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38、大罪(7)



 ヨダカは煙草を新しく付け、火種を見つめて問う。


「ぼくに関する箝口令とはなんですか? 不思議なことに世話になった武官は知らなかった。辺境伯付きの武官ならば知っていてもおかしくないはずなのに」


 ジョルグは虚ろな目で宙を見て、しばらく言葉を選んだ。


「特殊な箝口令ですね。武官の方が知らないのは無理ありません。アロイライで知っているのはごく少数に絞られます。二重に箝口していると言いますか……」


「死にかけのわりには回りくどい言い方ですね」


 吐いた煙をジョルグに当てると、彼は薄く笑う。


「あなたがバーチ大尉を忘れたことを気取らせないためです。周りの者がうっかり言わないように、周知していないのでしょう」


「それは何故?」


 ジョルグは目を伏せ、貧血で震える手を揉んだ。


「理由は二つです。一つならば教えて差し上げます。もう一つはサリエ少佐に止められています」


 厚かましくなろうかと思ったが、やめた。ジョルグは死にかけだし、こちらの声は奪われている。何より交渉できる時間はない。まもなく検問だ。ジョルグが降りるとしたら、そこだろう。検問を逃せば、馬車は辺境伯邸に行く。フィオリ大佐を待たせている以上、間違いない。


「一つでいい。教えてください」


「飛空兵が廟海を超えるためです」


 そこで並走していた護衛犬がワンワンと吠え、馬車が止まった。何事ですか、とハドラックが馬を操る兵に問う。


「リスネコが群れ同士で喧嘩しているみたいですね。一部、道にはみ出していますので、犬で散らしています」


「おお、初夏ですなあ」


 シーダーがそう言うと、ハドラックは笑った。そしてカミュウリの〈書記〉の紙を見ながら、歓談を再開する。


「……ぼくらは廟海を越えられないのですか?」


 リスネコの甲高い鳴き声を聞きながら、ヨダカは言った。廟海とはガンドベル帝国とストラ島を断絶する激しい潮流だ。飛空兵がそれを渡れないなど、聞いたことがない。


「はい。越えれば死にます。全力で火砲を撃った後のように、キルクロピュルスは暴れ出し、臓腑を喰む。凍らせ運び、大陸で溶かしても結果は同じです。血は蒸発し、残るのはキルクルスで造った人口骨だけです」


 まるで試したことがあるような言い草だ。しかしそれが真実なら、ガンドベル帝国が飛空兵という兵器で隣国を牽制しているのはハッタリになる。


「共闘軍はそれを隠すためですか?」


 俯いたままユナックが言った。彼の肩には隣のセドニーがもたれかかって寝ている。


「そうですね。共闘軍は国内での情報規制をやり易くするためでしょう。組織を分け情報を分け、この島のように遮断する。本土では少将すら帝国軍から共闘軍に入る際は三重、四重に査定が行われます。ちなみにストラ島の五人の辺境伯すら、知らない方がいますよ。知って消された貴族もいます。四十年隠し通してきたハッタリを守るために、帝国は慎重を極めていますから」


 ヨダカは短くなった煙草を馬車の床板に押し付け、吸い殻を外に放る。まだ馬車は止まったままだ。犬は吠え、リスネコは昂った鳴き声をやめない。この遅延行為もジョルグの仕業なのかもしれない。


「何故、飛空兵は廟海を越えられないんですか?」


「僕……というより、ゴルグランド領に属する者にはわかりません。憶測は山ほどありますが、一つに選べる確証がない。アロイライのオルタナシア研究所だけが掴んでいるのです」


「だからシナギの木板が欲しいのですね」


「いかにも」


 ギャンギャンと甲高い鳴き声がした。リスネコが馬車犬に噛まれたのか、その逆か。


「なんでぼくが関わっているんだ? ぼくは廟海を越えられるんですか?」


「可能性が無いとは言い切れません。しかし無理だと思いますよ。あなたは選ばれているだけですから」


「選ばれている?」


 誰に? と問おうとして、イルビリアが脳裏に浮かぶ。アロイライ辺境伯の姪である飛空兵だ。美しい特別なお姫様である。向かいに座るユナックも同じことを考えているのだろう。睨むようにこちらを見ている。彼の憶測は母体のキルクロピュルスをイルビリアが摂取したため、候補生が彼女を母親のように慕い、それが無いヨダカは母体に異性として選ばれていると考えている。


