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第一話 拾う者、喰らう者

 光るものは、たいてい高くつく。


 遺跡に潜って早五年。ロウが叩き込まれた経験則のひとつだ。崩れた壁の奥、瓦礫の隙間で何かが微かに明滅している。青白い、呼吸のような点滅。それを見た瞬間、ロウの腹の底がきゅっと鳴った。空腹とは別の、商売人の本能が出す音だった。


「……やめとけ、って頭は言ってんだけどな」


 ひとりごちて、ロウは慎重に瓦礫へ手を伸ばした。


 ここは「鋼の連峰」と呼ばれる山のひとつ──正しくは、山ではない。神代の人々が積み上げた、雲を貫くほどの巨大な塔の成れの果てだ。一万年の風雨と植物に喰われ、今では岩肌と苔に覆われた本物の山に見える。だが内部にはまだ古代の血脈が通っていて、ときおりこうして「魔石」が脈打っている。


 人々は魔石を魔法の結晶だと信じている。明かりを灯し、機械を動かし、街を生かす不思議な石。神様の忘れ物だと。

 ロウは、それが少しだけ違うことを知っている。けれど、わざわざ訂正してやる義理もない。違うと言ったところで、誰も信じやしないのだから。


 指先が、石に触れた。


 ──視えた。


 目を閉じたわけでもないのに、瞼の裏で知らない映像が走る。石の「来歴」だ。どこで生まれ、どれだけの時を眠り、どれほどの力を残しているか。それがロウには、値札のようにはっきりと読み取れる。


「……傷なし。規格は……少なく見積もっても3級以上……上物だ」


 思わず口元が緩んだ。これひとつで、辺境の街なら三月は遊んで暮らせる。いや、遊ぶ気はない。半分は明日の飯代に消えて、もう半分はまた次の遺跡の支度に消える。古物商なんてのは、そういう商売だ。拾って、売って、また拾う。


 その繰り返しの果てに何があるのか、ロウ自身もよくわかっていない。


 魔石を布で包み、背負い袋に収める。さて、と腰を上げたところで──遠くで、岩が砕ける音がした。


 ゴリ、ゴリ、と。

 何かが、金属を齧っている音。


 ロウの背筋が凍った。


 その音を、ロウは知っている。知りすぎているほどに。


「……鋼喰獣、か」



 鋼喰獣。

 あまたいる魔獣の一種。鉱山を寝床とし文字どおり、金属を喰う獣だ。こいつの体長は子牛ほど。全身が黒光りする合金の鱗に覆われ、顎の力は鉄柱をへし折る。遺跡の梁や古代機械を主食にして、体内の器官でそれを精錬し、骨や鱗の材料にする。


 厄介なのは、こいつらが「魔石の匂い」に寄ってくることだ。


 ロウは背負い袋を抱え直し、息を殺した。岩陰に身を寄せ、風の流れを読む。獣の鼻は利く。風下に回り込めれば、気づかれずにやり過ごせる。

 逃げるのは得意だ。むしろ、それしか得意なことがない。


「俺の武器は、足の速さじゃない」


 誰にともなく、ロウは小さく唱える。臆病な自分を奮い立たせる、まじないのような言葉。


「──“視える”ことだ」


 地形を読む。獣の通り道を読む。崩れた壁の向こう、苔むした斜面を下れば、外へ出る亀裂がある。あそこまで気づかれずに辿り着けば──。


 計算は、完璧だったはずだ。


 亀裂を抜けた先、外光に目が眩んだその瞬間。

 囲まれていた。


 一頭ではない。三頭、五頭──いや、もっと。黒い合金の鱗をぎらつかせた群れが、半円を描いてロウを取り囲んでいた。一頭が単独で狩りをしているなら、必ず仲間が外で待ち伏せている。そんな初歩を、焦りで見落としていた。


