教会の聖人様
ラルスに有無を言わさず連れられた場所は、さっき怪我人がいると言っていた教会だった。教会は聖竜の加護が受けられる場でもあり、怪我や病気の治療も行われる場所だ。だから避難する人がいてもおかしくはないのだが、イルナはすっかりそれを忘れていた。
「コンラード領の教会は初めてだわ」
「母上が聖竜の巫女なのに、聖竜の加護を受けてる教会に来ないって…」
「し、仕方ないでしょう。小父様が外出させてくれなかったんだからっ」
ぷくっと頬を膨らませて抗議すると、ラルスもやれやれと言った様子で呆れていた。
そこへ、騎士団仲間らしい青年がこちらに向かって歩いてくる。イルナは一歩下がりラルスの後ろに控えるように立った。
「ラルス!お疲れさん」
「ヒックス、聖人様のご様子はどう?」
「ああ、さっきようやく目を覚まされた。で、ポーションはもらえたか?」
「勿論」
そう言って引いてきた馬に載せた荷物に視線を向けた。
「良かった!これで聖人様も回復できるな。領民達も心配してたぜ」
二人の会話からすると、どうやら聖人様と呼ばれる人物にポーションを使うつもりだったらしい。ヒックスはラルスからポーションを受け取ると、急いで教会の中へ戻っていった。
「ラルス、どういう事?」
「この教会の神父は領民達に『聖人様』と呼ばれてる。無償で怪我人を魔法で治療してくれるからなんだ。それに孤児も沢山見てくれていて、イエルハルド小父さんと協力して色々と動いてくださってるんだよ」
「そうなの…」
説明を聞いて少し違和感を覚える。ラルスは今『聖人様』は『無償で怪我人を魔法で治してくれる』と言っていた。そして今その聖人様は倒れていたらしく、ようやく目を覚ましたと、ラルスの同僚らしい青年が言っていた。
「ねえラルス。怪我人というのは聖人様の事なの?」
疑問に思った事を口にすると、ラルスはあっさり否定した。
「違うよ。聖人様は回復の魔法で治療してくれてたんだけど、魔力が枯渇したみたいで倒れたんだよ。だからまだ動けない怪我人の治療の為にポーションを取りに行ったんだ」
「え、でもさっき…」
「あれは聖人様にも一応渡すみたいだね。まあ、意味ないだろうけど」
「それならそうだとどうして此処に来る前に言ってくれないの!?」
「何でって…」
急に怒りだすイルナにラルスは驚いて目を丸くしている。するとイルナは転移オーブを取り出し、突然ラルスの前から姿を消した。
「え!?ちょ、急に何…!」
突然の事に対象できずに狼狽えていると、数分後にイルナが戻って来た。勿論転移オーブを使って。戻ってきたイルナは手に何かを持っていた。
「ラルス、聖人様の所に案内して」
「え、あ、うん」
イルナの勢いに押され気味のラルスは、ちょっとたじろいでいるようだ。けれどイルナがラルスの背をぐいぐい押すので、気を取り直して歩き出した。
教会に入ると領民達が何人も休んでいた。それを横目で見つつ、先を急ぐ。教会の奥にある通路を通り、ある一室の前でラルスが立ち止まった。
ノックをすると中からヒックスの声で返事が聞こえ、ラルスが声をかけて扉を開けた。
「失礼します」
「失礼します…」
勢いよくラルスを押していたイルナだったが、部屋に入ると大人しくなる。そっと室内を見渡すと、奥にあるベッドに一人の男性が座っており、その横にヒックスが控えていた。彼がどうやら聖人様らしい。
「聖人様、もう起き上がって大丈夫なんですか?」
「ラルスさん、心配かけてすみません。ですがこの通りですよ」
ニッコリと人の良さそうな笑顔を向ける。そしてその視線がラルスの隣に立つイルナに向いた。
「そちらのご令嬢はどなたですか?」
「ああ、紹介が遅れて申し訳ありません。僕の姉のー」
「イルナ・ルーメンと申します」
イルナが淑女の礼をとり挨拶をすると、何故かヒックスが驚いていた。
「え!ラルスの姉上!?こ、この人が!?」
「そうだけど…何だよ」
「いや…別に…」
視線を反らしたヒックスの顔が心なしか赤くなっている。一体何を言おうとしたのか分からないが、とりあえず放っておくことにする。一方聖人様は相変わらずにこやかな笑顔だ。
「そうでしたか、ラルスさんの。こんなお美しい方がお姉さんだと、ラルスさんも色々と心配でしょう」
「ええ、本当に」
「?」
何が心配なのかとイルナが首を傾げるが、ラルスは知らんふりだ。多分教える気はないだろう。
そんな事よりイルナは一歩前に進み、聖人様に近付く。そして鞄から取り出した小瓶を聖人様に手渡した。
「これを飲んでください。魔力が回復しますので」
「え」
「魔力の枯渇はポーションを飲んでも回復しません。私が作った物で申し訳ないですが…」
イルナが作ったと聞いて聖人様は目を見開く。そして手にした小瓶を眺め、再び驚いた顔でイルナを見た。
「このオレンジ色の液体はまさか…エーテルですか?」
「はい。飲めば少しは気分が良くなると思います」
「ありがたいですが、こんな高価な物をいただく訳には…」
「ですが、貴方が回復しないと領民の皆さんが心配します。さっきも言いましたが私が作った物なので、買ってきた訳じゃないですから気にせず飲んでください」
そう言われてしばらく聖人様はエーテルを眺めていたが、そっと蓋を開けて中身を飲み干した。
「ああ…力が戻ってくる…。それにこの味、とても美味しいです」
「本当ですか?それでしたら良かったです」
「こちらこそ本当にありがとうございます。助かりました」
「ね、姉さん…」
二人の様子を見ていたラルスが不安そうに声をかける。けれどイルナは何も言わずに頷き、そして再び聖人様を見た。
「このエーテルの事は内緒でお願いしますね、聖人様」
苦笑しながら告げると、一瞬きょとんとした聖人様はニッコリと微笑み頷く。
「わかりました。それと僕の事は聖人様ではなく、レオンシオとお呼び立てください」
「レオンシオ様ですね。わかりました」
それを見ていたラルスはハッとなってヒックスに視線を向ける。ヒックスはというと、何故かボーッとイルナを眺めていた。
「ヒックス、お前もこの事は内緒で頼むよ」
「あ、ああ」
ハッキリしない返事だったが、彼が約束を破ることはないだろう。ヒックスは馬鹿正直だがラルスを裏切ったり困らせたりするような事はしない。そこら辺は信頼できるので、口止めさえしていれば大丈夫だろうと、ラルスも心配はしていないようだ。
そしてヒックスに預けていたポーションをレオンシオに渡し、イルナ達は一度コンラード邸に戻る事にしたのだった。




