91.とあるシンクロシニティ
「でも最後の記憶が喧嘩別れってのだけ、本当に後悔してるっす。あんまり覚えてないけど、酷い言葉を投げた気がするし、仲直りできるかだけが不安で」
「んなこと心配すんなって。喧嘩なんて、兄妹なんだからするに決まってんじゃん」
ヴェルが当然だろうと断言してみせると、シルヴィアは面食らったかのように瞬きを繰り返した。
「だってその時のシルヴィアっていくつだよ?兄ちゃんなんだぞ、そんな小さい妹と1回喧嘩しただけで何年も怒り引きずったりしねーだろ。……いや、わっかんねぇけど」
単純に兄としての気持ちなら分かるつもりだ。他人の気持ちなんて正確にわかるわけがないけれど───けれどヴェルがこの短時間で知ったシルヴィアは、決して他人を傷付けるような言葉を投げるようなヒトではないはずだ。
「むしろ、向こうも怒らせたって後悔してんじゃねぇかな。俺ならチビたちにキレられたら、そうなる」
「そんなもん、なの、かな?」
「多分な。シルヴィアの兄ちゃんがどんな奴か知らないから断言できねぇけどさ」
つい兄目線で語ってしまったが言葉にすると自信がなくなる。なにぶん、ヴェルは自他共に認めるブラコンでありシスコンだ。
「会ったらそのまま"悪かった"って謝るだけでいいんじゃね?許してくれるって、普通の兄ちゃんなら」
出てしまった言葉は戻らないので苦笑いを返すと、シルヴィアは丸い目をさらに丸くした。
「ヴェルは兄さんが生きてるって信じてくれてるんすね」
「シルヴィアがそう言ったんじゃん」
「それはそうなんすけど……、今まではこの話をしても"会えたらいいね"とか"もうそろそろ前を向いたほうがいい"とか、半信半疑や慰めの言葉しか貰ったことなかったから」
でも、と言いながらシルヴィアが一瞬止まった。
目線だけが炎の方へ。
ゆらり、未だに踊り続ける赤を数秒見つめてすぐ、視線はヴェルへと戻ってきた。
「───……でも、すごく嬉しいっす。ありがとう、ヴェル」
少し気恥ずかしそうに、シルヴィアは立てた膝に頭を乗せる。
綻んだ口元と、ほのかに赤く染まった頬。
僅かに潤んだ瞳が心から嬉しいのだとヴェルに伝えていた。
炎の明るさに照らされてだろうか、その笑みがいっそう輝いて見えた。急に心臓が大きく脈打つ。
「あ、お……う、うん」
思わずヴェルは胸を抑えたが、別段痛みもない。ただ、なぜか心臓の音が妙にうるさい気がして気が気ではなかった。
「……ヴェルにだけ、ひとつ私たちの秘密。教えてあげるっすよ。本当は、あんまり他のヒトに言わない方がいいんだけど」
ヴェルの戸惑いを知ってか知らずか、シルヴィアは悪戯っぽく微笑む。そして、すっと人差し指を立てると口元に当てて片目をつむった。
「私が兄さんのことを生きてるって確信してるのはね、単純に兄さんが強いっていうだけでもそう信じたいだけでもなくて───」
微笑んでいたシルヴィアの口元が固まった。
何があったのか、ヴェルが問うよりも早く彼女は立ち上がって身構える。
「どの面下げて来たんすか」」
警戒を隠しもしない鋭い声が洞窟の中で反響し、空気をぴんと張り詰めさせる。
只事ではない。一拍遅れて鋒をシルヴィアが警戒する入り口の方へ向ければ、返って来たのは今1番聞きたくない声だった。
「すみません。お邪魔してしまいましたかね」
穏やかな声。それでいて底冷えのするおどろおどろしさを感じるのは、その男の本性を少しでも垣間見たからだろうか。
蛇のように足音も静かに現れたヘイは入り口から見える闇を背に、白い容姿を際立たせている。見えているのか疑いたくなるほどに細められた目がヴェルとシルヴィアの姿をしっかりと認めた途端、吊り上がった口角がさらに笑みを深めた。
「あ、本当にお邪魔でしたね、お楽しみ中だとは思わず」
「……何をどう勘違いしたのか知らないっすけど、アンタが邪魔だってことだけは間違いないっすね」
「相変わらず手厳しい。そんな目で僕を見ているということは、ヴェルさんに大体の話はお聞きしたんですね?」
どうやら誤魔化すつもりなどないらしい。
ヘイが一歩足を踏み出すと、その後ろの闇から滲み出るかのように1人、また1人と炎のわずかな灯りの中に黒い影が現れる。
