出立
夢を見ていた。
自分の身体は強靭であり、手に持つ槍を自在に振るう夢。
そして夢の中の自分は絶対無敵であり、誰も太刀打ちできない。
それは紛れもなく幻想という名の夢での出来事。
夢とは己が創り出した空間であり、その中は自分にとってとても都合のよいことしか起こらない。
その中で敵のいない自分の姿は当たり前だ。
しかし、そんな夢の中でただ一人自分と対等に戦うことのできた者がいた。
赤毛のポニーテールで白いドレスを身に纏う美しい女性。
そんな女性に対して夢の中の自分は見惚れるどころかはいつくばらせて自分の靴を舐めさせる想像をしてワクワクしている。
最初は劣勢だった戦いも今では自分が優勢に進めている。このままいけばこの女性に勝てる。
いつもはここで夢が終わってしまう。
夢というものは良いところで醒めるものだ。
だが、今回はそこで目が覚めることはなかった。
夢の続きを見ることが出来る。
それはこの夢を見るようになってからずっと願い続けたこと。
さて、この夢は一体どんな結末を迎えるのだろうか。
そう思った瞬間、胸から刃が生えてくる。
自分の血に濡れる漆黒の刃。
……ああ、これでは死んでしまう。
まだこの女性との決着がついていないというのに……
「くそが!」
夢の中の自分が言う。
本当にくそだ。目の前の相手に夢中になりすぎた。
自分と初めて対等に戦うことが出来た存在。
いくら愉しく戦っているからといって油断した自分を殴りたくなるし、こんな無粋な横槍をした輩も殴ってやりたい。
だが、四肢から力が抜けていくのを感じ、全力で殴ろうとも大したダメージにはならないかもしれない。
ならば、と乱入者の腕を掴む。
このまま自分だけが死ねばそれは自身の負けを意味する。
どうせ負けるならば自分よりも強い奴でなければならない。
だったら乱入者ごときに負けてなどやらない。
道連れにこいつも殺す。
そうすれば、自分はこいつには負けたことにならない。
「俺はお前には負けてねぇ」
襲撃者に向けてアークノイルは言う。
そして――
「そして貴様にもだ」
赤毛の女性に対して宣言する。
ここで自分は死ぬのだから、対外的に見ればこいつの不戦勝だ。
だが、そんなことにはさせない。
いつか必ず決着をつけるために自分はやってくる。
だからそれまで待っていろ。
――ランカトゥーリス
◇◇◇
目を覚ますと辺りは暗くなっていた。
どれくらい自分は眠っていたのだろうかとアークは考える。
目を閉じた時とは違い天井の木目模様を認識することができない。
そこから今が夜中という時間になっているとアークの思考は帰結した。
「今のは……」
そこで思考は先程まで見ていた夢のことに及ぶ。
いつになく夢の中のことが現実であるかのように感じられた。
妙に生々しく胸に刺さった剣の感触に無意識にアークの手は自分の胸元に触れていた。まるで剣が刺さってないか確かめるように。
自分に剣を突き刺した無粋者の顔は思い出せないが、それ以外、例えば赤毛のポニーテールの女性や戦っていた時の思考や感情などは鮮明に思い出すことが出来る。
そして自分が戦っていた赤毛の女性はランカトゥーリスという女神だった。
「壮大な夢だったな……夢?」
自分で言った言葉になぜか疑問が浮かぶ。
果たして今のを夢として扱っていいのだろうか。
そんなことを考えている自分がいる。
「感覚的には夢というより昔起こった出来事の記憶を見てるような……」
自分で言っておいて何を言ってるんだと突っ込みたくなる。
自分はただの人間であり、戦いどころか殴り合いの喧嘩一つしたことはない。もちろん殺されたことなんてありはしない。だって自分は今ここで生きている。
だが、そう思いつつもパズルのピースがはまるかのように記憶という言葉はしっくりとくるものがある。
そして、そう思った瞬間にアークの胸の内にある感情が沸き上がる。
――女神と戦いたい
ただただアークはそう思った。
そしてそんな感情がアークの心の中を占めていく。
夢の中では決着がつかなかった。ならば自分自身で決着をつけよう。
女神と戦うにはどうすればいいのか。
それにはまず、女神の住む天上の国ヴァルハラへと行かねばならない。
ヴァルハラへと辿り着く方法は三つあると言われている。
一つ目は天上の国へと続く天への階段。そして二つ目が竜の爪痕の何処かにあるという天上門。この二つは見つけること自体が難しい。物語にあるアークの名前の素となった英雄は天への階段を昇ったと言われているが、情報を集めて天への階段を探すというのはなんともめんどくさい。
何より今は天への階段を探さずとも天上の国へと至る道はわかりやすく存在するのだ。
それこそが三つ目の方法であるバベル。進むには困難とやらが待ち受けているようだが、それすらも望むところだ。
アークは周りにある必要な物達を集めて荷造りをする。
親友であるレオナルドもまた天上の国を目指しバベルに挑もうとしている。出発は夜と言っていたが、動き出すのは村中が寝静まった頃だろう。だったらまだ間に合うかもしれない。また、親友の出発に間に合わずとも一人でバベルへと向かう腹積もりだ。
荷造りを終えたアークは家族に気取らないように静かに家から出る。
そしてレオナルドが馬車を隠したという森へと向かおうとした時
「こんな時間にお出かけかい?」
声をかけられた。
声の主はアークの後方、出てきたばかりの家の方からだ。
振り返ったアークが見たのは無表情で自分を見つめる父ガルダ=ドラードの姿だった。
「そんなに荷物を抱えてるってことは散歩ではないね?」
「ああ」
「家出かな?」
