どうして
鏡の前でいつもより入念に自分の姿をチェックする主人に、新手のいやみだろうかとアルフィーはひねくれた考えを抱いた。
人外じみた化生のような美しさを持っていても、普通の人間らしく身だしなみを気にすることもあるんだな、なんてしげしげとその様子を眺めていると、鏡ごしに剣呑な目つきですごまれた。
「何か失礼なことを考えているだろう」
「別に。お前がそこまで容姿を気にするのは珍しいと思っただけだよ。そんなに今日のパーティーが大事なのか?」
今日は旅行最終日の祝賀会のようなものが開かれる。
色々と大変な事件が起こっていたが、参加者の大半は全貌を知らないので、事を大きくしないためにも例年通り開催する方が良いだろうという判断の元だ。
狩猟大会の結果発表も行われる。残念ながら今年の優勝者はノアではなく王子だということはもう分かっている。
銃も使わずによくも僅差に持ち込んだものだ、と改めてアルフィーは己が仕える主人の万能っぷりを見せつけられた。
今日のパーティーでは間違いなくあちこちから誘いの声かかるだろうということは予想済みだ。
「いや、パーティーには参加しない」
ノアはさらりとそう言った。
包帯の巻かれた腕を隠すように長袖のシャツを着て、上から夏用のジャケットを羽織る。
「折角の機会なのにいいのか?」
「何の機会でもないさ。あいつが駄々をこねなければそもそも参加するつもりもなかった旅行だしな。少しは楽しめるかと思えば毎日毎日狩りに連れ出されて、挙げ句の果てにアリスをあんな目に合わせて…、とてもじゃないけどパーティーを楽しむ気分にはなれない」
そうは言いつつも浮き足立っているように見えるのだが。
ノアをここまで露骨に喜ばせることのできる人物なんて一人しかいない。
「あの子に呼び出されでもしたか?」
アルフィーはニヤリと笑ってそう言った。
ノアは顔を顰める。
アルフィーの気が利くところは気に入っているが、余計なところにも気が回るのは中々どうして鬱陶しい。
「やたらとソワソワしているのはそのせいなんだな。よかったな、彼女の方から誘ってもらえて」
「……」
「彼女お前に告白でもするつもりなんじゃないか?」
興味ないふりをしていても、黙れと言わないあたり案外この青年も年相応のところがある。
ニマニマと品のない笑みがアルフィーの顔に広がっている。
「だって命の危機から救ってくれたのがよりもよってお前だろ? このシチュエーションで恋に落ちない女性も少ないだろう」
「……」
「お前だって少しは望みがあるからそんな風にチェックしているんだろう。いつもは鏡なんか見たところで顔が変わるわけでもないって顔して、ぃでっ」
「うるさいな」
ついにノアから物が投げつけられる。
本当にアルフィーと接する時は暴力的な奴だ。こうしてすぐに手が出る。
少し赤くなった耳元にアルフィーはふ、と口元を緩めた。
「まぁ、なんにしろ頑張ってこいよ」
背を向けた友人が僅かに首を縦に振るのを見逃しはしなかった。
*
真上に登った太陽が少しずつ西へと沈んでいく。
地平線に沈んでいく太陽が照らす大地は夕暮れの色に染まっていた。
さわさわと風に揺れる木々の葉音を聞きながら、ノアは一人湖を目指して木立の中を抜ける。アリスが指定してきた時間より少し早いが先に行って待っているつもりだった。
木々の間を抜けて、ようやく湖が見えると、ボートを繋ぐ桟橋の先に見慣れた後ろ姿が見えた。
夕焼けに照らされて美しい赤色の髪が燃えるように鮮やかに染まっている。
早めに来てよかった、とノアは息を吐いた。それどころかもう少し早くくればよかったと。
湖を見つめる小さな背中に見惚れる。哀切の宿る双眸で彼女は一体何を見ているのか。
パーティーが始まったのか、狩猟大会中令嬢たちが羽を休めていた森前の会場の方から、賑やかしい声が聞こえてくる。
