01話 水理王・淼
淼視点です。
水理王の朝は早い。
何故なら眠る必要がないから。
水の精霊の王に、停滞は許されない。ただ、水の流れを感じ続けている。
水を総べ、理に従い、流れを正す。流れに背く輩がいれば、裁かなければならない。
それが私の仕事だ。
「アハヒャハハッ!! 行け行け行けーっ!! 俺が本流だーっ!!」
水が不自然に泡立った場所に加害者を見つけた。
川面を殴って強引に流れを変えている。時々、水の塊を撃ち込んでいるようだ。その度に爆音と水飛沫が上がっていた。
あの男は近年領域を侵している。これまでにも他の支流を飲もうとしていた。口頭の注意で済ませてきたが……。
階級は、確か下から二番目……叔位。本流の傘下にあるはずだ。その本流を飲み込もうとするなど、救いようがない。
「止まれ。勅命である」
静かにそう言いながら左手を軽く振った。その瞬間、逆流を続けていた川の動きがザワリと変わる。
波が止まる。風が吹いても動かない。一粒の飛沫でさえ、宙に縫い止められていた。
水は『止まれ』という私の命令を忠実に守っている。
「お、おい! 何だ、何をやっている! 華龍河を飲み込め!」
支流の精霊は何が起きたのか分かっていないらしい。不自然に止まった水を動かそうと更に暴れだした。
指の先に氷の粒をひとつ生み出す。それを水面へそっと落とした。
氷の粒が着水すると、ドンッという轟音が鳴り響いた。巨大な水の壁が立ち上がる。それを合図に水が勢い良く退き始めた。
「再三にわたる警告を無視。度重なる理違反。精霊の風上にも置けない不届き者が!」
そう告げると、ようやく私の存在に気づいたようだ。私が力を抑えているせいで分からなかったのだろう。認識した瞬間、苦々しそうな顔をされた。
「御上……」
顔を歪ませた男は、固まった水面に膝をついた。
「弁明があるなら聞こう」
無駄だとは思うが、一応反省の弁を述べるつもりなら聞いておこう。しかし何も言う様子はなく、ただガックリと頭を垂れている。
「……言いたいことはないようだな。ならば――」
罰を告げようとした、その時。
「くらえっ! 『水球』!」
濁った水の球が飛んできた。
本人にしては力一杯投げたつもりなのだろうが、緩慢な動きだった。
当たることはないが、避けておく。
この男、うなだれたフリをして攻撃の準備をしていたらしい。理王に攻撃を仕掛けるなど身の程知らずだ。
呆れて何も言う気にならない。新たに詠唱を始めているが、止める気にもならなかった。
「河の気よ 命じる者は 大河の子 岩をば砕き 場を押し流せ! 『鉄砲水』!」
男の腕から勢いよく濁流が放たれた。重力にも負けず昇ってくる様は、まるで逆流した滝のようだ。
まっすぐ私に向かっている。
だが、逃げも隠れもしない。
避ける必要すら、感じなかった。
ほんの一瞬、水に包まれて視界が閉ざされる。
「ざまぁ見ろ! 邪魔しやがって! 無傷で済むと思うなよ!」
しかし、水は触れない。
私を避けるように、自ら逸れていく。
涙を払うように瞬きをひとつ。
瞬く間に水は散った。視界が開け、飛び散った水が光を受けて煌めきながら落ちていく。
「無傷で、残念だったな」
男は言葉も出ない顔をしていた。
「なっ……『鉄砲水』が効かない?」
明らかに狼狽えている。
罪状と罰を言い渡して終わらせるつもりだったが、気が変わった。
こういう愚か者は少し痛め付ける必要がある。
理に反した結果を……身をもって知るといい。
「余の番か?」
水球……詠唱など不要。
私の周囲に、澄んだ水の球が十、百……と増えていく。
「行け」
短く命じる。
水球が一斉に男へと襲いかかる。
「くっ……! 『氷壁』!」
咄嗟に張った氷壁が初撃を防いだ。だが、あまり意味はない。
「変転せよ。『氷球』」
水が氷へと変わる。
氷壁は数発で砕け、残りはすべて男へと叩き込まれた。
男は瞬く間に満身創痍となる。
「うっ……く……そ……」
「どうした? 終わりにするか?」
降参を促す。だが返ってきたのは、睨みだった。
「まだだ……! 『氷苦内』!」
氷の刃が飛来する。
溜め息が漏れた。
指先で触れると、それはピタリと止まった。そのまま向きを反転させる。
「散れ。『氷結錐針』」
男の粗雑な術を奪い、練り直す。数も、威力も、鋭さも――すべてが上回る。
顔を歪めて逃げようとする男の服を、針が貫いた。
「ギャアッ!」
身体は狙っていない。あくまでも服だけ。だが、それだけで男の戦意は完全に砕けた。
「叔位を剥奪の上、本体である支流を没収する! 真名を名乗ることも許さん」
宣告と同時に、男の身体が光に包まれる。
「あ……い、嫌だ……まだ……」
光が消えた後に残ったのは、一匹の水蠆だけだった。
またひとり、あの戦いの残党を処分した。
河は、何事もなかったかのように流れてい。だが、その流れの奥に、わずかな歪みが残っているのを私は知っている。
「ん?」
水の流れに異質な気配を感じ、水面へ降りる。
一筋の異様な流れが、王館へと向かっていた。
水形の蛇か、それとも鰻か。
苦し紛れにしては、悪くない形だ。だが、大事に到る程でもない。
右手を上げ、止めようとして、ふと思いとどまる。
「淡に任せるか……」
試してみよう。
ーー私の一滴が、どこまで育ったか。
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