自宅でのひととき?
「あ、あれ…ウィル様…?」
軽く混乱しそうなイルナを楽しそうな顔をしてキルスティが眺めている。ああ、成る程。何となくからくりが分かり、イルナも落ち着きを取り戻した。
「イルナ、久しぶりだね!」
「キルスティ、元気そうでうれしいわ。ひょっとして貴女がウィル様をここへ連れてきたのかしら」
「当たり~」
カラカラと笑うキルスティとは対照的に、ウィクトルは不機嫌そうだ。とりあえずイルナはウィクトルに声をかけた。
「ウィル様、お久しぶりです」
「ああ…」
「突然いらっしゃって驚きました」
「ああ…」
何を言っても空返事で、どうしたものかとイルナが困り果てると、それを見ていたキルスティがぷっと吹き出すように笑いだした。
「アハハハ、ウィルってばいい加減機嫌直せばいいのに」
「うるさい」
ふて腐れたようにそっぽを向くウィクトルだったが、何故そんな態度かわからないイルナはおろおろと慌て出す。
「ウィル様、何か私がご機嫌を損ねるような事をしたんでしょうか?」
「え?」
不安そうな顔で問われ、ウィクトルがハッと驚いたようにイルナを見た。そして自分の態度がまずかったと思ったらしく、慌てて言い訳をしだした。
「い、いや、違う!君は何も悪くない!ただ、俺が君の休んでいた部屋に戻ったら、すでに君は帰った後で…少々がっかりした所をユリウスに散々からかわれてな…。で、見かねたアーロンがキルスティを呼び出して、俺を転移でここまで連れてきたんだ」
「まあ…」
魔法車両で戻ってきたイルナよりも早くに到着していたから、キルスティの転移オーブのお陰だろうとは思っていたが、あの短時間でそんな事があったのかと、半ば呆れそうになる。ユリウスは有言実行でしっかりウィクトルをからかい、彼の機嫌を悪くさせるのに成功したようだが、ウィクトルにすれば不愉快でしかないだろう。
「ユリウス様って、ウィル様が王子様でも容赦ないですね」
「あいつは昔からそうなんだよ。まあ、だから信頼できるんだが」
「側近にはなさらないんですか?」
「一応その話は出てる。そのうち正式に俺の側近になるだろうな」
そうなればユリウスは騎士団を辞めなければいけないが、元よりそんなに固執していないらしく、ユリウス側の問題は全くないそうだ。
「そんな事よりも、キルスティ。ちょっと二人になりたいんだが」
「イルナのお家の人に怒られるよ?ウィルが来てる事知らないんだから」
「大丈夫、少しだけだ」
「はいはい、イルナの部屋にでも行ってるね」
「え、二人共…」
イルナが何かを言う前に、キルスティの姿が消える。どうやら転移でイルナの部屋に移動したらしい。突然二人きりになってしまい、どうしたらいいのか分からなくなると、ウィクトルがそっと両手を広げてイルナに微笑んだ。
「おいで、イルナ」
「えっ…」
その言葉の意味を理解して、イルナが真っ赤になる。おいでと言われても自分からウィクトルの腕の中に飛び込むなんてはしたない真似ができるはずもなく、イルナは俯いてしまった。するとそんなイルナを見てウィクトルは小さく笑うと、自分の方からイルナに近付いた。
「あっ…」
「つかまえた」
フワリとウィクトルに抱きしめられ、イルナの体が一瞬強張る。けれど自分だってウィクトルに会いたかったし甘えたかったのだ。そう思ったら少しだけ勇気が出て、そっと両手をウィクトルの背中に回した。
「ウィル様、会いたかったです」
「うん、俺も」
ウィクトルの温もりを感じながら目を閉じる。さっきまでドキドキと心臓が忙しく動いていたのに、段々と落ち着いてきた。やっぱりウィクトルの腕の中は安心する。そう思ったと同時に、ドタバタと廊下を走る音が近づいてきた。何事かと体を離すと、バタンと乱暴に応接室のドアが開く。するとそこには息を切らせたロドルフとそれを追いかけてきたラルスが立っていた。
「お父様…ラルス…、そんなに慌ててどうしたの?」
「お前……体は大丈夫なのか?それと…何で殿下がここにいるんですかね?」
「ああ、イルナのお見舞いかな」
「ほぉ…」
