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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
92/136

90.だから私は

「───俺んとこもそんな感じで、親亡くしたチビたちが沢山いてさ。今じゃ15人とかいう大所帯なワケ」

「だから子どもの扱いが上手かったんすね、納得した」


 ゆらり、立ち昇った煙は風に溶けて消える。






「───そういうことがあったから、私のコヴェナントについてるチェーンは特別製なんすよ」

「や、でもそれは怖い。無くしたらもうその世界から出れねぇじゃん……よく見つけたよな」 「運が良かったんすよ。獣人種がたくさんいたから、みんなで匂いを追ってくれて。このチェーンなら最悪相手を絞めるのにも使えるよ!」

「発想が怖ぇんだよな……」


 じんわり、ほのかに温められた空気は周囲一帯を包み込み、もはや寒さなど隅に追いやられてしまっている。










「───んで、今回は俺だけここに送り込まれたってわけ」

「それは寂しいっすねぇ」


 ぱちり、爆ぜる音。

 横並びで眺める先、火の粉が小さく跳ねた。


「お姉さんたちからも抗議したりしなかったの?」

「いや、まぁ、うん」


 簡単な"自己紹介"に始まり、話は紆余曲折を経てヴェルがビオタリアでの任を与えられたことに至った。勿論、自分が万年補習組だったことも、指導員であるグレゴリーに楯突いたこともなるべくボカした。シルヴィアには言えるはずもない。家族と天秤にかけたら他人なんてどうでもいい、なんて吠えたことなど。


 ときに相槌を打ちながらヴェルの話題に耳を傾けていたシルヴィアも、守護者の任に関係することだと思ったのかそれ以上深く追及することはなかった。


「でもそっか。本当のお姉ちゃんがいるなら、私をお姉ちゃんって呼ばせるのも悪いっすね」

「……シルヴィアは、姉って感じじゃないから」

「あれ、そうっすか?結構小さい子からはお姉ちゃんみたいだって好評なんだけどな」


 確かに、明るく朗らかで人当たりもいいシルヴィアなら姉としての性質はバッチリだろう。けれど、そう考えると何故だか胸の奥がモヤモヤと澱んで素直に同意をすることができないでいるのだ。



「……でも、いいなぁ」


 不意にシルヴィアが漏らした言葉は、今までの響きとは明らかに違っていて。

 明るい調子のままのはずなのに、まるで───まるで、そう、置いて行かれた子どものような不安と寂しさを滲ませている。


「お姉さんと仲が良いのは、羨ましい」


 まさしく、それは羨望だった。

 彼女のイメージからは程遠い感情の色に、再び目を向けてしまうという失態を犯す。けれどヴェルの目を引いたのは、揺れる炎を映しながらもどこか弱々しさすら感じる瞳だった。


「あ、やっとこっち向いてくれたっすね」


 視線を感じたシルヴィアが、ヴェルを向いて微笑む。朝焼け色を閉じ込めた瞳はただ静かにヴェルの翡翠を射抜いていた。


挿絵(By みてみん)


「"自己紹介"の続きをしよっか。私、兄さんと喧嘩中なんすよね」


 兄さん、と紡いだ言葉は愛しさに満ちていて、自分が家族を語るときと同じ暖かさをヴェルに感じさせた。

 シルヴィアは今の今まで家族のことを語らなかった。別に無理に聞き出すつもりもなければ、彼女が特筆して語る必要もないのだろうと思っていた。しかし喧嘩中だという告白は、先の愛しさに似つかわしくないほど苦々しそうに吐き出される。何があったのかと気にせずにはいられないほどに。



「私にはすごく格好良くて頭のいい、自慢の兄さんがいるっす。歳が少し離れてるからすごく面倒見が良くて、その頃はすごく大人びて見えてたんすけど……」

「その頃……って、今はそうでもないってこと?」

「ううん。知らないの、今の兄さんのこと」


 緩やかな否定。”知らない”の意味は良く分からない。

 離れて暮らしているということだろうか。それとも、サポーターになってなかなか会えないということだろうか。シルヴィアの微笑みはそんな単調なものでないように見える。


「ヴェルも大災厄(スタンピード)ってわかるっすよね?」

「あぁ。その世界に本体がいるいないに関わらず、大量の鏡像が湧く現象だろ?」


 大災厄(スタンピード)

