異世界転移は突然に①
リオンたちが案内された客室は、上品でエレガントだった。
壁面は、やわらかく淡いセージグリーン。
パネル状に区切られた壁枠の中には、ダマスク模様に似た優雅な花柄。足元は丁寧に磨き上げられたフローリング。
シャンデリアの光をあたたかく反射している。
装飾過多のギラギラした部屋ではない、洗練された一室。
(……この部屋、すっごい好き!)
隣同士で二部屋用意してもらっていたが、今日はレンと一緒の部屋で寝ることにしたので、リオンの部屋にレンもいる。
天蓋付きのベッドがかなり大きいので、二人で寝ても問題ない。
「このベッド、めっちゃフカフカ」
宿屋のベッドは固かった。
「でも……ルルのベッドがいいな」
レンがぽそりとこぼした。
弟に完全同意である。
これほどフカフカのベッドを前にしながらも、リオンたちはルルに癒されたい。
「ルル~。大きくなって~」
「みゃーう」
レンのカバンから出てきたルルは、小さく高い声で一つ鳴いて。
──ボフン! と巨大化した。
ベッドと同じくらいの大きさ。
真っ白のもふもふベッドの出来上がりである。
双子はルルの身体に顔を埋めた。
いや、顔どころじゃない。全身を埋めてる。
「……最高」
「ルルベッドがなかったら僕たち、ストレスで生きてなかったよね」
異世界転移した初日に保護したルルは小さい白猫だが、この種類の猫は巨大化できることを教えてもらった。
でも大変珍しいらしく、バレてしまうとルルがさらわれてしまうかもしれないから、できるだけ秘密にしておいた方がいい──と、教えてくれた人がいた。
私たちが異世界転移したその日に、出会った人だった。
「レン~。明日虫退治する?」
「うん。虫はいない方がいいよ」
「じゃあお母さんに手紙送っといてよ。殺虫剤お得パック買っといてって」
「えー、ねえちゃんが書いてよ。送るのは僕の担当なんだからさ」
「バカ。私の方が今日踊って体力使ってる。弟は姉の命令に従うものでしょ。ほら、書け」
「……はぁ。まったくねーちゃんは暴君なんだから。はいはい、分かりましたよ」
やれやれ、と身体を起こしたレンは、きんちゃくの中から紙とペンを取り出し、さらさらとお母さんあての手紙を書き──また手紙ごと、きんちゃくにしまった。
「……もう三か月かぁ」
レンがぽそりと呟いた。
──あの日、リオンたちが突然異世界に転移してから、早三か月が経過しようとしていた。
◆◆◆◆◆◆
ゴールデンウィークが明けて、一週間ほど経った日の朝。
伊集院莉音は双子の弟、蓮と学校へ出かける準備をしていた。
喋らなければ清楚極まりない、ひざ丈のセーラー服を身にまとったリオンは、長い髪を品よくハーフアップにしている。
「レン、行くよ~。早くしてよ~」
だだっ広い玄関先で、靴を履きながら弟を急かした。
遅れてやってきたレンも、ため息をつきながら靴を履く。
「ねーちゃん、先行けばいいじゃん」
「一人で行くの、ヤダって言ってるじゃん」
リオンとレンの高校は向かい合って建っている。
レンの男子校と、リオンの女子高は家から歩いて十五分。
内部生のため、お互い小学校から通ってるので、すでに通い始めて十年目。
別々で通っても当然良いのだけど、一人でいくと色々面倒なことが多い。
声をかけられたり、あとをつけられたり。
その点、弟がそばにいるとその被害はほとんどない。
であれば、弟をお供につけるのは姉として当然のこと。
双子とはいえ、弟とは姉の下僕である。異論は認める。
玄関で「スマホ持った~?」とレンに声をかけながら靴を履く。
駆け寄ってきたレンが「もちろん」と靴を履き、さぁ行こうと玄関の取っ手に手をかけたとき。
──ぱぁ~……っ!
足元から光があふれてきた。
え、と思った次の瞬間にはとっさに「レン!」と弟の手をつかんでいた。
「ねーちゃん!」
レンがリオンの手を握り返した瞬間、光は眩しいほどに強くなり、ぎゅっと目をつぶった。
しばらくした後、目を開けるとそこは。
──見知らぬ森の中だった……。
現状が理解不能すぎて、手をつないだまま、無言で辺りをきょろきょろと見回す。
うっそうとした森。
かすかに見える頭上の空は曇り空。
匂いも空気感ももう、絶対都会の中の公園ではない。
周囲に山しかなさそうな、完全なる森の香り。
清々しいながらも、しっとりするような湿度。ひんやりと漂っていそうな、マイナスイオン。
双子の住む近隣に、こんな場所はない。
「……レン。なにここ」
バクバクと心臓の鼓動が速くなる。
(たった今まで玄関にいたのに、次に目を開けたら山奥の森って──どういうこと)
「マジで……なにここ」
レンがぽそりと呟いた。
これはレンが不安がっているときの声。
その瞬間、リオンの姉スイッチがカチリと入った。
(……ねーちゃんの私がしっかりしないと!)