 最も近い一頭が、低く唸った。チィチィと不快な音とともに鱗の隙間から、炉のような赤い光が漏れる。体内で金属を溶かす熱だ。あれに噛まれれば、骨ごと溶ける。


「……あー」


 ロウの口から、間の抜けた声が漏れた。逃げ道を読む。ない。武器を握る。勝てない。交渉する──できない。相手は人語を解さない獣だ。

 目利きの能力は、こういうとき、何の役にも立たない。値段のわかる死体になるだけだ。


「最悪だな、ほんと」


 獣が、跳んだ。



 その瞬間、空が落ちてきた。


 いや、空ではなかった。

 頭上の岩棚から、影がひとつ、まっすぐに降ってきたのだ。小さな影だった。せいぜい、ロウより頭ひとつ低いくらいの。


 影は、跳びかかった鋼喰い獣の脳天に、片手を垂直に叩きつけた。


 ただ、それだけ。

 握りもしない、開いたままの手のひらが、獣の巨躯を地面にめり込ませた。合金の鱗が砕け、衝撃が地を揺らし、土煙が舞い上がる。


「……は?」


 ロウは、目の前で起きたことを理解できなかった。


 残った獣たちが、咆哮を上げて殺到する。影は──少女だった。黒い外套に、灰色の髪。表情のない、まるで人形のような顔。その少女が、ふらりと一歩を踏み出した。


 次の数秒を、ロウは生涯忘れない。


 少女が腕を振るうたびに、獣が宙を舞った。蹴れば鱗が砕け、薙げば顎が外れ、踏めば地が割れた。力の入った動きには見えない。散歩でもするような、退屈そうな足取り。なのに、結果だけが暴力的だった。


 十数えるより早く、群れは全滅していた。


 静寂が落ちる。土煙の中、少女がぽつりと立っている。返り血ひとつ浴びていない。

 ロウは、腰を抜かしたまま、その背中を見上げていた。


 新種の魔獣か。それとも、人々が言うところの「魔族」か。逃げるべきだ。頭ではわかっている。なのに、目利きの本能が告げていた。


 ──こいつの「価値」が、視えない。


 あらゆる物の来歴を視抜くロウの目が、この少女に限って、底を読めない。深すぎる。古すぎる。まるで、一万年ぶんの時間がそこに折り畳まれているような。


 少女が、ゆっくりと振り返った。

 人形のような瞳が、ロウを捉える。そして、その口が、ようやく開いた。


 最初のひとことを、ロウはこう聞いた。


「腹、減った」



「……えっと」


 ロウは混乱していた。

 命を救われたのはわかる。だが、その救い主が地面に座り込んで、空腹を訴えながらじっとこちらを見つめてくるとは、想定していなかった。


 少女の腹が、ぐう、と鳴る。さっきの戦闘が嘘のような、間の抜けた音だった。


「飯」と少女は言った。「お前、飯を持ってるか」


「持ってないけど……いや、待った」


 ロウは、足元に転がる獣の死体を見た。鋼喰獣。厄介な害獣だが──古物商として、ロウはこいつらの「価値」も知っている。


「……飯なら、作れる。そこに転がってる」


 少女の瞳が、わずかに動いた。初めて見せた、人間らしい反応だった。



「いいか。鋼喰獣ってのはな、ほとんどの部位が食えたもんじゃない。鱗は硬いし、肉は金属臭くてゴムみたいだ。胆嚢なんかは、触れただけで手が痺れる猛毒だ」


 ロウは慣れた手つきでナイフを入れながら、解説する。料理の腕には多少覚えがある程度だ。だが、どこに何があるかを「視抜く」目だけは、誰にも負けない。


「でも、一頭につきひとつだけ──絶品の部位がある」


 獣の腹を裂き、内臓をかき分け、ロウは目当てのものを取り出した。

 腹の奥から見えた琥珀色に透き通る、握り拳ほどの臓器。それは光を受けて、内側からほのかに発光していた。


「これが、精錬肝だ」


 鋼喰い獣が、喰った金属を溶かし、純化する器官。生き抜くために進化した、生体の精錬炉。そこには、獣が喰らった鉱物の旨味だけが、極限まで凝縮されている。

 精錬肝は個体ごとにその位置が異なり、その多くは猛毒である胆嚢付近に在るため通常、一級の料理人しか取り出すことが困難な代物だ。

 だが、ロウは違う。

 その目で視ることで個体ごとに最適な解体の仕方を理解できる。

 通常は食えないこの獣も立派な美食に変えることできる。


 焚き火を熾す。薄く切り出した精錬肝を、熱した平らな石の上に並べる。

 じゅう、と音が立った瞬間、匂いが弾けた。

 ただの素焼き。調味料もない。


 鉄ではないが肉でもない。だが、その両方の良さだけを抽出したような、香ばしくも甘い香り。焼かれた肝の表面が、琥珀から黄金へと色を変えていく。脂が、宝石のように滲み出る。


「……」


 少女が、無言で身を乗り出した。表情は変わらない。だが、その瞳だけが、焚き火の光を映してきらきらと輝いている。片面きっちり60秒。


「焼けたぞ。熱いから気をつけ──」


 言い終わる前に、少女の手が伸びた。焼きたての肝を、はふ、と口に放り込む。

 咀嚼する。一度、二度。


 そして、少女の頬が、わずかに緩んだ。


「……うまい」


 たった、ひとこと。

 けれど、それは岩から雫が落ちるような、彼女にとっては精一杯の感情の発露に見えた。少女は次の一切れに手を伸ばし、また一切れ、また一切れと、無心にかき込んでいく。氷のような顔のまま、けれど確かに幸せそうに。


