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水精演義  作者: 亞今井と模糊
一章 理術学習編
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10話 雫と淼、淼と淡

今回は淼視点です

 夜、執務室に行くと、びょうさまの机には見た事がない量の書類が積んであった。崩れないか心配だ。


 淼さまは最近外出が多いらしいので、会えたのは運が良かった。だけど、お仕事の邪魔をしてしまったのは心苦しい。


 淼さまは大きく伸びをして仕事の手を止め、安楽椅子ソファに移り、僕の悩みを聞いてくれた。


  王館で理術の実戦訓練をすると言う先生に対し、あわさんは、初級理術を外で使えるようにした方がいいと言う。


 先生はこの数カ月、理術はもちろん、それ以外にも僕が知らないたくさんのことを教えてくれる。


 あわさんは僕が王館に来たときからずっと助けてくれている。困ったときは、いや、困ったと感じる前にいつも手を貸してくれる。


 期間は違うけど、二人とも僕にいつも最善の助言をくれる。だからどちらの意見も尊重したい。


 言い終えると、自分の息が少しだけ上がっていた。淼さまの相づちや返事も聞かずに、一気に早口で喋ってしまった。


 やや興奮気味の僕とは対照的に、びょうさまは冷静に声を発した。


「二人とも雫のためを思っていることは間違いない。でも二人とも半分正しくて半分間違いだ」


 淼さまは僕の話を真剣に聞いて、真剣に答えてくれる。


「言っていることはどちらも正しいが、どちらも雫がどうしたいか聞いていない。……ただこれに関しては私もだ。雫の意見を聞かずに理術の学習を決めてしまったからね。だから私も同じ過ちをしているし、その分二人の気持ちもよく分かる」


 びょうさまは間違ってなどいない。最終的には僕がやると言ったのだ。


「理王が間違うなんて、あり得ません」

「理王は間違わない……か、プレッシャーだなぁ」

「あ、いえ、その。すみません。つい」


 焦る僕に、淼さまは軽く笑った。


「結局、皆、雫のことを考えているわけだけど、今回のことに関して言えば、師匠の方を断るのは難しいだろうね」


 やっぱり。あわさんに断れって言われたときに、それは出来ないと思った。


「漣は雫の教育に関して全権がある。だからそれに口を出すのはルール違反になる。私から断ることは……出来ないとは言わないが難しい」

「そうですか」


 結局やる必要があるならば素直に受けておくべきだ。


「心配しなくても師匠は雫を傷つけるようなことはしないよ。り傷と多少の切り傷は除いてね」


 多少ってどこまで? という疑問は飲み込んだ。聞いてはいけない気がする。


「とは言え、あわの顔も立ててやるか。確かに師匠がいない間、ずっと復習だけしているのも効率が悪い。お復習さらいは半月程度で終わるだろう。その後は淡の言うように、外に行っておいで。初めは実家がいいんじゃないかな?」


 思っても見なかった案に驚いた。実家というと王館から東にある母上の大河だ。


「十年間、一度も帰ってないのだから顔を見せておいで。母上の方には先触さきぶれを出しておこう。で、あわが一緒に行くって?」

「はい、そう言ってくれました。でも里帰りなら一人で」

「いや、それは駄目だ」


 びょうさまが間髪入れずに却下した。即答で却下されるのは珍しい。


「雫はまだ理術の一部を使えるようになったばかり。一人での外出はやめておくように」

「分かりました」


 淼さまの言葉に素直に頷いた。里帰りするのに理術が必要なのかどうかは疑問だけど、最適な解決策をくれた。


 お陰で悩みもスッキリ解決した。淼さまに相談できて良かった。


「スッキリした顔をしているね。なら、もう休むといい。私はもう少し仕事があるからね」

「はい、では失礼します。お邪魔してすみませんでした」 



 ◇◆◇◆

 


