王都へ
「そういうわけで一週間ほどお休みを頂きます。こんな時期に大変申し訳ないのですが、安静に、との厳命ですので」
遠くない未来、国の最高権力に君臨するであろう人物に対して、いささか礼を欠いた態度でそう告げると、アリスはさっさとその場を立ち去るべく頭を下げる。
噛みついてはこないものの毛を逆立てた緑色の犬と、胡散臭い笑顔を向けてくる水色の狸がさすがに鬱陶しくなってきたからだ。何とも言えない表情で会話の糸口を探している桃毛のおせっかいもいる。何よりアリスにとっての天敵が目の前で鷹揚に頷いていた。
「無理をして本番に出られなくなる方が致命的だからな。一週間で完治すると言うならゆっくり療養するといい」
アリスの不注意が原因であるのに、それを咎めるそぶりはない。怪我をした令嬢を責め立てるような性格でないことは知っているが、それでも敵に情けをかけられている様でアリスは落ち着かない気分になった。
「…ありがとうございます。それでは私はこれで」
「待てシュキアス嬢」
一目散に逃げだそうとして、王子に引き留められたアリスは、不本意そうな表情で立ち止まった。
「なんでしょうか?」
「今週末、王都の教会で乙女と騎士たちの任命式があることは知っているな?」
知らない。
そんなものが行われていたなんて初耳だ。
エレオノーラは時々学院を空けることがあるから、この時期のそれもいつもと同じだと思っていたのである。
そしてアリス自身鎮魂祭にはできるだけ関わらないようにして生きてきた。理由は言わずもがな、あの父が大いに関係している行事だからだ。
アリスの反応で察したのか、王子は苦笑する。
「詳細は今日あたり書状にして届くはずだ。参加は強制だから忘れないように」
「強制ですか? しかも王都…」
王都、と頭の中で反芻して渋面を作る。シュキアス家も勿論王都にマナーハウスを持っている。アリスの苦手な両親が暮らすマナーハウスだ。
ただでさえ帰省先で出くわして嫌な思いをしたばかりだというのに、また顔を合わせなければならないのか」
「必ずしも参加しなく、」
「全員。もれなく。強制的に参加だ」
ダメもとの交渉は呆気なく破綻した。
目に見えて肩を落としたアリスに爽やかな笑みを見せながら王子はひらひらと左右に手を振る。
「それでは週末に教会で会おう」
*
嫌だ嫌だと考えている内に、その週末はすぐにやってきた。
今、アリスはシュキアス家の馬車に揺られ、マナーハウスから王都の教会へと向かっている。
昨晩到着した後は疲れを言い訳に両親とは顔を合せなかった。しかし今日は必ず夕食の席に顔を出すように、と念を押されている。憂鬱な行事の後に、更に憂鬱なイベントが待ち構えているとあってアリスの気分は最底辺にあった。
憂鬱さに重たいため息を吐きながら、窓の外の景色に関心を移す。
久しぶりに訪れる王都は相変わらず煌びやかで、忙しない。学園街も十分に発展した街だが、王都のごった返すような人波と、乱立したたくさんの店の賑わいには劣る。ああ嫌、学園街にも同じくらい人が集まる日もあった。
流れゆく景色をぼんやりと眺めながら、アリスは無意識に胸元のネックレスに手を添えていた。心がざわつく時、つるりとした表面を指先に感じるだけで少しはそれがマシになる気がした。
王都に入ってから特に、気が付くとこうして石の存在を確かめてしまう。
場所のせいではなく、時間の流れがアリスにそうさせるのだろうか。
この鎮魂祭が終わればいよいよ物語は佳境に入る。
雑多な露店が並ぶ賑やかな街並みは、石造りの大きな門を超えてからがらりと様を変えた。洗練された剛健な建物が並ぶそこには厳かささえ滲んでいる。
王都の教会が近付いているせいだろう。ここはもう教会の管轄にある地区だ。
そろそろ覚悟を決めて気持ちを入れ替えなければならない。いつも以上に人目が多いから、身の振り方に気を付けて、あんなものが公爵令嬢の側近か、などと侮られないようにしなくては。
窓にうっすらと映る冴えない顔の自分に渇を入れた。
任命式の場となる国教会の大聖堂周辺には続々と人が集まっていた。各地選りすぐりの舞手と騎士を見ようと、毎年大勢の民衆が詰めかけるので、舞手たちは自分の家の馬車か、王宮が手配した馬車で現地まで向かうことになる。
ようやくあらわれたたくさんの馬車たちに、集団はわっと歓声を上げた。
まず最初に出てくるのは舞手をエスコートする騎士たちだ。涼やかな顔立ちのな青年が馬車から顔を出すとまず初めに女たちが黄色い悲鳴を上げる。その手を借りて次に美しく着飾った少女たちが出てくると叫びとも声援ともつかない野太い声が上がる。眉目秀麗な若人が揃ってそれらの声ににこやかに手を振るとますます歓迎の声は大きくなる。
この到着が一種のパフォーマンスになっていることを知らなかったアリスは一人馬車の中で愕然とする。よりにもよってアリスは一人で来たし、あんな風ににこやかな笑顔で愛想を振りまくのは得意じゃない。
(どうしてあの男はこういうのがあるって教えてくれなかったのよ!)
あの男とは勿論これに参加する様アリスに言った男だ。
せめてニナの弟、アルフィーと共に来るべきだった。
項垂れるアリスの目に、馬車の外で困惑する御者の顔が浮かぶ。しかもこんなところでずっと引きこもっていたらかえって悪目立ちしてしまう。
ぎゅっとしわになってしまいそうなくらい強くスカートの裾を握りしめる。
(怖がらなくていい…、いつも通りの私でやれば)
ぱんっと両手で頬を打って足に力を入れた。
アリスが馬車の中で動き出したのを感じ取って御者は馬車の戸を開けた。恭しく礼をしながら差し出してくる手を取って、アリスは馬車の外へと頭を出す。途端上がった歓声に頭が割れそうになった。
タン、タン、と軽やかな音を響かせてアリスはタラップを降りる。アリスは愛想を振りまくのも人好きする笑顔を浮かべるのも苦手だ。今まで培ってきたものの中にそういったものはない。だが誰よりも長く完璧な令嬢の傍で貴族のたしなみを磨いてきた。
地に足をつけて、くるりと自分を見つめる民衆を一瞥すると長年しみついた優雅なお辞儀を披露する。本来目上の者に向ける為の挨拶だが、大聖堂を前にした今、それは王室や神に向けられたものだと捉えられるだろう。
体勢を元に戻すと、速足でアリスは歩き始める。向けられた多くの視線に、引き結んだ唇が震える前にここを抜け出さなくては。
近寄りがたい雰囲気に声をかけることもできず、だからといって目を逸らすこともできず、不思議なほどに静かな民衆がアリスを目で追っていた。
その静寂を破る様に、次にやってきた馬車には一際大きな歓声が寄せられる。大聖堂の入り口に差し掛かっていたアリスは、興味を引かれ振り返る。
やってきたのは二人の主役だった。
きらきらと日に輝く金髪に真っ白な上衣が映える。ああして人に囲まれていると余計に彼の雰囲気が正しく主人公然としているのが分かる。
差し出された手におどおどとぎこちなく自分の手を重ねるも、たくさんの歓迎の声に自然と柔らかな笑みを浮かべられる彼女も役柄に相応しい。
ひっそりと身を隠すように影に紛れた。
並び立つ二人の男女がやけに眩しくて、知らず目を閉ざすように俯いていた。




