★王都沈没
焦げる臭い、人々の悲鳴、魔物の咆哮。
人の世界の中心部、王都とも呼ばれる大都市は混沌たる狂気に呑まれていた。
「ああ……!勇者さま……、そんな……!」
「ちくしょう!男は武器をとれ!金は要らねえ!皆で俺らの街を守るぞ!」
「助け、助けて……!あ、足が……、俺の、俺の足、どこに落とし、あっ、あっ、あぁ……!」
悲鳴、恐怖、絶望。
数えるのもバカバカしい程の魔物の大群が、突如として王都に押し寄せ、人々を裂いて喰らい、焼いて潰し、攫い犯し、蹂躙の限りを尽くして暴れ回る。かつて栄えた街は崩され燃やされ、あちこちに死への入り口が開いていた。
魔物と戦う勇者達も、健闘むなしく命を落とし、祈りを捧げられる暇もなくただ消耗されていく。
「皆、お逃げなさい!」
すると、恐々たる街に美しくも力強い声が響き渡り、分厚い黒い雲から一筋の光が差し込んだ。
細い光は徐々に拓けて拡がってゆき、その中心からは一人の女性がゆっくりと舞い降りる。
「おおっ!あのお姿は……!」
「ああっ、女神様……!女神様がお越し下さった……!」
神々しい光の衣を見に纏い、不浄の穢れを正す黄金の錫杖を携え、多くの人々に信仰される月と戦いの女神、名をルナエル。
人々の危機に、女神は遥か遠い天から地上へと舞い降りた。
「申し訳ありません、人の子達よ。不肖この女神、遅ればせながら助太刀致します!戦える者は私と共に!そうでない者は気にせずお逃げなさい!」
女神の一声で人々の士気は大きく上がり、皆希望と力を取り戻す。加護を受けた勇者達は魔物を薙ぎ倒して攻めていき、女神も共に前線に立って人々と共に魔を祓う。
戦いはさらに激しさを増し、魔物は数を減らして後退していくが、それは人々も同じこと、異世界よりやってきた勇者達も多く命を落としていった。
「くっ、やはり私だけでは力不足か……っ!大女神様が居られれば……!せめて、安らかに眠れますことを……」
戦いの最中でも女神は人々に祈りを捧げ、その魂を弔う。己が力の至らなさを悔いながらも、最大の敬意を払って人々のために力を振るい続けた。
彼女の言う大女神とは、この世界における最高神であり、人々に愛と勇気と平和をもたらす偉大なお方である。
しかし、数日前にこつぜんとその姿を消してしまい、それ以降は位の低い女神達がなんとかして世界平和の均衡を保っていた。これを見計らってか魔族はここに一大戦力をぶつけ、こうして人々の平和は著しく脅かされることとなってしまったのだ。
街はもはやカタチを留めることを放棄して荒れて壊され、多くの人の骸と共にその凄惨さを物語る。
女神ルナエルの参入により、戦況は少しずつ人々が攻勢となっていき、しだいに数を少なくした魔物達は、少しずつ撤退を繰り返して、ついには一匹の魔物を残して戦場から引き上げた。
「アナタが、今回の指揮を執った者とお見受けします。何故唐突にこのようなことを?」
残された一匹の魔物に女神は声をかける。老いた人のような容貌と、薄い布の装いに身を包んだ立ち姿こそ静かであり、魔力もほとんど感じないが、その風格と堂々たる面構えはそこらの魔物とは明らかに格が違うもので、此度相見える魔物の中で、彼奴が最も強い者であろうと判断するには容易であった。
「何故、か。……さあな、魔王様のきまぐれだろう。理由だの思惑だの、斯様なことはこの身が知り得たことではない。ただ指示に従ったまでのこと」
「……魔物に言葉は不要でしたか。では、この場で仕留めさせていただきます」