「それはイルビリアが母体のキルクロピュルスを摂取しているのと、関係がありますか?」


 ヨダカの言葉にジョルグは瞼、頬、顎をゆっくりと掻いた。紫目の三白眼に覗き込まれる。


「母体のキルクロピュルスを見たことがおありですか?」


「ないです。でも彼女は明らかに違うから、そう推測したんです」


「それは研究所が独自に開発した変革剤の誉れですよ。錬金術師の才があるシナギ准尉が魔導術師と錬成したのでしょう。何よりも骨を変えないのはとても大きいと感じますね。おそらく、そこに重点を置いて研究したのです。僕は錬金術はからきしですが、あり得ないくらい特別だとは思いません」


「では、イルビリアは廟海を越えられるんですか?」


「個人的には無理でしょう。しかし廟海を越える方法に当てはまる飛空兵だと思います。それが変革剤の目的ということは十中八九、確実です」


「ゴルグランドはその方法について知りたいんですね?」


 ジョルグは何度も頷く。


「それがどうしてもわからないのです」


 会話が途切れるのを待っていたのか、ユナックが早口に言う。


「では母体のキルクロピュルスはどのようなものなのですか? 何か付加価値があるのではないですか? 教えて頂けたら、僕が質問の根拠をお話します」


 ジョルグは黙り、目を閉じた。浅く息をしながら、懐から出したガラス瓶の蓋を開け、口に含む。とろみのある深い赤色の液体を飲み干すと、ふうと息を吐いた。吐息の臭いがヨダカの鼻を掠める。何かの血であることはわかった。


 やがてガタン、と馬車が再び動き始める。ニャアニャアと鳴く茂みを過ぎると、坂を登り始める。あと五分ほどで検問に着くだろう。


 それで決断したのか、ジョルグは口を開いた。


「僕が知る限り、浮上する母体にキルクロピュルスはありません。心液にも、臓器にもどこにもです。あっても微量でしょう。なぜならば幼体を育てるために使うからです。母乳と同じと見ています。カラカラになるまで幼体に吸わせて、成体を陸へ上げるのです。子供が育てば必要無いので残っていないのですよ。それで、どのような根拠がおありで?」


 無い、という返答にユナックは目を見開いた。


「……それはわりと有名な話ですか?」


「僕は当たり前だと思っていましたが、ユナック殿が知らないとなると、将官学院では教えられていないのですね。だとしたら、あまり知られていないのでしょう。大きさや雌器官(しきかん)など違いはあれど、その他は変わりありませんし、キルクロピュルスがあると勘違いなされても仕方ないかと。それで、根拠とは何ですか?」


 昨日、今日のことが頭を駆け巡る。わかることといえば、自分とユナックは少しも現状をわかっていないことだ。


「ユナック、きみのできる話をしてくれ」


 そう指示したユナックは馬車の外を見た。肩に乗ったセドニーの頭が落ちそうになったので右腕で支えてやり、左手で口元を隠す。


「もう一つ聞きたいことがあります。サリエ少佐は僕に記憶について教えられることがある、と仰っていました。それを先にお聞きしたいです」


「あなたはヨダカ大尉が養父だということをお忘れになったのですよね?」


「……はい」


「おそらく近いうちに母の記憶が芽生え始めます。孤児であるユナック殿にとってあり得ないことですので、サリエ隊長はあなたが壊れてしまうのを心配なさっています。まあ、それは建前で、壊れたユナックちゃんもいいかもぉと言っていたので、本当のところは弱ったあなたを介抱するのが……。おや、どうしました?」


 ユナックは目から涙を溢していた。周囲に気取られまいとまた顔を膝に埋める。


「もしや……先ほどの話からして、イルビリア嬢が母として機能し始めているのですか?」


「ええ、そうです」


 とユナックの代わりにヨダカが答えた。


「……ヨダカ大尉はそれがないのですよね?」


「選ばれているからね」


 精一杯の軽口を言うと、ジョルグはゲホッと吐血した。彼も不意に起こったことなのだろう。ボタボタと溢れる血を手で受け止め、床や幌に飛ばさぬよう必死だ。


「どうしたんですか?」


「油断したんですよ。母となる存在、ヨダカ大尉を雄として選ぶ存在がイルビリア嬢とは思いませんでした」


「他の何だと思っていたんです?」


「……言う必要は無いかと。説明をしなくてはなりませんので」


「知りたいことを教えてくれるんじゃ無いのか?」


「時間に余裕があれば、僕だって誠意を尽くしますよ。それに重ね重ね言いますが、僕の目的は確証を得ることです。つまり木板です。アンバルヴ栄冠勲章を得た者の木板です。それが欲しくて命を削ってここにいる」


