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空っぽの聖域と、光の引越し作戦


 決まってからの行動は早かった。王都の軍勢がこの荒野に辿り着くまで、残された時間はわずか。メグミたちは、愛着のあるこの場所を丸ごと抱えて旅立つ準備に取りかかった。


「ハル、そのカゴには何を詰めたの?」

「おねえちゃん、これね、去年みんなで採ったひまわりの種と、ボリジの乾燥させたやつ! 新しいお庭でも咲かせたいんだ」


 ハルは小さな体に似合わない大きな背負い袋を一生懸命に揺らしながら、ロッジの中を走り回っている。その横では、ふくちゃんがハルの頭を足場にして、「あれも持っていけ、これも忘れるな」と急かすように羽をバサつかせていた。


 庭では、巨大化したモモがその「もふもふ」の巨体をフル活用していた。

 ルナシープたちの水飲み桶や、カイルが薪割りに使っていた頑丈な台座、外に置いていた農具などを、大きな皮膜で包み込むようにして屋根裏やテラスへと運び込んでいく。


「モモ、ありがとう! 重くない?」

「プィ~ッ♪」


 モモは余裕しゃくしゃくと鼻を鳴らし、しっぽでメグミの頬を撫でた。


 一方、スピカは結界の境界線を静かに歩き回っていた。彼女の足跡からは氷の粒子が舞い、メグミが構築した「多層結界」の魔力を龍脈へと繋ぎ直す補助をしている。


「……カイルさん、準備はどう?」

「万全です、メグミ殿。……いや、今はもう、ただのカイルとお呼びください」


 カイルは騎士団の重い甲冑を脱ぎ捨て、動きやすい革の胸当てに身を包んでいた。彼はルナシープたちを丁寧に誘導し、ロッジのすぐ脇にある、転移の術式が及ぶ範囲内へと集めていた。


 庭の真ん中で、ルルが琥珀色の瞳を輝かせ、前足で地面をトントンと叩いた。すると、地下から溢れ出した青い光が、ロッジ全体を包み込む「光の繭」のように膨れ上がった。


 メグミはロッジの柱にそっと手を触れ、自らの魔力を龍脈へと流し込んだ。


「……みんな、準備はいい? 誰も傷つけない、私たちの新しい場所へ行こう!」


 メグミが強く念じた瞬間、視界が真っ白な光に染まった。大きな振動も、音もなかった。ただ、春の風がふわりと頬を撫でたような、浮遊感だけが全員を包み込んだ。


---


 目を開けると、そこは別世界だった。

 ロッジの窓の外には、クリスタルのように澄んだ巨大な湖が広がり、対岸には柔らかな新緑を湛えた深い森が続いている。


「……わあぁ……! おねえちゃん、見て! お花が、さっきよりいっぱい咲いてる!」


 ハルが窓に張り付いて声を上げる。

 すると、荷物をパンパンに詰めた背負い袋を下ろそうとしていたハルが、ふと足を止めた。


「……あれ? おねえちゃん、もしかして、僕が一生懸命運んだ種……お外の物置に入れたままでも、一緒についてきたのかな?」


 その言葉に、メグミもカイルも、一拍置いて顔を見合わせた。

 足元の床も、壁の棚に並んだスープ皿も、庭の畑も、何一つ変わらずそこにある。


「……そういえば、『まるごとお引越し』だったわね。……モモが頑張って運んでくれた薪割りの台も、そのまま庭に付いてきてるみたい」


 メグミが窓から庭を指差すと、そこにはモモが一生懸命運び込んだはずの台座が、移動前と寸分違わぬ位置に、地面ごと鎮座していた。


「プィッ……?」

 巨大化したままのモモが、ポカンと口を開けて自分のしっぽを見つめる。


「ガハハハ! これは一本取られましたな! まるごと移動するということは、荷造りなど必要なかったわけだ。……我々、ずいぶん無駄な努力をしてしまったようですぞ」


 カイルが腹を抱えて笑い出すと、メグミも堪えきれずに吹き出した。

「あはは! 本当ね。ハルもモモも、あんなに頑張って運んでくれたのに! ……でも、そのおかげで忘れ物一つなく、みんなでここに来られたんだから、良しとしましょうか」


 ハルも照れくさそうに笑い、ふくちゃんが「僕も手伝ったんだよ!」と胸を張って鳴く。

 緊張していた空気が一気に溶け、新しい聖域は、家族の笑い声で満たされた。


---


 その頃。

 エリオット率いる王都の先遣部隊が、荒い息を吐きながら「かつての聖域」に到着していた。


「……ここだ! この先に、あの忌々しい聖女のロッジと、化け物たちが……っ!?」


 エリオットが指差した先。

 そこには、遮るもの一つない、寒々しい「ただの荒野」が広がっていた。

 ロッジも、青々とした畑も、何一つとして存在しない。ただ、数日前までそこにあったはずの雪が解け、ぽっかりと不自然に平らな土が露出しているだけだった。


「な、なんだと……!? 消えた……? いや、最初から何もなかったのか……?」


 背後に控える重装騎士たちが、冷ややかな視線をエリオットに送る。

「エリオット殿。……我々は陛下の命を受け、貴重な兵を動かしたのだぞ。……この何もない泥沼が、貴公の言う『国家を揺るがす脅威』なのか?」


「ち、違う! 確かにあったのだ! 黄金の鳥も、巨大な魔獣も……!」


 エリオットの叫びは、虚しく荒野の風に消えていった。



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