「ご勘弁願おうか。女神討伐などの命は受諾できようものもない、この身は他の者と戦況を見つめ、指示を下すだけに過ぎぬ」
「言葉は不要と言ったはずです!お覚悟を!」
女神は単身魔物へと飛び込んで錫杖を振るい、対し魔物は静かな立ち姿のまま一本のソードで錫杖を受け止める。そのまま鍔迫り合いのようになると、魔物は女神の錫杖を弾きとばした。
「なッ……!」
一瞬だけ女神は驚いたような表情を見せたが、すぐに剣を振りかぶった魔物の小手に噛み付いて怯ませ、腹部を蹴り飛ばして距離を取る。
「……いやはや、女神とやらは名ばかりか、些か血の気が多すぎる。魔畜生共の方がまだ可愛げがあるというものよ」
魔物は立ち上がりざまに服についた土を手で払い、不服そうに愚痴をこぼしながらソードを鞘に納める。
「されど、距離を取るのであればそれで結構。この身はもはや此度に置いて役目無し、御免」
手をひらひらと振って立ち去る魔物の姿を、女神はその場で動けないまま見つめていた。
遠く小さくなっていく魔物の背中をじっと睨みつけ、ついに完全に姿が見えなくなったころ、ようやく一息ついて錫杖を拾い上げた。
そしてゆっくりと後ろを振り返り、遠くに小さくある逃げゆく人々の姿を見つめると、突然女神は身を乗り出した。
「伏せなさい!!」
鬼気迫る声で女神が叫び、共に戦った勇者達はその声を聞いて咄嗟に身を伏せる。女神が錫杖を構え、巨大な光のドームを展開すると、錫杖を持ったその身体は真っ二つに裂けたのだった。
「かッ――、ふっ」
突風のような剣撃が吹き荒れ、地を裂き空を断って、女神の光のドームも淡雪のごとく切り崩された。剣撃はとどまることなく遠くの山を一つ切り崩すも、女神の手によりやや反れたのか、遠く逃げゆく人々は無事であった。
しかし、美しく神々しかった女神は、穢らわしく真っ赤な血に汚れ、無様にもその身を地へと堕とした。
「め、女神様ぁぁぁあああッッ!!??」
再び上がる勇者達と人々の悲鳴。共に魔物と戦った勇ましい人々は、その恐怖と絶望に顔を歪めて涙を流した。
無残にも荒れた街に転がった女神の身体は、そのまま二度と動くことはなく、光の粒となって消えてゆく。
たちまち空は黒く澱んで大雨が降り注ぎ、街に放たれた火を消しながら、天もその死を嘆いて人々と共に涙を流したのだ。
あまりにも悲しいものが多すぎる勝利に人々は困惑し、同時に人々を救った女神に最大級の感謝を捧げると、悲しみを抱えたままその思いを胸に、決意新たに荒れ果てた街を捨てて遠くの地へと向かっていく――。
「……ちくせう、年に一度振るえるか否かという大技を繰り出し、倒せた相手が一つだけとは……、随分と腕が鈍ったか?」
天の嘆きも届かぬ距離から、魔物は目を細め、遠くを見つめて息を漏らす。
「……その身を挺して人々をかばうとは、フフ、その心構えこそ立派だが、やはり女神には不向きであったな。指標を失えば群れは混乱するものよ」
上々、上々。多く戦力を失いはしたが、偶然とはいえ女神を討てたのは実に大きい。此にて魔王様の機嫌も直って頂ければ尚良しといったところか。
空模様がさらに荒れ、黒い雲は雷を纏って広がっていく。殴り降り注ぐ大雨に身体を濡らしながら、魔物は何も気にすることなく一人帰っていった。
――犠牲者の数はのべ三万と六千人以上、歴史的に類を見ない最悪の記録として、此度の戦は人々に恐怖と共に伝わってゆく。
後に棄てられた王都には雨が降り続け、人々の涙でできた泉となり、月の女神と共に水底へと沈んでいった。