しれっと言うウィクトルにさすがだなぁとイルナは感心する。ここに来ている事は誰も知らないのだから、家人である父に見つかったらどうなるか、考えただけでも恐ろしい。なのに当の本人は平然としているのだから妙な感じだ。
「姉さん、訓練中に倒れたんだろ?ユリウスさんから聞いたけど、もう平気?」
「うん。ダフネ様が魔法車両で送ってくださったの」
「え、魔法車両?いいな、僕も乗りたかった」
「でしょ」
「お前達…」
地を這うような恐ろしい声でロドルフが唸る。それにはさすがに驚いてしまい、イルナとラルスが父親を見る。すると青筋を立てながらも必死に表情を取り繕っているロドルフの姿が目に入り、思わず身を竦めた。けれどロドルフは大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせたらしい。ゴホンと咳ばらいをしてからウィクトルに向き直った。
「来客はイルナの友人と聞いていましたが、殿下はどうやってこちらへ?」
「そのイルナの友人が連れてきてくれたんだ。イルナが倒れたので心配だったし、最近全く会えなかったからな」
「それはそれは、聞けば訓練場から休憩室へ運んでくださったそうではありませんか。もうそれだけで十分ですよ、ええ。さあ殿下、そろそろお戻りになられないと殿下が急にいなくなったと王宮で騒ぎになってはいけません」
「ユリウスがいるから大丈夫だろう。というか、そんなに俺を追い出したいのですか?」
「追い出したいのではありませんが、王妃に怒られますのでやっぱり追い出したいですな」
全く遠慮のない父に呆れそうになったが、ちょっと聞き捨てならない台詞が耳に残る。
「お父様、王妃様がなぜ怒るのですか?」
質問すると父はさして興味もなさそうな顔で呟いた。
「殿下がイルナに会いに行くと、イルナの邪魔になるそうだ」
「そんな事ないですけど…」
「…母上なら言いそうだな。仕方ない、キルスティに送ってもらう事にしよう」
「彼女はどこに?」
キルスティの名前を聞いてロドルフが片眉を上げる。イルナが厄介なことに首を突っ込む羽目になったのは、キルスティの存在が原因だ。そういう理由でロドルフはキルスティにあまり良い感情を持っていないようだ。
とにかくイルナの部屋にいると告げると、ケイラが呼びに行ってくれた。
「ウィル、帰るの?」
「ああ、また送ってもらえるか」
「わかった。じゃあイルナ、またね。イルナの弟もパパもね」
「またね、キルスティ」
ひょっこりと顔を出したかと思うと、あっという間にウィクトルと一緒にいなくなる。そして、3人だけになったとたんにロドルフが溜息をついた。
「…何はともあれ、イルナ。体は大丈夫なのか?」
「あ、はい。最後の訓練場を10周走るのがきつくて、あと2周を残して倒れてしまいました」
「訓練場10周……」
呆れたようにロドルフが呟く。聞いていたラルスも呆れていたようだ。
「姉さん、一体何を目指してるんだよ…」
「だってダフネ様が作った訓練メニューだから、やらないとダメじゃない」
「にしてもさ、それって魔法の訓練が終わってから走ったんだろ?」
「そうだけど…」
鬼だ、とラルスは思った。口には出さなかったが。ちらりと父を見ると同じように感じているらしく、頭を抱えている。
イルナはウィクトルとの婚約式を控えている為、マナーレッスンや教養の勉強等を叩き込まれている。そしてその後に魔法訓練をしているので、本当に疲れているのだ。
けれど、イルナ自身は何故か平然としている。訓練場を走って気を失う程に疲労しているのだが、何を隠そう自分で作ったパワーポーションを夜にこっそり飲んでいたのだ。それを見つけたラルスがロドルフに報告し、そして今に至る。
「イルナ」
「はい、お父様」
「……出しなさい」
「…はい?」
右手を出されて出せと言われても、何の事だかさっぱりわからない。不思議そうにイルナが首を傾げると、ロドルフはもう一度イルナに告げた。
「お前が作ったパワーポーションだ。毎日こっそり飲んでるだろう」
「あ」
やばい、と思ったがもう遅い。すでにばれている空気だ。
じーっとイルナを見るラルスとロドルフの視線に負け、イルナは持っていたパワーポーションを全て没収される事になった。




