君の瞳
「お、お前達…!」
「え、あ!でん…ぐわぁっ!!」
殿下と言いかけた兵士にユリウスが手にした石をぶつける。
「ああ、悪い悪い。手が滑った」
殿下と言うなよと視線で圧力をかけると、何かを悟ったらしい兵士達はぐっと言葉を飲み込んだ。
そんな様子をイルナとドロテアが不思議そうに眺めている。
「あの、お知り合いですか?」
イルナがきょとんとして兵士の一人に尋ねると、ウィクトルがイルナの前にスッと進み出た。
「すまない、君が彼等を保護してくれたんだな。礼を言う。彼らは私の旅の同行者なんだ」
「まあ、そうだったんですね。じゃあさっきはぐれたと言っていた方達はこのお二人なの?」
イルナが兵士達に尋ねると、二人がコクリと頷く。
その様子を見てイエルハルドは「やっぱり…」と呟いていた。
「コンラード閣下は気付いておられたんですね」
ユリウスが尋ねるとイエルハルドは呆れたように溜息をついた。
「そりゃあな。イルナがバーベキューなんてする程の食材を買う訳がない。なら理由は一つだ。誰かが大量に食材を持って来たから、どうせならみんなで食べようとでも思ったんだろう。ついでに言うとそんな事をする奴はこの領にはいない。と言う事は余所者がイルナの家にいると予想できる」
イエルハルドの目が光っているのもあって、イルナの家に訪問できるような男はコンラード領には皆無だ。
それを説明されて何故かその場にいる全員が納得した。
何が何だか分からないイルナは、とりあえず姿勢を正してウィクトルとユリウスに向き直り、丁寧にお辞儀をする。
「ご挨拶が遅れました。私はコンラード領でお世話になっております、イルナ・ルーメンと申します」
「ユリウス・ローグです。こちらこそよろしくお願いします」
「ウィル…だ。訳あって家名は名乗れないが、ユリウスの友人だ」
「ウィル様ですね。よろしくお願いします」
ウィクトルが家名を告げなかった事を特に不思議に思う素振りもなく、イルナはフワリと微笑む。
その笑顔に他の二人の兵士は溜息をつきながら見惚れていた。
何しろイルナはとても美しい。
本人は気付いていないが、艶のある黒髪に琥珀色の大きな瞳はとても魅力的だ。長い睫毛は頬に影を落とし、象牙のような白い肌は滑らかな艶がある。
「…美しいな……」
ウィクトルが思わず呟くと、イルナは一瞬きょとんとし、そしてパアッと笑顔になった。
「そうですよね!ドロテアはとても美人だと私も思います!皆さんもそう思うでしょう?」
クルリと振り返って皆に同意を求めるイルナに、全員が思わずうんうんと頷く。勿論ドロテアはとても美人だが、今のウィクトルの言葉は完全にイルナに向けてのものだ。
かなりの鈍感っぷりにドロテアも返す言葉もなく呆れていると、ウィクトルは小さく噴き出した。
「確かにドロテア嬢は美人だが、俺は今貴女に言ったんだ、イルナ嬢」
「へっ…」
ウィクトルの真っ直ぐな言葉に今度こそイルナが目を丸くする。
そんな表情も可愛らしいと思ったが、横から射殺さんばかりの視線を送って来るイエルハルドがいた為、ウィクトルは口を噤む。
「え、あ、その、ありがとう…ゴザイマス…」
消え入るようにお礼を言うイルナの顔は、これでもかと言う程真っ赤になっている。
恥ずかしそうに俯きながら、何とか気を取り直そうとイルナが振り返り、「そんな事より食べましょう!」なんて言ってごまかしている姿は堪えがたい可愛さだった。
「殿下…いくらイルナが可愛いからって、手を出したら許しませんよ…」
地を這うような声で脅してくるイエルハルドに、ウィクトルはフッと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「それはコンラード辺境伯が決める事ではないだろう。俺と彼女の問題だ」
「なっ…!ロドルフに言いつけますぞ!」
