第一話「灰色の世界」
完全に趣味で書いてたもので、誰かに読んでもらうつもりなんて全く無かったものです。ここに載せようと思ったのはなんとなくというか、気まぐれみたいな感じです。適当にでも読んでもらえたら嬉しいです。
目が覚めると、空が灰色だった。
仰向けのまま、俺はしばらくそれを眺めていた。太陽らしきものはある。でも光が温かくない。風が吹いているのに肌に当たる感覚がない。音はある。でも何かが遠い。まるで分厚いガラスの向こう側から世界を眺めているような、そんな感じだった。
起き上がろうとした。
できなかった。
体を動かそうとしても、どこに体があるのかわからない。腕も足も、地面に縫い付けられたみたいに動かない。自分の体なのに、自分のものじゃないみたいだった。
焦った。当然だ。でも不思議と叫び声は出なかった。出し方を忘れたのか、それともここではそういうものなのか。
どのくらいそうしていたかわからない。一分かもしれないし、一時間かもしれない。時間の流れを測るものが何もなかった。
そんな時だった。
「——動けない?」
声がした。
低くて、静かで、でも不思議と耳にすっと入ってくる声。俺は目だけを動かして声の方を向いた。
女がいた。
年は俺より少し下に見える。肩のあたりで切りそろえた白い髪。感情を読ませない、整った顔。灰色の世界の中で、彼女だけがなぜかはっきりと輪郭を持って見えた。
彼女は俺をしばらく無言で観察してから、その場にしゃがみ込み、足元に落ちていた何かを拾い上げた。薄い布切れだ。くすんだ白で、特別変わったものには見えない。それを彼女は無言のまま俺の左手首にそっと巻きつけた。
その瞬間だった。
感覚が、戻ってきた。
背中に地面の硬さを感じる。肺に空気が入ってくる。自分の心臓が動いているのがわかる。体が自分のものになった、という感覚。それがこんなに安心するものだとは思わなかった。
「——っ」
起き上がろうとしたら、頭がぐらついた。
「動ける?」
淡々とした声だった。感情が薄いというより、こういうことに慣れているみたいだった。俺はゆっくり上半身を起こして、周りを見渡した。
灰色だった。全部が。空も地面も、遠くに見える建物の輪郭も、色を失ったみたいにくすんでいる。
「……ここは、どこだ」
「それを聞く前に、あなたが答えて」
彼女は俺を見下ろしたまま言った。
「目が覚める前、どこにいた?」
俺は少し考えた。
「……部屋。自分のアパート。東京の」
「寝て、起きたらここにいた」
彼女は小さく何かを考えるように目を細めた。それから、ゆっくり口を開いた。
「私はここ以外を知らない。あなたが今言った場所とここは、たぶん違う世界だ」
断言じゃなかった。でも確信があるような言い方だった。
「名前は」
「霧島隼人。……お前は?」
「ユイ」
短い答えだった。それ以上でも以下でもない、という感じでユイは俺に手を差し伸べた。
「立てる? 話はうちでする。ここは長居する場所じゃない」
ユイの家は、廃墟になりかけたビルの三階にあった。
家、と呼んでいいのかわからない。窓ガラスは半分割れていて、壁には亀裂が入っている。でも中には生活の痕跡があった。簡素な寝床、水の入った容器、何かが書き込まれた地図らしき紙。彼女はここで一人で暮らしているらしかった。
「座って」
床に置かれた木箱を指してユイが言う。俺は素直に従った。
「もう少し聞かせて」とユイは向かいに腰を下ろして俺を見た。「そのアパートで、どんな生活をしてた?」
「どんな、って……バイトして、寝て起きての繰り返しだけど」
「バイト」
「コンビニ。フリーターだ」
ユイは何かを確かめるように静かに聞いていた。俺が話すたびに、彼女の中で何かが整理されていくような感じがした。
「その世界には——霧はあった?」
「霧? 普通にあるけど。朝とか」
「世界を覆うくらいの」
「……ない」
「そう」
ユイは短く息をついた。
「5年前、この世界は霧に包まれた。突然、どこまでも続く霧が世界を覆った。それと同時に感覚がなくなった。触れても、痛くても、何も感じない。だからさっきあなたに巻いたものが必要になる」
「さっきの布か」
「クロスと呼んでる。これを身につけることで感覚が戻る」
ユイは自分の首元に触れた。そこには細い布が巻かれていた。
「私はここを離れないから、外したことがない」
「ずっとここに?」
「5年間」
俺は言葉に詰まった。
5年間、この灰色の世界で。感覚を布一枚に頼りながら。
「一人で?」
「最初は一人だった。今は仲間がいる」
ユイの声は変わらない。でも俺はなぜかその一言に、言葉にならない何かを感じた。聞いてはいけない気がして、俺は別のことを聞いた。
「俺がここに来たのは——」
その時だった。
ユイが立ち上がった。
音もなく、素早く。彼女の目が鋭く窓の外に向く。
「来た」
低い声でそれだけ言って、ユイは腰に提げていた何かを手に取った。
「霧島。立って。今すぐ」
俺は理由もわからないまま立ち上がった。
次の瞬間、窓が割れた。




