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キッチン&ダイニング花花 FINAL
店長のところにおめおめと(?)舞い戻ってから。
卒業までは以前の通りのバイトシフトで通い、就職してからは、いくら仕事あがりに手伝いますとは言っても最初は時間や体力がなかなかどうして、花花まで回せず。まあ当たり前だ。
平日に店長の顔が見れないのはともかく声さえも聞けないのは残念だが(こっちの仕事中はメールや電話はできないし、かといって終業後は店長の方が仕事中だ)、諦めようと思って、いや実はあんまりそうは思っていなかったんだが、ともかく就活中は全く会えなかったことに比べればなんてことない。
とにかく土日は絶対顔を出す。そして店長はそんな健気な俺を本当に無給でこき使ってくれる。さすがだ。
そんな中「あ、バイトくんだー」なんて喜んでくれる常連さんもいる。もうバイトじゃないんだけどね。
それはそうと、俺のいなかった数か月の間に、最大最強のライバルが現れていた。
今でも店長はその男に夢中である。貢ぎまくってる。メロメロだ。
「あ! みーくん!!」
来やがったな。
そのライバルは、土曜の夜にやってきた。店長は注文そっちのけで、その男の元に飛んで行く。
店長にぎゅーっと抱きしめられ頬ずりされるその男は。
「もー、もーも」
「え、わ! かわいい! なになに店長の隠し子?」
どうやらまだ“みーくん”に会ったことがなかったらしい常連女性客がその物体を見て目を輝かした。
「かわいいでしょ! 従弟のみーくんです!!」
……オーナーのところに生まれた『稔』である。
「いやー、俺もすっかりイクメンだよ。もう子供のことなら任せて?」
嘘つけ。
オーナーは店長に稔を任せたままカウンターに座った。
「桃ちゃんなんでもいいからなんか出して、腹ヘッタ」
「みーくんは食べた? ていうか萌子さんは?」
「ミースケにはさっき食わせた。萌子は今日急な仕事が入っちゃって多分遅い」
「もしかしてうち行った? みんなで揃って昨日から2泊で温泉なんだけど」
「そう、さっき行ったら留守だったから姉ちゃん(※店長母)に電話したら鬼怒川だった」
やはり実家に預ける気だったな……。でも店長の家はおじいさんおばあさんご両親揃って温泉旅行ときた。
「預ける相手がいないもんだからここに来たんですね……」
俺がチクリと言うと、
「いやあ、そういうわけじゃないよ。ミースケが桃に会いたいって言うからさあ」
と悪気もなさそうにオーナーはニヤニヤする。
「まだあんまり言葉喋らないじゃないですか、もーもーって牛みたいに」
「誰が牛だ!!」
店長が怒った。
そうして店長はひとしきり稔をぎゅうぎゅうしたり頬にキスをしたりしてから(羨ましくなんかない)
「まあいいや、ともかくわかった。バイト、みーくん抱っこしてて」
と俺に稔を渡した。
「はいはい。ホラ稔、おいで」
「ゆたー」
そうなのだ。実は稔の一番の子守は俺なのだ。オーナーの奥さんの萌子さんは37歳で出産するまでバリバリ働いていた女性で、結婚出産してもそれは変わらないらしい。必然的に、忙しいようなフラフラしているようなオーナーが稔の面倒を見ることも少なくない。少なくないが、俺は知っている。実際は店長の祖父母やお母さんにちょいちょい稔を預けていることを。まあ、あそこのうちは可愛い孫、甥、従弟に揃いも揃って夢中みたいだけどな!
それはともかくこうして花花に連れてくることも多々あって、そうなると店長は調理もするし、必然的に俺が稔の面倒を見ることになるのだ。おい、父親は何やってんだ。ウィスキー飲んでる場合か! 今度いないときにそのウィスキーくすねてやるからな!
「ゆたー」
俺に電車のおもちゃを渡しながらにぱあっと笑う稔。まあ可愛くないことはないんだよ。ていうか正直なことを言えばすげー可愛いんだけど。
「お前は俺のライバルにならないでくれよ?」
どうも店長の身内の男は警戒してしまうなあ、と我ながら苦笑い。
そうやってあやして遊んでいるうちに稔が寝てしまったので、キッチンの奥の小部屋のソファに寝かせてくる。時間は21時近い。オーナーは酒を飲んでどうやって稔を連れて帰る気だ。
「こんばんはー。あ、今日はバイトくんがいる! みーくんも!」
これまた常連カップルが来店した。
「いいのかーサラリーマンがバイトしてー」
カップルの男の方がひやかすように言う。
「もう俺バイトじゃないですよ、無給なんだから」
「えっほんとに無給なの! 店長、オニ!」
注文を取りに来た店長に向かってカップルがそう言うと、店長は平然と答えた。
「いいんです、押しかけ亭主みたいなもんなんだから私がどうこき使おうと」
「えっ」
「えっ」
「ええっ!!」
ちなみに最後に叫んだのは俺だ。
店長は「違う?」と俺の方を振り向いた。げらげら笑い声が聞こえたかと思うとそれはオーナーで、「違わないよなあ」とさらにウィスキーをあおった。だから、そんなに飲んで、誰が稔を……。
「え、いつ結婚したの? 知らなかった!」
「まだしてない」
「そっかー、そうだったのかー、いやーバイトくんは一生こき使われるのか……」
「気の毒そうな顔するのやめてくれます、私に失礼」
俺をすっかり置いてきぼりで会話が進んでいる。
「あの、あの店長」
「生中2つね、お通しはひじきのやつ。ちょうどふたつあるから」
「えっハイ……」
それからたて続けに来客があって、バタバタと閉店時間まで話す間もなかった。
──オーナーはいつの間にか消えていた。稔を残して…………!!
