プロローグ
洗練された石造りの街並みが途切れ、見通しの良い石畳の広場が広がっていた。
王都のはずれの広場では、中央をぐるりと取り囲むように、小規模な人だかりができている。
(何が聖女だ。どうせいつも通りの気休めだろ。浄化なんて……そんなおとぎ話みたいなこと、できるわけない)
ここ最近噂になっている聖女の話を聞いて来てはみたものの──男は手に持った宣伝用のチラシに目をやったあと、バカにしたように鼻で笑った。
広場がにわかに静まり返った。
──中央に進み出た異国の少女の、見たこともない美しさに多くの者が言葉を失ったからだ。
薄い栗色の髪は長く、美しく手入れされたストレートをポニーテールにしている。
ぱっちりとした大きなヘーゼルの瞳に、プルンとした小ぶりの唇。
真っ白い生地には、見たこともないほど繊細な刺繍が入った服を着ていた。
そんな彼女の隣には、彼女とよく似た顔立ちの少年が、肩に白い子猫を乗せて立っていた。
──少女が広場の中央で、ニコッと微笑む。
「それでは、儀式をはじめます」
少年が、良く通る声で言った。
彼は手元の小さな黒い箱に目をやり、少女と目を合わせる。
少女は、彼を見てこくりと一つうなずく。
「構えっ!」
少女が大きな声で合図をしたことで、見守っていた我々は驚いてビクッと肩を揺らした。
少女はバッ! と四股を踏み、膝を深く曲げ、おしりを落とした。
数秒待つと──少年の方から、大きな音楽が聞こえてきた。
──テンッ! テ、テテテーン!
「な、なんだこれは!?」
「どこから音が!?」
聞いたこともないほど激しい音楽。けれど音楽隊はそこにいない。
『あ~、どっこいしょ~、どっこいしょっ! どっこしょ~、どっこいしょっ! あ、ソーランソーラン! ソーランソーランッ!』
人が歌う声まで聞こえてきた! 一体どこから!?
激しい音楽と共に少女は腰を落とし、身体ごと大きく手を伸ばし、力強くお腹まで引く。
「はい、はいっ!」
少女は大きな声を出しながら、手を突き上げる。
ぐるっと両腕をまわし、もう一度手を高く天にあげた。
天の神と一体化するような仕草。
(……こ、これは一体、なんなんだ!?)
彼女を中心に、世界がキラキラと輝いていく。
美しいからではない。物理的な話だ。
黒い瘴気が……たちまち消えていく!
強弱をつけ、リズミカルに。
祈りのために全身全霊、魂すらも捧げるかのように、少女は踊る。
声を上げ、最後まで集中を切らさず──。
『ジャーン!』
最後の音とともに、腰を落としてポーズを決めた少女。
「……っ、はぁ、はぁ」
息が上がっている。
それはそうだろう。
あれほどまでに懸命に祈りの舞をささげたのだから。
あまりのことに、あたりは静まり返っていた。
どれほどの沈黙が続いたのだろうか。
誰か一人が拍手を始めた。
そこからは、鼓膜が震えるほどの拍手喝さいが始まった。
周辺一帯の瘴気が、完全に消えている。
各々の体内にある瘴気すら、ほとんど消えかけていた。
「なんという奇跡だ!」
「聖女様! 聖女様、万歳!」
大歓声とともに、少年が持った革袋へ、次から次へ多額の寄付が寄せられていく。
男も、手元に持っていた有り金のすべてを寄付した。
これほどまでにすばらしい奇跡を目の当たりにして、家に金を取りに戻りたいくらいだ。
徐々に人だかりも減り始め、二人と子猫も帰り支度を始めた。
帰る方向がちょうど同じ方向だったらしい男は、少女たちのずいぶん後ろを歩いていた。
──そこで男は見てしまった。
前方から、顔が見えないほど禍々しい瘴気の渦をまとった男を。
(……っ、呪われた第二王子、アルヴィス殿下! そうか、今日は殿下が神殿に行かれる日か!)
近寄ることすらできないほどの瘴気をまとっている。
月に一度神殿に行き、その瘴気を薄めてもらうのだが──三分の一も薄まりはしないことを誰もが知っていた。
瘴気により彼の顔すら、誰も拝めていないのだから。
第二王子が瘴気病を患ってもう十年。
それほど長い期間、これほどの瘴気の渦の中で生きながらえているのは、月に一度神殿に通えているからなのだ。
平民に、通えるお金などありはしない。
呪われた彼のことをかわいそうだ、と思うと同時に、王族だから治療してもらえていいよな、とどす黒い気持ちが混在する。
そのため、彼には基本的に誰も話しかけないし、遠巻きでひそひそと見るだけだ。
少女たちは話に夢中で気づいていないのか、よそ見をしながら歩き──少女がアルヴィス殿下にどしん、とぶつかった。
男が「あっ!」と目をつぶりかけたその瞬間。
……王子が纏っていた瘴気が、一瞬にして晴れた。
神殿ですら、彼の顔を拝めるほどには薄めることができない瘴気を──。
瘴気が完全に晴れた王子のご尊顔は、それはそれは美しいもので。
「お兄さん! 一緒に食事しませんか!?」
少女と、肩に子猫を乗せた彼女とよく似た少年は、嬉々とした笑みを浮かべながら、同時に口にした。
男はその光景を目撃し、ただ唖然としていた──。
◇◇◇◇◇◇
──このときアルヴィスは、まだ知らなかった。
この日、初めて手を伸ばしてくれた少女が。
誰にも触れられずに生きてきた自分の、すべてになってしまうことを。
そのぬくもりを知ってしまえば、もう、知らなかった頃には戻れない。
──失うくらいなら、最初から知りたくなんてなかった。