ヴェルが最初に出会った、仮面を付けた黒ずくめの姿だ。やはり他にも複数存在していたようだ。
「本当はもう少し早く見つけて差し上げるつもりだったんですよ。思った以上に上流にいらっしゃったので時間がかかってしまって……頑張って泳いだんですね、ヴェルさん」
「……おちょくってんのか?」
「いえいえ、褒めているんですよ。あの激流を下るなんて……死体になっていないことに賭けていましたが、仮死状態くらいにはなってるんじゃないかとちょっとは心配したんです」
全く心配していたような素振りは見えないが、仕草だけは胸を撫でおろしている。しらじらしいその態度はヴェルを苛立たせたが、ここで勢いに任せて突っ込んでもまた軽くあしらわれることは十分に理解も出来ていた。加えて、今は多勢に無勢だ。
「アルヴィンさんたちよりも先に見つけたかったので、そこは良かった面ですね。きっと彼らも岸の多い下流を探しているでしょうし」
わざとなのかそうでないのか判然としないが、ヘイの言葉を鵜呑みにするのであればアルヴィンたちも2人の行方を捜しているということか。いちいちヴェルたちにその情報を流す理由は理解不能だが、その情報だけで少々希望が見えてきた。ヘイの言葉の端々からはアルヴィンと直に対峙したくないという意図が透けて見えていたからだ。つまり、合流にさえ持っていくことができれば状況は今よりもっと優位になるのではないかという期待も持てる。
「シルヴィア」
他には聞かれないよう、小さく語りかける。
「もう走れるか?」
「問題ないっす」
同じく小さな返答。
じわじわと迫る包囲網を突破するだけの火力はないが、幸いここは洞窟となっていて後方にまだ退路がある。たとえ行き止まりになっていたとしても広くなった場所で複数を相手取るより狭い場所での各個撃破の方がまだ現実的だ。
同意を取れば、あとはもうやることは決まっている。
深く息を吐いて、ヴェルは瞼を閉じた。
「……次は何を企んでくれているんでしょうかね」
「期待に添えなくても恨むなよ!」
楽しげなヘイの声。
次の瞬間、生み出した水球が焚火を一気に鎮火させる。
「うわっ」
「ぐっ……」
一気に広がった水蒸気と明かりの消失した視界に、いくつかの悲鳴が上がった。
「シルヴィア!」
閉じていた目を開いた。同時に開いた手のひらには足元しか照らせないような小さな光。けれどその弱弱しさでも十分に”見えた”。躊躇いなく差し出された手も。
シルヴィアと対峙したときには十分に使えたとは言えなかったが、なんだかんだ、少しでも手数を増やす努力をしてみて良かったと実感した瞬間だった。
相手が明かりを持っていようが、今はまだ2人の間には水蒸気が立ち込めている。そうそうに居場所がわかることはないはずだ。
差し出されたその手を取って、奥へと踏み出した。
「あ……?」
踏み出した、そのはずだった。
けれど突然の脱力感に膝が折れ、前に進むはずの身体は大きく傾ぐ。
耳鳴りが、する。
目眩が、する。
ぐわんぐわんと回り始める視界。急速に血の気が引いていく感覚に思わず吐き気まで込み上げて来た。
貧血ともまた違う、その感覚はヴェルが初めて感じるものだが、話に聞いて知っているものでもあった。
───特定因子欠損症。
姉が以前薬の飲み忘れで起こした発作が、まさにこんな症状を起こすのだと聞いてはいた。けれどヴェルはこう見えて今まで薬の飲み忘れなんて起こしたことはない。今回だって月に1回の薬を間違いなく服用し、姉が飲むのも確認したはずだ。
「っは……、う"、ぐ」
「ヴェル……!?」
異変に気付いたシルヴィアが繋いでいたヴェルの手を引き上げる。その感覚も声も、全てが遠い。
気持ち悪い、気持ち悪い。
世界が全て、暗闇に落ちていく。
「ヴェル、大丈夫っすか!?ヴェル!?」
「し、る……」
とにかく彼女だけでも先に行かせねばと霞み始める思考を巡らせるも、もはや言葉を吐き出す余力すら残っていない。
眠りに落ちるように緩やかに、どろりとした黒に全てが沈んで。
ふつり、ヴェルの意識はそこで途絶えた。




