタイミングが合わなくて訊けないでいたことだ。
彼女はそれを、李利の死んだ父親のことをきっかけに思い出した。
大。
李利。
ひかり。
琢磨。
今井家の四人――否、今井ユニットの四人である。『今井家』とは、小鈴が勝手にいつも自分の中でそう呼称しているだけのことである。
じゃあ『ユニット』とは……。
「あ、あのですね大さん!」
「お、おう……どした」
突然語気を激しくした小鈴に軽く面食らう大。
「…………………………ユニットって、なんですか?」
小鈴のこの質問に絶句する大。夏の生ぬるい風がひゅるりとふたりの間を抜けていく。
「……あれ、教えなかったっけ?」
「教えてもらってません」
「あちゃー……ん、待てよ。そうなるとあれか、もしかして俺の本当のオヤジが琢磨オヤジだとか思っちゃってる?」
「思っちゃってます。ていうか、みんな普通に家族だと思ってます。わたしはいつも心の中で『今井家』と呼んでます」
「なんてこったい!」
それはこっちのセリフだと思う小鈴である。
大は苦笑し「いやぁワリーワリー」とさして悪く思ってなさそうにしている。
「あのな、ユニットっていうのは家族じゃない。ただの団体っつうかなんつうか、うん、そんなようなもんだ。ひとりより集団のほうが安心だろ? 以上」
適当な説明だった。
もちろん小鈴はそれで満足していない。
「ええとですねっ、つまり大さんたちは本当の家族じゃ……」
「ないってことだ。俺もオヤジも李利もひかりも、みんな家族なくして独りだったんだよ」
「独り」
「そう。最初はオヤジとまだ赤ん坊の李利のふたりだけだったんだ。俺はその頃……まあちょっと別のバンド活動しててどのユニットにも入ってなかったんだけど、バンドが解散しちまってどーすっぺーと思ってるところでオヤジに声かけられて今井ユニットに入ったんだ。その後にひかりが入った」
「あれ、でもみんな『今井』って名乗ってますよね。大さんだっていつも『今井大』って……」
「あー、それはいつの間にかこの街で定着したルールなんだよ。苗字を所属したユニットの名前に変えるんだ。うちのユニットの『今井』ってのは琢磨オヤジの苗字だ。琢磨オヤジはうちのユニットのリーダー一代目だから本当の苗字がそのままユニット名になるんだよ。ちなみに俺の元の苗字は鈴木だ」
「おぉ、またなんと普通な」
「お前、全国の鈴木さんを敵に回したぜ」
「むむ、今の発言は撤回させてください」
「ははは」
大が笑ったところで、少し場が和んだ。
「でもおかしなルールですね、その苗字を変えるっていうのは」
「そうだなぁ。でもまあ、あれだろ。寂しいからじゃないのかって俺は思う」
「寂しい?」
「ああ。自分と同じ苗字の人間がひとりもいないってさ、なんかほんとうに独りになっちまったような気がするんだよな。だからこのルールを決めたヤツも、きっとそんなこと考えたんじゃねーのかな」
大が灰皿に長くなったタバコの灰を落とすのを、小鈴は不思議な思いで眺める。
彼女には寂しい、という感覚がわからない。
どうして独りになることが寂しいに繋がるのかわからない。
寂しい、そんな思いを感じたことがないからだ。
「けどま、俺の場合は全国にたくさんの鈴木さんがいるけどな」
大はそう言うと、いつもの人懐こい笑みを浮かべるのだった。
小鈴も一応、へらへらと笑っておいた。意味はよくわからなかったけど。