 パタンと控え目な音を立てて、雫が執務室から出ていった。静かな部屋に熱い気配を感じる。


「話があるなら聞く」


 言外に出てこいと示すと、燭台しょくだいからスルッと人型が出てきた。大股で安楽椅子ソファに近づき、私の前でわざとらしく膝を折った。


水理皇上すいりこうじょうにおかれましてはご機嫌麗しゅう」


 赤い頭しか見えないが、伏せた顔で口角が上がっている様子が想像できた。


「面を上げよと言った方がいいのか?」


 目にかかる髪がいささか邪魔で、搔きあげていると、その僅かな間に赤い頭が立ち上がった。


「一応俺の方が立場が低いんだから、失礼だろ?」

「今忙しい。話があるなら手短に頼むよ、火の太子」


 机の上の書類を指差すと、釣られたように首を向けた。


「つれないな。せっかく水の王館まで出向いたって言うのに」

「毎日雫に食事を持ってきてるだろう。えん、用がないなら帰ってくれないか。本当に忙しいんだ」


 軽口に付き合う気はない。男は状況を察したのか、冗談をやめて私の向かいに腰かけた。


「外に出すのか?」

「言い出したのは貴方じゃないのか、えん?」


 焱は指を組んで前屈みになってきた。赤い目と視線がぶつかる。燃えるように赤い髪に、同じような色の目。


 さながら赤い小蛙花ラナンキュラスのようだ。小蛙花ラナンキュラスの薄紙のような花びらは火の揺らめく様子に似ている。


「そうだ。俺が提案した。先々代さまが実戦訓練するって言ってるそうじゃないか。あいつにはまだ早いぞ」

「分かってる。実戦ともなれば属性混戦だろう。あの子は本体が少なすぎて火属性にだって負けるだろうな」

「分かっててやらせるのか」


 焱は私を少し睨んでいる。きっとこの男も雫を大切に思っているのだろう。


「先々代に一任していることだ。あの方は言い出したら絶対に聞かない」

「訓練でも負けるってことは精霊として終わるってことだぞ。それを黙って見てるのか!」

「先々代に任せる」


 焱が顔を真っ赤にして立ち上がった。相変わらずすぐ熱くなるが、その分、冷えるのも早い。焱はハッと何かを思い出したように安楽椅子ソファに戻ってきた。


「風呂場で襲われたことも聞いた。俺が側にいなくて悪かった」


 雫は浴室での事件を既に話したらしい。私から又聞またぎきするよりも本人から聞いた方が良い。手間が省けて何よりだ。


「それは貴方のせいじゃない。それよりも雫に付いていってくれると聞いた。防火対策をしてくれるんだろう?」


 一方的にそう告げて、安楽椅子ソファから立った。机の上の山積みの書類との戦いが私を待っている。


「ああ、そっちは任せろよ。その書類は何なんだよ。火理王おかみにはそんなにないぞ」


 席に着くと、書類でえんの姿が見えなくなった。机まで追いかけてこないところを見ると、もう去るのだろう。


「未決はもうない。ほとんど流没闘争りゅうぼつとうそうの資料だ」

「あぁ……流没闘争、か」

「そうだ。そのために十年間あの子を守ってきた。あの子を利用している後ろめたさはあるが」


 雫を気にかけているえんのことだから、何かしら文句を言ってくると思ったが、意外にも黙っている。


「……それが、最終的に雫のためになるなら、仕方ないんじゃねぇの」


 やっと聞き取れるような小さな声で呟きが聞こえた。普段声の大きい男が自身を失ったような微かな声しか発していない。


「もちろん。利用してはいるが雫を助けるためでもある」


 動く気配がして、焱の顔が見えた。立ちあがったらしい。


「なら、俺は何も言わない。そもそも一介の火精が口を出すのはルール違反だな。……火理王おかみならともかく」


 えんの言葉が含みを持った。


 ……なるほど、雫を外に出すという提案は焱の意思とは別のようだ。


「雫のことに関してはいつも感謝してるよ」

「気にするな。元々、俺の身内は水精が多い。一人くらい増えたところで俺の火に影響はない。だから過去の精算に専念しろ」


 火に影響がないのは雫の本体が僅少故だと思うが、わざわざそれを指摘する必要はないだろう。


「分かっている。今度こそ終わらせる。外に出るならあの周辺は気を抜くな。火精の貴方に行かせるのは申し訳ないが、雫のことを頼む、あわ

「……拝命しました。水理皇上すいりこうじょう


 焱は背を向けたまま、短く返事をするとヒュッと短い音を立てて姿を消した。辺りが焦げ臭い。絨毯カーペットが焦げていそうだ。


 処理済みの書類を端に避けて、資料を手に取った。


流没闘争りゅうぼつとうそう

 水精間の権力あるいは本体の管理権争いの総称。時期によって二つに分類される。


 一、第一次流没闘争


 波や瀬など管理権の境目が曖昧あいまいな水精から始まったと考えられる覇権はけん争い。始まりはおよそ五百年前。徐々に広まりつつあったが、第三十一代水理王の裁定さいていにより間もなく終息。


 以来在位中は、不安定な領水りょうすいも平和が保たれた。

 闘争の起こった場所並びに関わった精霊は別紙記載。


 二、第二次流没闘争


 第三十二代水理王の世に起こった水精間の争い。管理権の明確・非明確に関わらず、一切のルールを無視して自身の覇権を広めようとして起こった争い。


 第三十二代水理王の自滅並びに第三十三代水理王の即位によって二百年ほど前に収束(終息とは言い切れず)。水精は落ち着きを取り戻すも、百年間続いたルールの崩壊から立ち直っていない者も多い。


 また、一部の水精は未だに覇権を求め、水面下では領水拡大、力の誇示、地位上昇を望んでいると見られる。

 闘争場所は限定できず、関わった水精で確認できた者は別紙記載』


 別紙をめくると一枚ではなかった。水精全体に広まった争いだ。少なからず高位精霊の名もある。今まで蓄積した情報と合わせれば落とし所は見えてくるが、如何せん量が多い。


 休まずにやるしかない。


 外で水球の練習をする雫の声が聞こえるまで、陽が高くなっていることに気づかなかった。

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