 その名のとおりの厄災だ。


 本来、自身を産み落とした負の感情の持ち主を求めて白の世界へ顕現するのが鏡像だ。だから負の感情が渦巻くような争いある世界には鏡像の侵入が多々見られ、逆も然り。

 しかしそんな世界情勢など関係なく、鏡像が文字通り雪崩れ込むのが大災厄(スタンピード)である。

 守護者が鏡像が現れる頻度が少ない場所まで定期視察するのは、そういう理由もあるに他ならない。


「つっても、最近はどこの世界でも小せぇ鏡しか使われないから、初期鎮火出来てるって話だよな。最後に観測したデケェやつって、10年前とかそこらじゃなかったっけ」

「16年前。私たちの世界ノクスタリアはそのとき放棄されて滅んだっす」

「あ───」


 世間話でもするかのような、実にあっさりした語り口。聞いていたヴェルの方が息を詰める中、シルヴィアは長いまつ毛を伏せた。


「傲慢だったんすよ、私たちは。なまじ他の種族よりも鏡像に対抗もできたから、私たちの世界の鏡には大きさに制限なんてなかったんすよ」


 そもそも、と彼女は続ける。


「そもそも"鏡とは何か"って話っす。(うつつ)(ゆめ)、虚と実、表と裏、隣り合って重ならないモノの境界線であり、明確な()でもある」

「……だから鏡像は鏡からしか侵入することはできない。水面のように揺らいでも駄目、硝子のように透けていても駄目だ。その扉は曖昧だから」

「じゃあその扉を鏡像じゃなくてヒトが使うことが出来たら、いいと思わないっすか?」


 時が、止まる。

 一瞬、何を言われているか分からずにヴェルは瞳を瞬かせた。


「境界線を、越えるってことか?」

「残念ながらヒトの身でそれは無理だったらしいっす。その(ことわり)を利用できるのはあくまで鏡像だけ。でも、もし()()()()()()()ことが目的じゃなければ?」


 どういうことだ。

 境界線は越えないが、境界線に至る扉を使うということか。鏡なんて所詮は、鏡像が経路にする以外は身だしなみを整えるために使うのが関の山だ。だからこそ多くの世界では顔が映る程度のものがあれば十分だというのに。


「それが当然の反応っす。特に守護者は考える必要もないだろうし」

「守護者に関係あんのか……?」

「大アリっすよ。だってあなたたちはそのままでポータルを使うことが出来るでしょ?」


 ますますよく分からない。なぜ、そこでポータルが出てくるのだろうか。

 いまいちピンと来ず黙り込むヴェルに、シルヴィアが優しい目を向けた。


「想像してみて。境界線を越えるんじゃなく、もしその上を渡ることが出来たら?」

「わた、る?」

「そう。理を越えられなくても()()()()()()()()()?扉と扉を繋ぐことができたら?」

「……まさか。そんなの無茶苦茶だろ!つまり、鏡をポータル代わりに使うってことかよ!?」

「理論上は出来るらしいっすよ。まぁ、でも結局その方法が確立する前に、大災厄(スタンピード)で全て無くなったんすけどね。研究も、資料も、全部」


 シルヴィアは微笑みを崩さない。


「そんな……そんな不確定なもののためにリスクを取ったっていうのかよ……?」

「そうっすよ。これはきっと、ヴェルたち(守護者)には中々分からないと思うっす」


 馬鹿にするわけでもなく、嘲る色もない。

 ただ、困ったようにはにかみながら、穏やかに事実を淡々と語るだけだ。


「本当の世界の広さを知っているのに、その中の限られた場所でしか生きられないことを嘆くヒトは思った以上に多いんすよ。みんながみんな、サポーターになれるわけじゃないし」

「……」


 何も言えない。言えるわけがない。

 何故なら事実、ヴェルには理解できないのだ。限られた世界のみで生きるということが。


 ヴェルはガイアから出ずとも構わない。そこでの生活に満足をしているからだ。しかしもし、仮にガイアに嫌気がさしてしまったらどうなのだろう。守護者である自分は、その気にさえなれば全く環境の異なる別天地で生きる選択肢だって取れるだろう。しがらみさえ気にしなければ。

 けれど───例えば、純血守護者ではないアステルのような者は?夫に騙されて連れてこられ、ガイアで生きることを余儀なくされてしまったアステルの母のようなヒトは?


 ヴェルには、わからない。何故なら考えたこともなかったから。


「……話がズレた!ごめん、そんな悩ませるつもりじゃなくて。元は、私の兄さんの話だったっすよね」


 黙り込んだヴェルを見て、シルヴィアが固まってしまった彼の背を軽く叩いた。


「昔の話だから詳しいことは忘れちゃったけど、多分、子どもの頃の話だから些細な理由だったかな。私が兄さんの言ったひと言がどうしても許せなくて、喧嘩をしたんすよ。そのあとに大災厄(スタンピード)に巻き込まれて」

「それって───」

「うん。兄さんとはそれきり」


 シルヴィアは相変わらず笑みを湛えながら語る。けれどヴェルから言わせれば、大災厄(スタンピード)で故郷を失ったと聞いたときよりも重い。


「その、なんつーか……」

「なに勝手にしんみりしてるっすか、もー!」

「うぐっ」


 言い淀むヴェルの鼻頭を、シルヴィアのデコピンが弾く。流石というべきか、全く目で追えなかった。


「私、最初に言ったよ、兄さんが"いる"って。別に過去形じゃないっすからね?」

「そう、だったっけ」

「そうっすよ。ほら、私だって生きてるっす。故郷は無くなったとしても、別にみんな死んだわけじゃないからね!」


 確かに大災厄(スタンピード)に巻き込まれたと言いながら、彼女自身も今ここに生きていた。


「駆けつけてくれた守護者に助けてもらった同族が他にもいるって聞いてるっす。あのときは何にもできなかった私ですら助かったんだから、私よりも強い兄さんなら絶対に生きてるっすよ」


 だからね、と彼女は続ける。


「だから私はサポーターになったっす。どこかに居る兄さんを探すために」

「そっか」


 ヴェルが気を利かせて何かを言わずとも、シルヴィアは十分に自分の気持ちに整理をつけていた。その証拠に、目の前に突き出された拳はなんとも頼もしい。

 白い歯を見せて輝かんばかりの笑顔を浮かべる彼女は、なんとも眩しかった。



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