「魔術師長の事だな。先程イルナ嬢はルーメンだと名乗っていたから、ルーメン侯爵のご令嬢か」
「…その通りです」
身分的には申し分ないが、ウィクトルはふと不思議に思う。
「侯爵令嬢が何故辺境伯の世話になっているんだ?」
「それは言えません」
イエルハルドは両手を目の前でバツにして拒否している。
子供か、と思わなくもなかったが、イルナの声で追及は止められた。
「ウィル様、小父様!お肉が無くなっちゃいますよ~!」
呼ばれて二人はイルナ達の元へ行く。
「このお肉、東の森でセリクさん達が仕留めたんですって。すごいですよね」
セリクとはウィクトルの部下の一人だ。褒められてデレデレしている。ドロテアも興味津々に彼等の話を聞いているようだ。
「まあ、ではヨアキム様は槍兵なのですか?」
「そうなんですが、まだまだ修行中ですね」
「そうか、なら私が直々に訓練してやってもいいぞ」
「コ、コンラード閣下!お、恐れ多いですよ…!」
「お父様…」
ドロテアがウィクトルの部下のヨアキムと話していると、イエルハルドが無理やり間に入って邪魔をしにきた。
この人の子離れできない症候群のせいで、ドロテアが婚約すらままならないのは間違いないだろう。
「そんな事よりセリク、例の場所は見つかったのか?」
「いえ、ここら一帯には見当たりませんでした」
「そうか…」
はぐれても探索は続けていたらしい。そういう取り決めだったらしく、ウィクトルの探していた場所とやらはコンラード領の東の森にはなかったようだ。
「ユリウス、次はどうする?」
「そうだね…、コンラード閣下が許可を下さるなら、もうしばらくコンラード領の森の中を探索させてもらいたいんですが…」
東の森は見て回ったが、西にも森がある。ここから南へ下ればエミール王国の国境になるので、探すにしても西の森からだろう。
「こちらは構いませんよ。私の邸で滞在してくださればいいですし、訓練したいのであれば訓練場もございますから」
「それは有難い。ではそうさせてもらうよ。ユリウス、明日からの予定をセリクと決めておいてくれ」
「わかった」
ウィクトルに言われてユリクスが頷く。バーベキューを食べながらではあるが、セリクと二人でこれからの事を話しだした。
そこへイエルハルドが突然思い出したかのように、持って来ていた薬草をイルナに手渡した。
「すっかり忘れてたが、ちゃんと取って来たぞ。これで合ってるかい?」
「わあ!小父様ありがとうございます!これで間違いないです!」
「それは良かった」
「ちょっと早速植えて来ますね!」
「え、お食事してからでもよくありませんか?」
「薬草が駄目になったら勿体ないもの!ドロテアは食べてていいわよ!」
そう言うが早いか、イルナは庭の奥へと引っ込んでしまった。
それをウィクトルが不思議そうに眺めている。
「イルナ嬢はどこへ?」
「彼女は庭に薬草園を作ってるんですわ。そこで薬草を栽培していますので、さっきお父様が持ち帰って来た薬草を植えに行ってしまいましたの」
「薬草園?」
「はい。ポーションを作る為に育ててるんですわ」
「へえ…」
何となく興味が湧いてきたウィクトルは、そっとその場を後にする。
イルナが向かった方へ足を延ばすと、ドロテアが言っていた薬草園らしきものが視界に入って来た。
「すごいな…」
庭園と薬草園をきっちり分けているようで、突然景観が変わる。
思っていたよりも広い薬草園に足を踏み入れると、まだ何も植えていない一角にイルナがしゃがみこんでいた。
さっきの薬草を植えてるのだろうと思い、声をかけようと一歩踏み出す。
が、イルナが何かをしようとしているのに気づき、声をかけそびれてしまった。
「さあ、元気に育ってね」
そう言って立ち上がり、畑に向かって両手をかざす。
(何をしてるんだ…?)
