Episode48 暁と黄金の森へ -Golden dwan-
闇に閉ざされた森の中を、灯がゆっくりと動いている。
深海のように冥い闇の中、その灯は道を見失った旅人の明かりのように、頼りなげにトボトボと進んでいた。
灯の光源は小さな炎だった。
炎は一人の若者の掌の上で揺らめき、今にも消えそうに時折細くなる。
しかし、決して消えることはない。
まるで奇跡…いや、未練がましく何かに縋るようなその揺らぎは、もしかしたら呪いといった方が正しいのかも知れない。
「何度来ても陰気くせぇな、ここは」
明かりを手に揺らめかせつつ、若者…頼都(鬼火南瓜)がボヤく。
昨晩までの雨のせいもあるのだろうが、森全体が湿気に包まれ、古木や腐葉土の放つにおいで満ちている。
まるで墓場のようだ、と頼都は胸の中で吐き捨てた。
だが、実際にこの森は墓場といえるだろう。
過去には、とある魔術師の家系の一族が所有していたこの森は、彼ら自身が眠る場所でもある。
そして、この現世と異界である「幽世」の狭間に最も近いとされていたこの場所には、神秘が枯渇しつつある現世側にありながら、いくつかの怪異が今なお目撃され、誰も近寄らない。
たまに好奇心で足を踏み入れる者がいても、大体が見てはいけないものを見て逃げ帰るか、そのまま姿を消している。
そんないわくのある森の中心へ、頼都は進んでいるのだった。
目指す場所はただ一つ。
今となっては墓標ともいえる、魔術師達が遺した小さな家だ。
「邪魔するぜ」
ノックもせず、一気に扉を開く頼都。
以前訪れた時と変わらない、物が散乱し、荒れ果てた室内が彼を出迎える。
頼都はそんな部屋の一角に置かれた揺り椅子の前で立ち止まった。
「よう、じいさん。くたばってるなら返事しな」
頼都のその呼びかけに応えるように、揺り椅子がキィ…と揺れる。
風の悪戯が起こしたその揺らぎは、その揺れを継続させ、次第にその揺れ幅を大きくしていった。
まるで、そこに誰かがくつろいでいるかのように
(…儂を…呼ぶのは…誰じゃ…?)
そんなか細い声が響く。
受信環境が悪いラジオが発したようなその声は、おおよそ生気を感じない陰鬱なものだった。
「前にも名乗ったが…Halloween Corpsだ」
面倒そうに頼都が応える。
すると、揺り椅子の上に青白い人影が浮かび上がった。
それは一人の小柄な老人だった。
頬はげっそりとこけ、眼窩はくぼんで光も見えない。
老人は“幽霊”だった。
老人…マイルズ=エアハートは朧に揺れる姿で、頼都の方を見やった。
(ハロウィン…コープス…)
「ああ。しばらくぶりだな、じいさん」
そう言いつつ、頼都はわずかに目を細めた。
(魂の密度が薄い…そろそろ限界か)
殺された息子夫婦の仇討ちを望み、孫の命を欲して止まない死霊の妄執も、生と死の法則には抗いきれない。
とはいえ、数十年も怨嗟を糧に現世にしがみついていたその執念は、腐っても魔術師エアハート家の当主として名を遺しただけのことはあるといえた。
「幽体だけでなく頭もボケたか、じいさん」
(…いいや)
老人の声におぞましい色が滲み出る。
(全てを…覚えている…)
霞む幽体にそぐわない、強い眼光が頼都を射た。
(儂のあああ愛するかかかかかka家族を奪ったたたた…!)
揺り椅子を派手に揺らしつつ、マイルズ翁が身を乗り出す。
(憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎しい…あのををを…妖精の娘えええええええええ…!)
骨ばった指を揺り椅子のひじ掛けに突き立て、憎悪に満ちた表情で中空を睨む老人に、頼都は冷めた視線を向けた。
エアハート家は魔術師として優秀な血筋ではあったが、年々その才覚は衰退の一途を辿っていた。
そこで、奇しくも同じように種としての繁栄の袋小路に陥っていた妖精に目を付けた彼らは、互いの隆盛を賭けた実験に踏み込んだのである。
魔術師達は魔力に優れた妖精の子を迎え入れ。
妖精達は生命として現実世界の頂点に立つ人間の子を迎え入れた。
結果、妖精の子は現実世界で病魔に侵されて死亡。
長き月日の後、人の子は妖精界から帰還し、常人を超える頭脳を得たものの、人間の世界には適合できなかった。
だから、
「その憎い妖精の娘なら、俺が始末したぜ」
そう言うと、頼都は懐から取り出したものを手近なテーブルの上に放り投げた。
闇の中、金色に輝くそれは一房の毛髪だった。
端は焼け焦げているが、まぎれもなく女の髪の毛だ。
「セリーナ=エアハートは、間違いなく妖精だった」
卓上の金髪を見やりつつ、頼都は続けた。
「人間として神学校に紛れ込んでいたが、正体を見抜かれた奴は俺と敵対する道を選んだ」
何の感情も映さない瞳が、死霊の老人へと向けられる。
「奴の母親も加勢してきたんでな。一緒に始末した。こいつはその証拠として受け取れ」
頼都の台詞の後、長い沈黙が続く。
やがて、
(…おお)
マイルズ翁の口から、嗚咽のような声が漏れる。
(おおおおおおおおおおお…死んだあああああああ…!)
幽霊ゆえに涙こそ流さなかったが、マイルズ翁はこれまでにない激情のうちに絶叫した。
(死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!死んだ!)
