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旦那様の心臓

 ハッと大きく息を吸い、わたしは身体を震わせた。視界が暗い。ニコラスがわたしの目を覆っているからだ。彼の手のひらはわたしの涙でぐちゃぐちゃになっていた。



「――――どうやら、戻って来たみたいだね」



 暗闇の向こうでニコラスが言う。

 嗚咽が漏れ、まともに息ができなかった。わたしの目を覆い隠したまま、ニコラスとアクセスがゆっくりと身体を起き上がらせる。背中を擦ってもらいながら、わたしは涙を流し続けた。



「きずな君」



 呼んだところで、きずな君にわたしの声が届くわけじゃない。そんなことは分かっている。だけど、きずな君は最後の最後まで、わたしのことを求めていた。



「きずな君……!」



 そう叫ばずにはいられない。頭がぐちゃぐちゃで、ひどく苦しかった。

 彼があれ程までにわたしを想ってくれていたことも。自分の最期も。最後に彼をあんな風に死なせてしまったことも。わたしは全部、全部知らなかった。



「ごめんなさい、きずな君……! ごめんなさいっ」



 わたしは本当に、いつ死んでも良いぐらいに幸せだった。だって、きずな君のお嫁さんになれたんだもの。世界で一番幸せな女の子だった。

 だから、きずな君が死ぬ必要なんて、何一つなかった。彼にはわたしが居なくなった後も、幸せに暮らしてほしかったのに。こんな形で彼に業を背負わせてしまうなんて――――。



「おまえが謝る必要など、何一つない」



 アクセスがそう言う。顔は見えないけど、彼の声もまた、わたしみたいに震えていた。



「おまえはあいつの『心臓』として生まれてきてしまった――――ただそれだけのことだ」



 アクセスの言葉に、わたしは身体を震わせる。


 わたしが、旦那様の心臓であること――――その表現は決して、大げさなんかじゃない。

 現世でのプロポーズの時、旦那様は『わたしが生まれてくるまで空っぽだった』って、そう言ってた。ずっとわたしを待ってた、探してたって。それは全部真実なんだと、きずな君の記憶を見た今、心からそう思う。



「だけど、皮肉なことだね。アイリスちゃんがいないと生きて行けないあいつは、アイリスちゃんよりもずっと長寿の竜人として生まれてきてしまった」



 ニコラスが大きなため息とともに口にする。

 逆であればどんなに良かっただろう。きっと、三人が三人とも、同じことを思っている。けれど、事実を変えることは誰にもできない。



「それで、アイリス。おまえはこれからどうしたい?」



 アクセスがわたしに、そう尋ねた。ニコラスがわたしの瞳を覆っていた手のひらをゆっくりと退かしていく。視界が涙で滲んだ。



「――――――どう、したら良いんだろう?」



 ゴールのない迷路に迷い込んだような心地で、わたしはそう尋ね返した。

 旦那様に死んでほしくなんてない。今度こそ、最後まで天寿を全うしてほしい。そう思うけど、今のわたしは旦那様の深すぎる想いを知っている。単純に『死なないで』と言って済む問題とは思えなかった。



「わたしね……きずな君には、新しい恋をしてでも、生き抜いて欲しかった」



 きずな君がわたし以外の人を愛することを想像すると、少しだけ悲しい。けれど、きずな君が笑ってくれることの方がずっと大事だった。幸せでいてほしかった。少なくとも、あんな風に死なせたくはなかったのに。



「ねぇ、わたしが『生まれ変わっても一緒になりたい』なんて言わなかったら、きずな君は他の誰かと幸せになれたのかな?」



 そう思うと、悔やんでも悔やみきれない。けれど、ニコラスもアクセスも首を大きく横に振った。



「例えアイリスちゃんがそう言ってなかったとしても、あいつ――――前世のリアンは、君じゃなきゃダメだったんだと思う。

今のリアンだってそうだ。きっとアイリスちゃんが『自分が死んだ後は他の人を愛してほしい』と言ったって、耳を貸しやしない。そういう奴なんだよ」



 ニコラスの言葉に涙が零れ落ちる。そうだったら良いな――――わたしは大きく頷いた。




 結局、明確な結論の出ないまま、わたし達は帰路についた。外はすっかり暗くなっていた。星が瞬く様子をぼんやり眺めつつ、わたしは旦那様のことを考える。



(きずな君、あんなにもわたしのことを愛してくれてたんだ)



 思い返せば涙が出るほど、彼の想いは熱くて強かった。愛されていることは日々実感していたけど、あんな形できずな君の想いを目の当たりにする日が来るなんて夢にも思わなかったんだもの。本当に、彼はわたしのことを心から愛してくれていたのだと、そう思う。



(それだけなら、ただひたすら嬉しかったのに)



 わたしを愛するあまり、きずな君は自分の命を絶ってしまった。



 わたしが側に居たから。

 わたしが彼の側から居なくなったから。



(もしも今、わたしが旦那様から離れたら――――)



 一瞬だけそんな風に考えてみたけど、そんなこと、できっこなかった。だって、旦那様は間違いなくわたしを必要としているし、わたしだって絶対、旦那様と離れたくない。旦那様に自分の人生を見つめなおしてほしいのは事実だけど、それは『わたしと一緒に生きる』という前提があってこそだ。



(だけど、こんな気持ちのまま、わたしは旦那様と結婚して良いのかな?)



 今すぐどうこうなる問題じゃないってことは重々承知している。きっと、旦那様自身は軽い気持ちでアクセスやニコラスに話を持ち掛けたのだろうし、わたしが今、持ち出していい問題じゃない。


 だけど、『わたしが死んだら旦那様は――――』そう思いながら結婚生活を送るのが、果たして正解なんだろうか。

 第一、わたしは今夜、どんな顔をして旦那様に会えば良いのだろう。そう思うと、心臓が嫌な音を立てて鳴る。



「今夜は家に泊るか?」



 アクセスはそう提案してくれたけど、わたしは首を横に振った。

 戸惑いや悲しみは当然大きい。だけどわたしは、旦那様の側に居たかった。



***



「ただいま」



 その日の晩、旦那様はいつもと同じ時間に帰って来た。



「おかえりなさい、旦那様」



 いつも通りの穏やかで優しい笑み。そりゃぁ、旦那様は何も知らないんだから当然だけど。それでも安心してしまう自分がいる。



「どうかした?」



 旦那様はそう言って、わたしの頬をそっと撫でた。ただそれだけ――とても些細な触れ合いだけど、旦那様はきっと、信じられない程たくさんの愛情を込めてくれている。わたしは思わず旦那様のことを抱き締めた。



「アイリス?」



 旦那様はわたしを抱き返しながら、よしよしって頭を撫でてくれた。ささくれだった心が、一気に潤っていく。目頭がすごく熱くなって、わたしは旦那様の胸に顔を擦りつけた。



「――――旦那様が好きです。大好きです」



 言えば、旦那様は小さく息を呑む。つむじに旦那様の唇の感触を感じて、瞳から温かな涙が流れた。



「俺も、アイリスを愛してるよ」



 旦那様はそう言って、わたしの額や頬、唇に何度も何度も口づける。



(知ってます)



 悲しいほどに。

 わたしはあなたの気持ちを知っている。だから――――。



(わたしのために、生き抜いてほしい)



 心の底からそう願う。静かに涙を流しながら、わたしは旦那様に抱き締められていた。

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