その声に紛れるようにしてノアは後ろから少女の肩を叩いた。
「こんばんは、アリス」
いつも通りにこやかな笑顔を向けて、ノアはアリスに声をかけた。
「早かったのね…。こんばんは、ノア」
「何を見てたの?」
「水鳥よ。ああして羽を毛繕いする姿が綺麗で。物語になるのも分かる気がする」
「アリスは本当に本が好きだね」
なんとも言えない顔をしてアリスはぎこちなく笑った。
「すぐそこに東屋があるの。疲れちゃったから少し座らない?」
勿論だ、とノアはアリスに手を差し出した。アリスは黙ってその手を取った。
ベンチに腰を下ろす時、アリスが痛みを堪えるようにして息を吐くのをノアは見逃さなかった。
どう見たってまだ本調子ではないのに。わざわざこんなところまで呼び出さなくともノアから会いに行ったのに、と顔をしかめる。
「私たちボロボロね」
ノアの視線に気づいたのかアリスは苦笑した。
私たち、といえどアリスの方が重傷だ。
しゅんとノアの眉が下がる。
「本当にごめん。痛かっただろ……」
「どうしてあなたが謝るの? あなたは何も悪くないでしょう」
「いや、僕が悪い。アリスも分かってるんだろ? 今回の犯人が本当に恨んでいたのが僕だって。君は一度僕といる姿を見られているからとばっちりをくらったようなものだ」
アリスは何も言わない。沈黙は肯定だ。
「前からあいつに恨まれているのは知ってた。知ってたけど大したことないって馬鹿にしてたんだ」
どうせ何もできやしないとたかをくくっていた。
こんな形で悪意を誰かに利用されることを警戒していなかった。というより自分ではなくアリスにその矛先が向くとは予想だにしていなかった。
甘く見たノアの責任だ。
「巻き込んでごめん」
アリスは不意に顔を上げるとノアの方へと手を差し伸べ、その頬に添えた。
暖かな手の感触に思わずどきりとさせられる。
意外と大胆なところがある。
いつもはすぐ赤くなるアリスを揶揄うのはノアの方だから余計にアリスから触れられると不意を突かれてしまう。
こういう時ばかりノアを翻弄するのだ。
そっとアリスの細い指先がノアの傷口をなぞる。ピリリと走った痛みに息が揺れた。
「痛い?」
「大した事ないよ」
次にすすすっと伸びた手がノアの腕に寄せられる。きゅっと優しく掴まれただけでもれる吐息にアリスは同じ質問を繰り返した。
「痛い?」
「っ…それは、まぁ……でも君の怪我に比べたら」
「比べてどうなるの。この傷は私のためにできたものでしょう? 私は自分の失敗のせいで怪我をしたけれど、あなたは私のために怪我をした」
「もしかして怒ってる?」
珍しく積極的なのはそのせいだろうか。自分の腕から離されたアリスの手を追いかけるようにして掴むとぎゅっと握り込んだ。
「怒ってない。ただ不思議なだけ。あなたは自分の責任だって言うけど、それならどうして私はあそこに呼び出されたのかなって」
「?」
「ねぇ、ノア。どうして私を助けに来たの? どう考えたって危険だわ。きっとみんながもう無理だって諦める」
「だってそれは、…君は僕の友達だから」
「本当に? ただの友達のためにこんな怪我を負って、いつまた崩れるかも分からないところまで助けに来れるの?」
こちらを真っ直ぐに見つめる蜂蜜色の瞳に甘やかな色は微塵もない。ただ無機質で何かを諦めたような目が責め立てるようにノアを見ていた。
「夜中に屋敷で会った時にあっさりと私を見逃したのはどうして?」
目を逸らすことができない。
「最後に学園街で会った時にどうして私が西に行くと思ったの?」
ノアが掴んでいたはずの手は、今度は逆にノアを逃すまいと絡みついていた。
「あの日、初めて会った日。あんな時間にあなたがあの場にいたのはどうして?」
その全部につながる答えにきっと彼女は気付いてしまったのだ。