 その様子に、ロウもつられて一切れ口にした。


 ──瞬間。


 舌の上で旨味が弾けると同時に、ロウの視界が、ぐにゃりと歪んだ。


 焚き火が消える。岩肌が消える。代わりに、目の前に──都市が、立ち上がった。


 見上げるほどの鋼の塔が、地平の果てまで連なっている。空には無数の光が川のように流れ、夜だというのに昼よりも明るい。そんな景色を、ロウは一度も見たことがない。なのに、なぜか胸が締めつけられるほど懐かしい。


 これは、記憶だ。

 この獣が──いや、この獣の祖先が、はるか昔に見た景色。引き継がれた記憶。


「……今の、何だ」


 景色が、潮が引くように消えていく。気づけば、ロウは焚き火の前に座り込んでいた。手の中の肝は、まだ温かい。今までも何度か精錬肝は食したことがあるがこんな現象は初めてだ。


 ロウは知っている。神代の魔石が、本当は魔法でなく何か別のモノであることを。

 今、視たのは確かに「記憶」だった。

 この世界には──自分のまだ知らない「何か」があるのだ。


 ロウの心臓が、どくんと大きな音を立てた。



 十頭分に近い精錬肝を、少女はほとんどひとりで平らげた。

 満腹になったらしい少女は、焚き火のそばに座り、ぼうっと炎を見ている。


「なあ」とロウは切り出した。「あんた、何者なんだ。なんで俺を助けた」


 少女は、すぐには答えなかった。やがて、ぽつりと言う。


「助けたわけじゃない。お前が騒がしかったから、来ただけ」

「それは助けたって言うんだよ……」

 

 苦笑いで返す。感謝を伝えるタイミングは逃してしまった。

 少女は炎を見つめたまま、続けた。


「お前はどこにいくんだ?」

「明日、街に戻るよ。あんたは?」


 その問いに少女は答えず、言葉が返ってくる。


「取引をしよう」

「は?」

「飯をくれ。さっきの、あれ。他のでもいい。お前の飯はうまかった──」


 そこで少女は、少しだけ言葉に詰まった。自分でも、その理由がわからないというように。


「それに……なぜか少し懐かしい味がする」


 まるで遠い過去を思い出すように少し目を細めて続ける。


「うまい飯をくれ。代わりに、お前を守る」少女は、まっすぐにロウを見た。「悪くない条件だろう」


 戦えない古物商と、化物じみた力を持つ大食い少女。

 街までの道中にも魔獣はでる可能性はある。身の安全を冷静に考えれば、ロウのほうが圧倒的に得をする取引だ。断る理由は、どこにもない。

 だが、それ以上に──ロウの目利きの本能が、囁いていた。こいつのそばにいれば、さっきの景色の「正体」がわかるかもしれない、と。


「……いいよ。乗った」


 ロウが手を差し出すと、少女はそれをじっと見て、やがてぎこちなく握り返した。冷たい手だった。人の体温とは、どこか違う冷たさ。


「俺はロウだ。古物商で、目利き屋」

「……ミオ」と少女は名乗った。「そう、呼べ」


「そう呼べ」という言い方が引っかかったが、ロウは聞き流した。



 夜が更ける。

 焚き火の向こう、地平の彼方に、一本の巨大な柱がそびえているのが見えた。


 「天の柱」。

 大陸を縦に貫き、空の果てまで伸びる、神代の遺物。人々は、神々が天へ昇るために架けた橋だと言い伝えている。


 ミオは、その柱を、じっと見上げていた。

 いつもの無表情のはずなのに、その横顔には、ロウが名前をつけられない感情がにじんでいた。


「ミオ。あんた、どこから来たんだ」


 ロウの問いに、ミオはしばらく黙っていた。

 そして、独り言のように呟いた。


「……忘れた」


 炎が、ぱちりと爆ぜる。


「ずいぶん長いこと、探してたんだけどな。──“誰か”を」


 誰を、とは言わなかった。

 ミオ自身、もう覚えていないようだった。


 ロウには、その言葉の重さが、まだわからない。

 わからないまま──二人の旅は、始まった。


 滅びた世界の歴史を辿る、長い長い旅が。


挿絵(By みてみん) 

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