 ジョルグはまたゴホゴホと咳き込んだ後、息を整えた。


「推測の域をどうしても抜け出せないのです。しかし不幸が起こることはわかっている。それを阻止するために何を潰せばいいのか、それとも守るべきなのか。それをはっきりさせたいのです。それには余計な推測を披露して、あなた方を困惑させるのは愚策も甚だしい」


 ずるいな、と言いたかったが飲み込んだ。ジョルグには本当に時間がないのだろう。代わりの質問を投げる。


「その不幸の内容はわかっているんですか?」


 そう聞くと、ジョルグは眉がピクっと上がった。


「……方法はわからないですが、結果は絞られていますね」


「それは教えてください」


 そう震える声で言ったのはユナックだ。目尻に涙を残した顔で、セドニーの頭にうろつく虫を払う。


「飛空兵に選ばれた子供たちはみんな家族のために戦うつもりです。将官学院でもそうやって煽られます。今肩を貸しているセドニーだって、叫びたくなるくらい怖いのに、あとひと月で骨を変えるんだと笑って言います。たとえ時を止められて置き去りにされても、構わないと覚悟を決めています。その子らに、どんな不幸があると言うんですか?」


 ジョルグは馬車の中の候補生を眺めた。皆、互いに肩を貸し合って寝息を立てている。カルクの布包みが開いており、小さな人形が見えた。おそらく妹に送るのだろう。隣のルイズは白木が美しいバケツを抱えて、その中に顔を入れていた。まるで吐いているようだ。彼の村は井戸が無く、川まで水汲みに行くと言っていたから、丈夫そうな物を見付けたのだろう。


 やがて馬車の中の静かな寝息をジョルグの声が裂く。


「イルビリア嬢以外の飛空兵は全て死ぬでしょう。キルクロピュルスを含んだ体は死に絶えます。どこに隠れても、逃れられない。命の時を止めた代償を支払うのです」


 絶句するヨダカたちに構わず、ジョルグは続けた。


「しかし、それはあまりに惨すぎる。僕らのために戦ってきた方々に対し、あまりに非道です。戦おうと決めた子らに残酷極まりない。だからその凶行を止めたいのです。たとえ帝国に反旗を振る大罪であっても、ゴルグランドは儀を貫く覚悟です」


 それに返す言葉が出ない。ただハモネイとの調停の前に夢で見たエマの言葉を思い出した。


 助けてあげなよ。

 もうきみにしかできない。


「おそらくフィオリ大佐が検問まで降りて来ましたね」


 馬車の先頭にいるハドラックを見ると、伝信機を見て青褪めている。


 ジョルグは速度の上がった馬車にうんざりし、深いため息を付いた。


「僕はここで降りなくてはなりません。ヨダカ大尉、木板の件は頼みましたよ。細々とした連絡ならメユウ准尉で事足りますので、僕は療養に入ります」


 ジョルグが立ち上がって、荷馬車の端に立つ。車輪が巻き上げた砂を見て、彼は再度ため息を付いた。


「キルクロピュルスに適合していれば傷の治りも早いのになあ」


「さすがに不謹慎ですよ」


 馬鹿みたいな未来に飲まれてたまるかと、ヨダカは絞り出す。


「ぼくたちを徹底的に巻き込んだんだ。最後にこれからの助言くらい言ったらどうです?」


 ジョルグは血の付いた歯を見せて笑う。


「では、直近の未来で使えそうな助言を。フィオリ大佐もディグナー少佐も、あなたが隊長になると言えばご機嫌になるのではないでしょうか。昔、あなたはそうやって生き延びて、選ばれたのですから。それでは、さようなら」


 そう言ってジョルグは馬車の外へ身を投げた。



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