「アリスは何を言いたいの?」
「最初っから、私のことを知っていたんでしょう?」
彼女はどうしてそんなに悲しそうな顔をするんだろうか。
「……いつ気付いた?」
思ったよりも自分の声は冷静だった。
「私の正体を知っていることを隠したいのなら私が倒れた時、寮まで連れて行くべきではなかったわね」
見られていたのか、と苦い思いをする。隠し通路を使っていたものの、誰かに見られる可能性はゼロじゃない。
あの時は一刻も早く医者に診せようと焦っていたせいもある。
慎重に考えて動くタチなのにアリスのこととなるといつも詰めが甘くなる。
「極め付けは今回の事件よ。あなたやたらと事件の内容に詳しそうだけど、殿下は今回のことに緘口令を敷いていたはず。それにあの男単独の犯行なら私が星見の館まで誘い出されることも無かった。今回は主人が関わっていると思ったから私も判断が甘かったけど、それにしても色々と都合が良すぎる」
自分の推測を確認するようにアリスは淡々と言葉を重ねる。
「どうせあれはただの実行犯。裏で何かを企む人がいたんでしょう? あなたも何かに関わりがある。だからあなたを恨むあの男が利用された。そしてそこには私の主人も関わっている」
「確かに……僕は君の正体を知っているけど、それは君を危険にするものじゃない。だからどうかそんな態度をとらないで欲しい」
どうせ言い訳をしたところで余計に不信感を増させるだけだ。
ここは素直に認めた方がいいと考え、ノアはそう言った。
自分たちが築いた信頼がこんなところで失われてしまうのはあまりに堪え難い。
「君に嘘をついていたのは謝るけど、君と親しくなりたかっただけだ。本当にすまない」
「嘘をついていたことは重要じゃない。でもあなたがエレオノーラ様や、殿下に何か関わりがあるんだとしたら、悪いけど私はこれ以上あなたに会うことはできない」
「!」
本心ではない。心からノアを拒絶した様子はないのに、どうしてかアリスの意思は固いように見えた。
「私は私に関係を作りたくないの。アリスとしてはあなたと友達になれたけど、シュキアス侯爵令嬢としてはダメ。だからごめんなさい」
そっと繋がれた手が離される。
「どうしてそこまで彼女以外の他人を拒む?」
何を言ってもアリスはノアを受け入れない。
アリスに深く根ざす呪いがそうさせるのだから。
それでもノアは聞かずにはいられない。
彼女だけがアリスの世界の中心だ。まるでそれ以外は全て不要とばかりに自分を軽んじる。
今回の件があっても、アリスの彼女に対する忠誠は少しも損なわれていない。
それが恐ろしくも、羨ましくもある。
どうしたって自分はあの女に勝てないのだ、と。
「私はあなたが誰だか知らないもの」
アリスはノアの質問には答えない。しかし放たれた言葉はノアの弱いところに的確に突き刺さった。
「僕は君の敵じゃない」
「味方でもないでしょう?」
味方というのに彼女が含まれているのだとしたらそれは是だ。
咄嗟に詰まった言葉に目ざとくアリスは気がつく。
話は終わりとばかりにアリスが席を立つ。
追いかけそうになる手をぐっと堪えた。
「それじゃあ話も済んだし私は部屋に戻るわ。笛は返す。もう使わないから」
そう言って木のテーブルの上にことんと細長い銀色の笛が置かれる。
「さようなら、ノア」
追いかけることはできない。
ノアがどうしてアリスのことを知っているのかまだ話せないから。
自分のことをこれ以上何も教えられないのに信用しろというのは無理な話だ。
まだ話せない。これ以上危険に巻き込むわけにはいかないから。
それでも。
ぐっと血がにじむほどに自分の手を押さえつけながら、重たい息を吐きだした。
「今度は絶対に君を死なせない…、僕はそのために君と出会ったのだから」
空が燃えていた。