揺り椅子が限界まで揺れ動く。
ただでさえ朽ちかけていた椅子は、徐々にボロボロになっていった。
(感謝だ!満ちた!終わった!すべてが…!)
天を見上げ、歓喜の慟哭に咽ぶマイルズ翁。
透きとおっていたその幽体が、さらに薄くなっていく。
(これで…儂は…)
最後の最後で、老人は至福の笑みを浮かべる。
大事な息子夫婦を失い、その仇と定めた孫娘を憎悪し続け、死後も抱き続けた憎悪を糧に幽体として孤独に彷徨い続けた。
その呪われた旅路が、ついに終わるのだ。
(感謝…する…狩魔の軍団…よ…)
そう言い残すと、老人は微細な光となり、消えた。
暗闇の中、静寂だけが残される。
その中で、頼都は砕け散った揺り椅子に背を向けた。
顔に浮かんでいたのは、ようやく終わったという解放感。
そして…一抹の羨望。
不滅ゆえに悠久の孤独に捕らわれた頼都にとって、老人が見せた最後の微笑は、ある意味、目映いものであった。
「じゃあな、エアハート。これで約定は果たした」
取り出した羊皮紙…遥かな昔、頼都達がエアハートの魔術師と取り交わした契約の巻物を掌の炎で焼き捨てる。
扉を開き、立ち去る横を抜けた夜風が、卓上の黄金を散らし、暗闇を僅かに彩った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
時間は数日前にさかのぼる。
「…まったく、酷い目に遭ったわ」
うんざりといった声に、頼都が振り向く。
そこには朝日に照らされながら立つメアリー(透明人間)がいた。
「よう、遅い帰りだったな」
頼都がそう笑うと、メアリーはそっぽを向いた。
「うっさい。仕方ないでしょ、完全な不意打ちだったんだし」
不満気にそう漏らすメアリー。
「それに…あんな成功例が存在するなんて、反則もいいところよ」
「…連中の実験は、成功してたのか」
燻ったにおいが辺りに漂う中、頼都は呟くように言った。
それにメアリーが肩を竦める。
「成功例とは言ったけどね、正直、私は疑問もあるわ」
「何故だ?」
「あの娘は…」
焦げ臭いにおいは頼都の前から漂ってくる。
そこには、少し前までまったく同じ顔をした二人の少女が立っていた。
だから、メアリーはすべてを察した。
「言うなれば『魂の二重存在』だったわ」
“二重存在”…それはドイツに伝わる怪異の一種だ。
ある日、自分と全く同じ姿の存在と遭遇するというもので、生霊だったり、第二の自我ともされる。
これに出会うと死が近付くともされており、不吉とされていた。
「彼女自身は間違いなく人間よ。でも、彼女の霊核はもう一つ別の魂で覆われていた」
風に流れる髪を押さえつつ、メアリーは徐々に輝きを増す朝日へと目を向ける。
「…でも、本来はあり得ない存在ね。一つの魂にもう一つの魂が同時存在するなんて、全く同じか天文学的に近い確率で似通った魂と肉体が存在しない限りは、起こり得ない現象よ」
「全く同じ顔の母親がいたんだ。もし、その娘の魂がこの世界に残っていたなら、あるいは…ってことにはならないか?」
二人が立っていた場所を見つめつつ、頼都がそう尋ねる。
メアリーは首を横に振った。
「対象が消滅してしまったなら、それはもう検証のしようがない、ただの空論ね」
「…」
「もしかして、信じているの?」
尋ねるメアリーに、頼都は目で問い掛ける。
「妖精童話みたいな、その可能性を」
「さあ、な」
懐に手を入れて、頼都は取り出したものを見る。
それは、ひと房の金髪だった。
端が焼け焦げているのは、頼都の繰り出した炎熱の手刀が溶断したからだ。
『こいつを狩りの証拠にもらう』
立ち尽くす同じ顔をした少女達に、頼都はそう告げたのだった。
『これがあれば、エアハートとの約定は果たされる。あとは好きにしな』
二人の少女は、その言葉を受けて、姿を消した。
どこに行ったのかは、頼都も知らないし、与り知らないことだ。
人の世に戻るのも、常若の国に去るのも、全ては彼女達の自由なのだ。
「けどまあ、そんな微生物の食べかす程度の可能性でも、俺は気長に待てるんでな」
振り向きつつ、ニヤリと笑う頼都。
それに鼻を鳴らすメアリー。
「何よ、それ。もしかして、寿命細胞に難がある私への当てつけ?」
「いいや。でも、ちょっとした可能性には当たるんじゃないか?」
そう言うと、頼都は踵を返す。
「妖精界に跳ばされるなんて、そうそうない体験だっただろ?」
「うっわ、ムカつく!」
顔をしかめたメアリーがその後を追った。
「いくら次元跳躍できる私でも、あそこから帰って来るの、ものすごく大変だったんだから…!」
「へいへい…で、妖精にでも会って、長寿の秘訣とか教わることはできたか?」
「んなわけないでしょ!大体、あいつらってば私を見るなり…!」
お互いに言い合う二人の姿を、黄金の朝日が照らす。
その中に溶けるように、夏至の夜が残した影は、消えていったのだった。
後には何も残らなかった。
取り替え子だった一人の少女も。
彼女と瓜二つの顔をした“もう一人の少女”も。
すべてがこの世界から消えていた。
ただ、黄金に輝く朝日だけが深い森を照らし、金色に染めていた。
『ようこそ、常若の国への』
ふと、そんな声が響く。
しかし、それに耳を傾ける者もなく、森は黄金に染まっていた。
まるで一つの妖精童話のように