弟は姉の下僕である。
だからこそ姉は、弟を引っ張っていく義務がる。
握っていたレンの手を、さらにギュッと強く握った。
「レン! 大丈夫だよ。二人一緒なら、絶対大丈夫!」
レンがじっとリオンの目を見つめ、ゆっくりと目を伏せ深呼吸をした後、頷いた。
弟は賢いけど、咄嗟のときには固まってしまうから。
度胸は確実にリオンの方がある。
だって、リオンは姉なのだから。
「よし。レン、まずは状況把握するよ。スマホ確認!」
お互い、スマホをポケットから取り出した。
「時間はさっきとほぼ変わらない。でも……圏外だ。当然WiFiも無理」
「私のスマホもおんなじ。使えない」
SNSは開けない。
『インターネットに接続できません』という表示になっている。
「アニメの異世界転移ってこんな感じかな。あんなファンタジー、本当にあると思う?」
「状況的にその可能性は高そうだけど、まだ断定はできないよ。あの光の瞬間に俺たち眠らされて、気づいたら森に置かれたって可能性もある」
「レン……。それはデスゲームの始まりだよ……」
そっちの展開の方が勘弁してほしいかもしれない。
「天気は曇り……なのかな。雨降りそうな感じじゃないよね。どっちに行ったらいいんだろ」
うーんとリオンが唸っていると、レンが「え!?」と突然驚きの声を上げた。
「なに!? いきなり大声出したらびっくりするじゃん!?」
「ねーちゃんっ! 地図アプリが使える!」
「ほんと!? 電波入るの!?」
「わっかんね。電波は圏外のままだけど……でも」
レンが地図アプリを縮小していくと──何もない多分この森の先に、道路らしき表示があった。
GPSは衛星の電波を使ってるから位置情報は使えるということか。
(じゃあ異世界じゃないってことだよね! まぁそりゃそうよね。異世界なんてあるわけないよ。あー、びっくりした! でもそうなると──デスゲームってことになるのでは……?)
変な考えが浮かびそうになるのを振り払うべく、首をぶんぶんと横に振った。
「徒歩で三キロ先かぁ。……あれ? 私のスマホはやっぱり使えないよ?」
画面の下に『オフラインです』の警告バーが出てる。
背景はグレーの格子模様で地図が出てこない。さらに現在地を示す青い点も出てきてない。
「マジで? 機種同じなんだけどな」
地図アプリが使えるのはレンのスマホだけのようだ。
だがこの際片方だけでも使えて、この状況が脱出できるのならそれで構わない。
(──二人ならきっと、大丈夫)
休憩にお弁当を食べ、さらに森を進んでいく。
あともう少しで、森を抜けるのでは……というところで。
ガサガサ、と茂った草が揺れた。
「レン、なんかいる! 気を付けて!」
(気を付けて、とか言っても熊だったらどうしよ。なんか熊に使えるもの、あったかな!?)
などと懸命に考えていたら。
ピョン! と出てきたのは、片手に乗りそうなほどに小さな、真っ白な子猫だった……。
毛はモハモハ逆立ってるし、なんかフルフル震えてる。
「え~~っ!? めっちゃかわゆ! 真っ白ふわふわニャンコじゃん」
リオンは思わずしゃがみこんで手を差し出し「おいで~。怖くないよ」と子猫を呼び寄せた。
「ねーちゃん。野生の動物は触っちゃダメだって、かーさんに言われてんじゃん」
「え、だってこの子一人だよ。こんなちっこいのにかわいそうじゃん。ほら、おいでー」
ゆっくりと近づいてきた子猫は、差し出した手のにおいをフンフンとかぎ、そのうちすりすり、と顔を寄せた。
「……っ、かわいすぎる! お腹空いてるかなぁ。水飲むかなぁ」
子猫用ミルクなんて当然ない。
ひとまず水筒のコップに水を入れてあげた。
ぴちゃぴちゃと音を立て、飲み始めた子猫。
こっちを見て「ミャウ」と小さく鳴いた。
(……かわいすぎじゃない? 胸がキューンってなっちゃうよ!)