「あの人はどーして息子を残して消えるんですか! 父親失格じゃないですか!」
俺は眠っている稔を抱いて店長と電車に乗っていた。終電まではまだもうちょっと時間はあるが、土曜の夜なのでそこそこ乗客はいる。しかし子連れだったせいか優先席に座らせてもらえた。これ絶対夜遅くに小さい子供ひっぱりまわしてるバカ若夫婦みたいに思われてるよな。若夫婦……。自分で考えてちょっと照れた。
「まあまあ。確かにこんな遅い時間に小さい子連れてるのはよくないけどね。ユタ萌子さんのとこに行ったんだよ」
「え?」
「最近萌子さんめちゃ忙しくてさ、みーくんの世話もあるしユタとふたりの時間も取れないみたいで。ユタに今夜はみーくん私が預かるって言ったんだよ。だから多分ふたりでどっか泊まってくるんじゃん?」
「……まあ事情はともかく。今日俺がこれなかったら稔どうやって連れて帰ったんですか」
「だから、バイトがいたから引き受けたんだって。バイトにみーくんを運んでもらおうと思ってさ。ついでに泊まっていけば? うち誰もいないし」
稔を落としそうになった。座っててよかった。そのついでに先刻のことも思い出した。何故忘れてた俺。それも含め話をしようと思ったところでちょうど電車が最寄駅に着いた。
改札を出て店長の自宅まで歩く。くそ、だんだん腕が疲れてきたな。
「て、店長、あのですね、さっきの店の押しかけ亭主うんぬんって」
「うん」
「あの、どういう意味ですか?」
「どういうって、そのままの意味だけど。……いやだった?」
店長の声がなんとなく小さくなった。
「……バイトは、もう私のこと、好きじゃない?」
「え?」
「戻ってきたとき、好きだって言ったじゃん。でもそれからは……言ってこないよね」
「いや……あの……あんまり言うと負担になるかなと思って。店長のこと好きですけど」
大好きですけど。
「だから、亭主というからには店長にだって好かれたいです」
暫し続く沈黙。稔のむにゃっとした寝言だけ聞こえた。
「私、バイトのこと好きだよ」
「えっ」
また稔を落としそうになった。
「あんまり伝わってなかったとは思うけど……」
「ま、まるっきり伝わってません! いつから! いつからですか!?」
「いつからって言うか……、あの、ユタが結婚するって言ったとき、『おかしくない』って言ってくれて……そのまま黙ってついててくれて……まあ、あの辺がきっかけというか……」
俺が失恋を決定的に感じたときじゃないか。てかあれいつだよ!
「あのときもあのあとも、辛かったんだけど、でもバイトがいてくれたから気分がそこまで沈まないですんだ……。それでそのうちあんた就職活動でいなくなったじゃん、それでさ、まあぽっかりというか……そしたら戻ってくるし。好きだとか言うし。なんだかんだそばにいるし」
並んで歩く夜道。店長は俺の方を見ない。
「あとはどうやってそれを伝えようかなと思ってたんだけど……言えないまま」
「言えないまま2年とか!」
「2年も経ってない!」
「1年でも2年でも1週間でもどれでもいい! なんで言ってくれなかったんですか!」
「だって! 時間も経ってるし、バイトが私のことまだ好きかわからなかったし!」
なんだこの痴話喧嘩みたいなのは。
顔を赤くして、俯いている店長は今まで見たことがないぐらい(そうだ、見たことがない!)女の子っぽくて可愛かった。
俺たちはいつの間にか夜道で立ち止まっていた。
「あの、店長。じゃなくて桃子さん。俺、桃子さんが好きですよ。ずっとずっと好きでした。これからも好きです」
「うん……。あの、私も好きだから」
稔を放り出して抱きしめたい。オーナーめ、何故稔を置いてった! いやしかし稔を連れて行くという名目がなければ今この時間はなかったわけで。俺はオーナーに対し責めるべきか感謝すべきか悩んだ。
「とにかく……、うちに行こうか。みーくんもいい加減重いだろうし」
照れを隠すように、店長はまた夜道を歩きだす。ああ、本当なら抱きしめてキスのひとつでもして、手を恋人繋ぎしながら歩くべきシチュエーションなのに。子供は国の宝だが時として非常に邪魔者だ。
「ほんとに泊まってっていいよ」
着いた玄関先で今日三度目の稔を落としそうになる事態に陥った。
そ、そうか、これは一気に段階がすすむシチュエーションだったのか!
「あ、でも期待しないで。みーくん夜中に起きることあるしそうなると泣くから、私みーくんと一緒に寝るし」
ほんとにもう稔どっかに捨ててこようかな!!
「……でも、明日も仕事だけど、月曜は定休日だから、えーと、どっかで待ち合わせようか。バイトがそんなに遅くならないで仕事終わって疲れてないなら」
「つっ疲れません! 絶対疲れません! 残業もしません!!」
ふふっと店長が笑った。
俺の好きな花のような笑顔で。
「てん……いやあの、桃子さん、でもってそろそろ俺のこと名前で呼んでもらえませんかね?」
「国友?」
「ちょっ……! いやそこはあの、やっぱり下の名前で呼ぶところじゃないですかね!」
「冗談だよ。──悠太」
……実はオーナーの名前と若干被るのがビミョーなところだが。
「悠太。何してんの。早く入りなよ」
でも、この似た名前が、やっぱりもう今は、全然違う響きに聞こえるのだ。
つまり稔は最初からバイトくんのことを呼んでいたわけで
* * *
これにて拍手話もおしまいです! 長々読んでくださりありがとうございました!




