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旦那様の頼み事

 その日、いつものように校舎を出たわたしを思わぬ人物が待っていた。



「アクセス……! ニコラスも。一体どうしたの? まだ勤務時間でしょう?」



 アクセスは以前、学校帰りのわたしを待ち伏せしていたことがあるけど、こんなことはあれ以来初めてだ。だって、話がしたかったら家で待っていれば良いんだもの。家にはロイだっているんだし。



「話がある」



 アクセスは真剣な表情でそう言った。眉間に皺が寄っている。よく見れば、いつも底抜けに明るくて笑顔しか見たことのないニコラスまで、神妙な面持ちを浮かべていた。



「まさか……旦那様に何かあったの⁉」



 真っ先に思い浮かんだのは旦那様のことだった。旦那様が怪我をしたとか、病気があるとか、そういうこと。それなら、二人の尋常じゃない様子も理解できる。



「今はまだ、ない」


「今はまだ……?」



 言っている意味が理解できず、わたしはアクセスに詰め寄る。不安が胸を支配して、堪らない気持ちになった。



「ねぇ、今はまだってことは、今後旦那様に何か起こるってこと⁉ 旦那様は……」


「落ち着いて、アイリスちゃん。僕たちは今日、そのことを君と話したくてここに来たんだ」



 ニコラスがそう言ってわたしを宥めた。穏やかな優しい声音だった。張り詰めた心がほんの少しだけ和らぐ。代わりに涙がじわりと滲んだ。



「ひとまず移動しよう。僕に付いてきて」



 そう言ってニコラスがわたしの手を引く。コクリと頷きながら、涙を拭った。



 ニコラスはわたし達を、森の奥深くへと誘った。家とは真逆の方向にある、初めて来る森だ。普段は空を飛んで移動するのに、森に入って以降はずっと徒歩。木漏れ日が優しくて、どこか気持ちが安らぐ雰囲気の場所だ。けれど、アクセスもニコラスも、移動中は一言も言葉を発しなかった。



「着いたよ」



 ニコラスはそう言って、唐突に足を止めた。木々に覆われた森の中、その一ヶ所だけ、ぽっかりと大きな穴が空いたように何も存在しない。



(話をするだけなら、何もこんな場所に連れてこなくても……)



 そう思っていた矢先、ニコラスがわたしには聞き取れない言葉で何かを唱えた。顔の前で恭しく手を合わせ、彼はゆっくりと静かに目を伏せる。その途端、眩い光が辺りを包み、わたしも思わず目を瞑った。

 次に目を開けた時、目の前には荘厳な建物があった。白と金を基調にした美しい建物で、一目で神殿だと分かる。森に入った時からどこか心が洗われる気がしていたけど、どうやらそれはこの建物の影響だったみたい。



「僕たち麟族の神殿だよ」



 ニコラスはそう言って微笑んだ。普段の軽快な雰囲気は何処へやら、今のニコラスはまるで、何年も修業を積んだ徳の高い御坊さんみたいだった。

 先導を受けて神殿の中に入ると、中には大きな礼拝堂があった。

 以前、旦那様のお父様に攫われた時に連れてこられたのも竜人族の神殿だったけど、それとはまるで雰囲気が違う。前世で例えると、ここは古代ローマの遺跡とか、そういう雰囲気。ドーム型になった屋根の真ん中に大きな穴が空いていて、キラキラと光が降り注いでいる。

 礼拝者のために用意された石造りの椅子にニコラスが腰掛ける。促され、わたしとアクセスは彼の後ろの席に腰掛けた。



「ごめんね。説明もなしにこんな所まで連れてきて。ここが一番内緒話をするのに都合が良いんだ」



 ニコラスはそう言って目を細めた。わたしは静かに首を横に振る。神聖な雰囲気で和らいでいた緊張が一気にぶり返した。



「そっ……それで、お話って? 旦那様に一体何があったんですか?」



 アクセスとニコラスは静かに顔を見合わせる。本当は怖くて、逃げ出したくて堪らない。必死に心を奮い立たせながら、わたしは二人の言葉を待った。



「昨日――――リアンが俺達二人に頼み事をしてきた」


「頼み事?」



 アクセスはゆっくりと、言葉を選んでいる様子だった。その表情から苦悩と戸惑いが見て取れる。心臓がバクバク鳴り響いた。



「一体、何を頼んだんですか?」



 悪い内容であるのは間違いない。何度も唾を呑み込んで、わたしは二人を交互に見遣る。ニコラスがわたしを見つめ、静かに口を開いた。



「殺してほしい」



 ――――え?

 ニコラスの声が静かな神殿に木霊する。時間が止まってしまったんじゃないか。そう錯覚するほどに、身体の感覚が無くなって、わたしは声すら発することができない。



「殺してほしいと――――そう、リアンに言われたんだ」



 ニコラスがもう一度、静かにそう口にする。わたしは目の前が真っ暗になった。

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