「よし決めた!」
リオンは目を輝かせる。レンはため息をついた。
「もう嫌な予感しかしないよ、ねーちゃん……」
「旅は道連れって言うでしょ。この猫はうちの子にする!」
「そう言うと思ったよ。なんでもかんでも拾ってくるんだから……絶対かーさんに怒られるぞ」
すでに我が家には猫二匹、犬が一匹いる。
ついでにカメもいる。
リオンは動物が大好き。
「パパにお願いするも~ん。ねぇ、猫たん! うちの子になるよね~?」
子猫を抱き上げて顔を見ると、子猫は「ミャ~ン」とかわいく鳴いた。
「ほら! うちの子になるって!」
「も、いいよ……勝手にしてよ」
呆れて視線を逸らしたレンに、リオンはにやりと口角を引き上げて、子猫を抱き上げた。
「そんなこと言って。ほんとは抱っこしたいくせにぃ~」
「……っ」
うぐっ、と言葉を詰まらせたレンは、ちょっと照れたようにちらちらと子猫を見る。
リオンが子猫を手渡そうとすると、仕方がないなぁとばかりに手を差し出し、優しく抱っこして──。
「……くっそ! めっちゃかわいいなっ!!」
そうだろう。
子猫に抗える人間なんて、伊集院家にはいない。
「名前は……うーん。リオンのリと、レンのレの間で、ルルにしよう」
「なんで。俺の上みたいじゃん」
「当たり前じゃん。弟は常に一番下っぱに決まってんじゃん」
「そういうの、横暴って言うんだよ。うちの学校のねーちゃんにあこがれてるやつらにこの暴君っぷりを全部暴露してやりてー」
レンがため息ついてる。
(そんなの知らないよ。変な人に追いかけられなくなるなら、それはそれでいいけどさぁ)
「でも無理だよ。私、制服のときは完全に『美少女リオンちゃん』に擬態してるからさ」
「はいはい。ねーちゃんの擬態は完璧ですよ。最近僕たちなんて呼ばれてるか知ってる? 『高嶺の伊集院姉弟』だよ」
「なんか最近、登校するときキャアキャア言われてるなと思った……。でもそれ、レンだって責任あるじゃん。レンだって外では擬態しまくってるよ」
「仕方ないよ……僕ら、両方ともそういう学校だし」
両校とも、校則が結構厳しいのだ。
頑張って生きている。
ふと、子猫の頭、もふもふの毛の中に、なにかあることに気づいた。そっと撫でると……。
「なにこれ。この子、額になんかできてる……ん? これ、ツノ?」
「……キラキラした……クリスタルのツノ?」
子猫の頭の毛をかき分けると、小さなキラキラしたツノがあった。
「レン~。クリスタルのツノのある猫っていたっけ?」
「……いるわけねーじゃん」
いたずらでボンドでくっつけられた、みたいな感じもないけれど、動物にひどいことをするやつも稀にいることを知っている。
(それにしても……うーん、ツノのある猫かぁ……)
「レン。つまりここって……」
「……異世界なんじゃね?」
……やはりそうなのだろうか。
リオンたちは顔を見合わせ、大きく肩を落とした。
(──異世界の猫にはキラキラのツノがある、のかな?)
だが、まだ異世界は確定してない。
なぜなら猫以外にそれっぽいのがないから。
ついでに、異世界なんて非現実的なことをまだ確定させたくない! という気持ちは大変大きい。
「もし異世界だったら……俺たち、何させられるんだろ」
確かに、異世界転移と言えば、何かの指令が下るのが鉄則だ。
たくさんの魔法使いの前で現れた転移者に、王様らしき人が『この世界を救ってくれ』と言うのはセオリー。
……現状、森の中で二人ぽっちだけれど。
──その時、がさりと落ち葉を踏みしめる音がした。
慌てて音がした方を振り向くと、一人の男性が驚愕の面持ちでこちらを見ながら立っていた。
艶のない金髪。
ヨーロッパ系の顔立ち。服装はファンタジー漫画で見る農民。
(──は~い、残念ながら異世界確定で~す)
今どきこんな服着てる人、絶対いない。
撮影かと疑いたいけれど、当然のごとく撮影カメラもない。
彼はリオンを見て──。
「聖女様……」
ぽそりと漏らした。
(──え、私、確かに美少女ではあるけども)
……そこまでの神々しさはないのでは。
お読みいただきありがとうございます。
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