第二話「ケノ」
次の瞬間、窓が割れた。
飛び込んできたのは、人間だった。
顔があって、手足があって、服らしきものを身につけている。見た目はほとんど人間と変わらない。でも何かが決定的に違った。目だ。焦点が合っていない。何かを見ているようで、何も見ていない。まるで中身だけが抜け落ちてしまったみたいな目をしていた。
一体じゃなかった。窓から、扉から、壁の亀裂から、次々と入ってくる。
「下がってて」
ユイが前に出た。腰に提げていたのは銃だった。無骨で、でも手に馴染んでいるような持ち方をしている。躊躇なく引き金を引く。乾いた音が響いた。
倒れた。
でもすぐに立ち上がった。
「……効かないのか」
「動きを止めるだけ。倒すのは難しい」
ユイは淡々と言いながら次の一体に向ける。また倒す。また立ち上がる。数が多すぎた。
俺は咄嗟に床に落ちていた鉄パイプを拾い上げた。近づいてきた一体に向けて振り下ろす。手に衝撃が走る。感覚があるって、こういう時でも変に実感するものだと思った。
「霧島、左」
声に反応して体が動いた。一体が腕を伸ばしてくる。避けた。でも後ろにもう一体いた。
壁に追い詰められた。
目の前に二体。じりじりと近づいてくる。鉄パイプを構えたまま、足が動かなかった。
まずい。
そう思った時だった。
胸の奥で、何かが動いた。
熱い、というのとも違う。痛い、というのとも違う。強いて言うなら——何かが、溢れてくる感じ。
気がついたら、光だった。
俺の手から、体から、白い光が広がっていた。眩しくて目が開けていられない。目の前の二体がそれに触れた瞬間、音もなく消えた。跡形もなく。
光が部屋全体に広がった。
残っていた全員が、消えた。
光が収まった。部屋の中は静かになっていた。俺は自分の手を見た。何も変わっていない。普通の手だ。
「……なんだ、今のは」
声が掠れた。
振り返るとユイがいた。銃を下ろして、俺をじっと見ている。その目に、初めて感情らしきものが浮かんでいた。
驚き、だと思った。
「マインド」とユイは静かに言った。「あなた、使えるの」
「マインド? 何のことだ」
「今あなたがやったこと。それをここではそう呼ぶ」
俺には意味がわからなかった。自分で何をしたのかもわかっていない。ただ、消えたのは本当だった。あいつらが、あの光で、消えた。
「あいつらは何なんだ。人間じゃないのか」
ユイは少し間を置いた。
「元々は、人間だった」
その一言が、頭の中でゆっくりと広がった。
元々は、人間。
「……俺が、殺したのか」
声が震えていた。自分でも気づかなかった。
「違う」
ユイの声は変わらなかった。
「あいつらはもうケノだ。魂を抜かれた、体だけのもの。あなたは何も殺していない」
「でも元々は——」
「霧島」
ユイが一歩近づいた。俺の目を真っすぐに見る。
「今は座って。話すことがある」
有無を言わさない声だった。俺は壁にもたれたまま、ゆっくりと床に座り込んだ。膝が笑っていた。
ノームという何かがいる。
5年前、霧と一緒にこの世界に現れた。そいつが人間の魂を抜き取ると、ケノになる。
「人類の半分近くが、もうああなってる」
ユイは淡々と言った。でもその言葉の重さが、じわじわと俺にのしかかってくる。
「半分……」
「ノームを倒せば元に戻るかもしれない。それを信じて戦ってる人間達がいる」
「お前も?」
「私も」
短い答えだった。
「ノームを倒せば、ケノになった人間も、この世界も元に戻るのか」
「わからない。でも何もしなければ何も変わらない」
俺はしばらく黙っていた。
元に戻る。この灰色の世界が。ケノになった人間達が。
「その仲間に、俺を紹介してくれないか」
ユイが俺を見た。
「マインドが使えるなら、仲間になれる。ただ——」
「ただ?」
「なぜあなたがここにいるのか、私にもまだわからない。それだけは覚えておいて」
俺は頷いた。
わからないことだらけだった。ここがどこなのか。ノームとは何なのか。なぜ俺がこの世界にいるのか。さっき俺の体から溢れ出たあの光は何なのか。
何一つわからないまま、俺はユイの家の片隅で目を閉じた。