ウィクトルがイルナを見ている事に気付かないイルナは、ブワッと魔力を放出した。
『成長せよ《インクレメント》』
「――っ!?」
その瞬間、パアッと辺りが光り輝く。イルナの手から放出された魔力が広がっていき、植えたばかりの薬草がどんどん育っていく。
そして立て続けにイルナは呪文を唱えた。
『増幅せよ《アンピリフィカティオ》』
キラキラと銀色の光が薬草の周りに散らばり、それに呼応するように成長した薬草が今度は増殖するように増えていき、何も植えていなかった畑が一面薬草でいっぱいになる。
そして光がスッと消えていき、薬草の増殖も収まった。
「これは…一体どういう事だ…?」
黙っている事ができずにウィクトルが呟くと、その声に驚いたイルナが勢いよく振り返る。
「え!?ウ、ウィル様!?ど、どうしてここに…」
ヤバイものを見られたと、イルナが焦りまくる。あわあわと慌てふためくが、ウィクトルがじーっとイルナを見つめていたので、とうとう観念したように盛大に溜息をついた。
「…誰にも言わないでくれますか?」
「約束はできないが、善処しよう」
「それは困ります…」
「危険な魔法ではないのなら、とりあえずは秘密にしておくよ」
何とも曖昧な物言いにどうしようか迷う。けれど言わないと解放してくれそうにない空気だ。
イルナは仕方なくウィクトルに説明する事にした。
「…これは私が王宮の図書館で読んだ本を応用して作った、成長を促す無属性の魔法と増幅する魔法なんです。植物が早く育つようにって…」
「君が作った?この魔法を?」
「基礎は本で得た知識ですよ。私、魔法は全属性使えるんですけど、無属性以外はそれ程得意ではないんです。なので得意な属性くらいは役に立つようにしたいって思って。でも…両親には分かってもらえなくて、人前で使っちゃいけないと言われてるんです」
「成程…」
無属性の魔法は確かに目立つようなものはない。サポート魔法がほとんどだからだ。けれど魔法は基本的に、自分で作り出す事ができる。
ただその場合イメージが明確でなければならず、一つの魔法を作るのに大変苦労するのだ。だから誰しもが本に載っている魔法を使う。
理由は一から作るよりも誰かが使っているのだから、イメージしやすく扱いやすいからだ。
特に属性によってイメージのしやすさは変わる。
火や水のように、日常生活でよく目にする物程イメージが湧きやすいが、逆に言えば聖や無はイメージしづらい。
「君はすごいな…。こんな風に自分で魔法を作り出し、きちんと活用している。それも誰かを傷付けるものではなく、生活を潤す為に。中々できる事ではないよ」
「え…」
トクンと、イルナの心臓が高鳴る。
今までそんな風に褒められた事は一度もなかった。それどころか役に立たないと言われ、恥だから使うなとも言われた。
自分が無価値のような気がしてどれだけ落ちこんだかわからない。
今だって両親に見限られて辺境の地で一人暮らしているのだ。
それなのに、目の前の…それもとても素敵な男性から、こんな素直な賞賛が送られるなんて思いもしなかった。
イルナの頬がじわじわと赤く染まる。
それを見たウィクトルが、驚いて目を瞠った。
(ブルーグレーの瞳だわ…)
吸い寄せられるようにウィクトルの瞳をじっと見つめると、さらにウィクトルの目が開かれる。
そして突然フイッと視線を逸らされ、イルナはようやく自分が不躾なまでにウィクトルを見つめていた事に気が付いた。
「あっ、も、申し訳ありません!その、き、綺麗な瞳だなって思って…」
「い、いや…構わない…」
ウィクトルの耳がほんのりと赤くなっているのを見て、どうやら怒っているのではなく照れているのだと理解する。
それが分かると何だか安心してしまい、イルナは思わずクスリと微笑んだ。
「な、何だ?」
「いいえ、でも…」
クスクスと笑うイルナをウィクトルが少し訝し気に見つめると、イルナは人差し指をそっと自分の唇の前に立て、パチリと片目を瞑った。
「私の魔法は、二人だけの秘密ですよ?」
「…っ…」
心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受ける。
それなのにイルナは平然と、「戻りましょうか」と言って歩き出した。
(な、何だこれは…)
自分の胸に手を当てて落ち着かせようとするが、イルナの顔を思い浮かべると再び暴れ出す。
ネストーレ王国の第二王子、ウィクトル・カーン・ネストーレは。
人生初の恋に落ちてしまったのだった。