「似たようなもんだ」
「どうゆうこと?」
「俺はバベルに行く」
ガルダの言葉にアークは弁明や言い訳もしない。事実だけを言う。
「バベル……アークは叶えたい願いって奴があるのかい?」
「親だろうと知る権利はない」
だが願いの話になってアークはガルダの問いをはぐらかして答える。
女神と戦うために、なんて言うのは多くの人にとってはレオナルドの全女性の胸のサイズアップという願いよりも馬鹿げたものだ。
「そうか……少し待ってなさい」
そう言ってガルダは家の中へと入っていく。眠っている家族を起こして緊急家族会議でも開くのだろうかとアークは心配になる。
両親にどう説得されようと意見を曲げるようなアークではないが妹に泣いて縋られたら自分でもどう反応するのかわからない。
若干妹が泣くのは楽しみだったりするが、その顔見たさに出発を見送りかねない。
アークがそう思考しているとガルダが戻ってくる。その後ろにはディーネの姿もあった。
「アーク、これを」
そう言ってガルダがアークへ小さな袋を手渡す。開いて中を見てみると金貨が詰まっていた。
「路銀とグロリアに着いてからの生活費の足しにしなさい」
グロリアとはバベルの入口を中心として出来た都市である。その経済力は首都を含めた主要都市五つを合わせたものと等しい。
「こんな大金をどこで……」
金貨一枚で人間一人が半年は暮らせる。それが数十枚。とても田舎の農村に住む人間が稼げるような額ではない。
「母さん達も昔、バベルの攻略を目指していたのよ」
「そう、そこで出逢ってアーク達を授かった。それでそのまま静かな暮らしを求めてこの村にきたんだよ」
両親の告白にアークは驚いた。
今までただ人の良いだけの両親にそんな過去があったとは気づかなかった。
「父さん達はどっちも願いを叶えるまでは帰らないと言って故郷を離れたから新天地に来たわけだけど、アークは黙って出ていくんだからいつでも帰ってきていいんだからね」
「ま、帰ってきたらアディに怒られるでしょうけどね。なんで黙って出ていったんですかーっ! って。あらやだ、明日の噴火は母さん達が宥めなきゃいけないのね」
「と、まあアディのフォローは父さん達に任せて行きなさい。あと月一回は手紙を出すように」
「お酒と女には気をつけなさい。あと、経験者としてのアドバイス。死にそうになったらとにかく逃げるのよ。逆転の手なんか考える前に逃げなさい」
両親は微笑みながら自分を送り出そうとしてくれている。自分達も過去バベルに挑戦していたことや、アークがいなくなっても農作業にあまり滞りがないことが笑って送り出せる理由だ。
それこそ自分達もバベルに挑む間に何度も死ぬ思いをした。だけどバベルに挑んだからこそ自分達は出逢い、子を授かったのだと思えば良い思い出でもある。
「手紙はめんどいから気が向いたら出してやる。あと、金以外になんか良いもんを餞別にくれたりしないのか?」
「…………」
「……さっさと行きなさい」
「金だけか。冷たい親だ」
そう言ってアークは家に背を向けて歩いていく。その背中を見つめながら両親はどうしてこんな風に育ったんだろと自らの教育を若干後悔していた。
そして精々誇張してアディエルに話してやるから盛大に怒られやがれと心の内で願った。
アークは受け取った金貨入りの小袋を左手で弄びながら、空を見上げた。
雲一つない夜空には星が輝き、アークの出立を祝福しているようだった。
そこそこ歩いたところで振り返る。自宅の前にはすでに両親の姿はない。どうやらもう中に入ってしまったようだ。
「ありがとな」
そんな二人へと向かって礼を言う。本当は面と向かって言いたかったが、素直に言ったら負けのような気がした。何に対して負けなのかは自分にもわからない。
「すまん」
そして今度は眠っているであろう妹に対して謝罪した。
◇◇◇
レオナルドは馬車の用意をしていた時に不意に誰かの気配を感じて振り返る。
村人に感づかれたかと思ったが、気配の主が親友であることに気付き胸を撫で下ろす。
「アークかよ……見送りか?」
そう言ったところでアークが見送りにしては恰好がおかしいことに気づく。
いや、恰好自体はいつものヨレヨレの服だ。なにもおかしいことはない。おかしいのは背負っている荷物だ。自分への餞別としては大きすぎる。
「それは?」
指を差して聞いてみる。
「俺もバベルに行く」
返ってきた解答は予想しつつも有り得ないと思っていたもの。
「バベルに行くって……アディちゃんはどうすんだ?」
故に一番気になることを聞いてみる。
「アディもガキじゃないんだから兄離れするべきだ」
どちらかというとアークが妹離れするべきだろと言おうとしたレオナルドだったが、あれ? これって妹離れするってことか。と思い、言葉を飲み込む。
「オレは有り難いが、本当についてくるんだな?」
最終の意志確認のためにレオナルドはアークに問いかける。
「レオ、俺はお前についていくんじゃない。お前と共に行くんだ」
「あ、ああ。んじゃ、一緒に行くか」
アークの荷物を馬車に積み込み御者台に座ったレオナルドはアークが乗り込んだことを確認すると馬を走らせる。
「んじゃあとよろしく」
「っていきなり寝よーとすんなっ。せめて話し相手になれよ」
「いや、眠いし」
「嘘だね。その寝癖頭を見ればお前が今まで寝てたことなんかまるわかりだね」
「二度寝って知ってるか? あれは一度目より気持ちいいんだ」
「ふざけんなボケ」
夜半の移動としては少々やかましく馬車は走っていく。
馬の脚が地面を叩く音と仲の良い親友達の掛け合いを余韻として残して――