運命
「災難でしたわね」
「全くです」
起き上がるなりかけるのがこの台詞でいいのか、皮肉めいた口ぶりにアリスは笑って同意した。
わたわたと何かを取り繕おうとしているが、結局うまい言葉が見つからず、気まずそうにクラリッサが目を逸らした。
アリスが目を覚まし、身体を起こすと椅子に腰かけたクラリッサが眠っていた。
どうしようかと考えていたら、目を覚ました彼女はアリスの顔を見るなり憎まれ口をたたいたのだ。
しかしどう見たってアリスのことを心配してずっとそばにいてくれたのだろう。手紙のことなど何もクラリッサには伝えていなかったからアリスにも罪悪感がある。
「私はどれくらい眠っていましたか?」
「…丸一日と半分くらいでしょうか。先ほど正午を過ぎたばかりですわ」
「意外とあっさりと目が覚めましたね」
頭にそれなりの衝撃を受けていたためもう少しかかると思っていた。ぐっすり眠ったおかげか幸いにもいつもよりすっきりしているくらいだ。
「あっさり、ではありませんわ。昨晩は熱に浮かされて大変だったんですから…。本当に、心配をかけないでくださいませ」
「心配して頂けたんですね」
「当たり前ですわ! 特にミュリエッタ様なんか一睡もせずにあなたを見張っているから、先ほどようやく殿下が連れて行ってくれたんです。全く……二人して」
クラリッサは頭を抱えている。
夜通しあの菫色の目が自分を見守っていたと考えると背筋が寒くなるような感じがする。特に今回はアリスばかりあんな目にあったからいつもよりアリスに対する罪のような意識が働いているのかもしれない。
ああいうタイプが今まで身近にいなかったので厄介だ。
ため息をつく。
「すみませんが、窓を開けてくれませんか? 空気が淀んでいる気がして」
クラリッサはすぐに立ち上がってベッド横の窓を開けてくれる。
ふわりと乾いた風が差し込んできて肌を撫でた。
すっかりと雨は上がったようだ。雨に流されて一層空の青さが深くなったような気がする。
雨は良くない。気持ちが陰鬱になるから。
こうして穏やかに風を浴びているとそれだけで幸せを感じられるというものだ。
日向でうんと伸びをする猫のようにアリスは目を細めた。
「お医者様は奇跡だと仰っていましたわ」
落ち着いたアリスの姿を見て、クラリッサはぽつぽつと話し始める。
「結局、あの土砂災害で星見の館の一部が崩れ去ったんです。崩れたのは森のある方でしたので街に被害はありませんでしたが、ここ数年で最大級の災害だと。巻き込まれれば遺体が見つかればいいくらいで、普通は見つけることすら困難だと。生き残る、その上命にかかわるような怪我がないのはまさに奇跡だと」
「そうですか……」
もしあれを奇跡だと呼ぶならば、それはまさしく運命に他ならない。
まだ死ぬ時ではない、と。
自分の演じる役回りを再確認させられたようでアリスは複雑な気持ちだった。
ここではまだ生かされただけのこと。どの道待っている結末は同じなのに。
しかしそれをクラリッサに言ったところで、頭をおかしくしたかと疑われるだけだ。
「神に感謝すべきなのでしょうね」
その口ぶりにひそむ皮肉をクラリッサは感じ取っただろうか。
「犯人はどうなりましたか?」
何気なくアリスはそう尋ねる。
最後にアリスを突き飛ばした男、あの男はちゃんと生きているのだろうか。いくら自分を殺そうとしていた人物とはいえ死んでしまってはなんだか後味が悪い。
クラリッサはふんと鼻を鳴らした。
彼女は悪役に情けをかけるアリスと違ってあの三人のことを完全に敵視していた。
「ちゃんと三人とも全員捕まりましたわ。特に一昨日の件に関わった二人は厳罰に処すと殿下は大変お怒りのご様子でした」
それを聞いて少しだけほっとする。
この先待っているのはまともな人生ではないかもしれないが死ぬよりはましだろう。
「お気に入りの子爵令嬢に関することですからね。殿下がお怒りになるのも無理ないでしょう」
アリスが何気なくそう流そうとするとクラリッサは不思議そうな顔をした。何を言っているんだとでも言いたげだ。
「殿下がお怒りになっているのはミュリエッタ様のことだけではありませんわよ」
「?」
「当たり前じゃないですが。宰相家の、それを抜きにしても一人のご令嬢がこんな目にあわされていてお怒りにならない殿方など紳士失格です。クリード卿なんか何度も部屋を訪れようとしては罪悪感でいっぱいになった顔ですごすご帰っていかれるんですもの。元気になったら一度顔を見せてあげた方がよろしいわ」
そう言いながら一番憤慨しているのはクラリッサに見えた。
「さすがのニコライ卿もあなたの姿を見てショックを受けていましたわよ。お兄様も…」
にわかに信じがたいことだが嘘を言っているようにも見えない。
なんだかむず痒さを感じてアリスは居住まいを正した。
何にしろ王子が助けに来た時、ミュリエッタは王子に心を許しているように見えたし二人の仲は進展したのではないだろうか。そう考えれば概ねこの旅行はちゃんと機能していたのだ。アリスも命を落とさずこうして無事で(?)生存しているわけだし。
ようやく短い様で慌ただしかった日々は一旦終わりを告げるのだろうか。
息を吐いた。
最後にもう一つだけ確認しておかなければならないことがある。
「エレオノーラ様は……どうなりましたか?」
クラリッサの顔はまるでアリスを憐れんでいる様だった。
ミュリエッタから手紙のことを聞いたのだろうか。
普通考えれば今回の一件はエレオノーラの仕業だ。
あの場でアリスではなくミュリエッタが傷つけられるようなことがあったら、一緒にその場にいたアリスが間違いなく疑われていただろう。
しかし犯人の私怨のせいでアリスがボロボロになったおかげでアリスが関与を疑われることは真実なくなった。
アリスは今回の件で加害者になりそうなところを被害者になった。
だがアリスはエレオノーラが自分を裏切ったとは思っていない。この件にはもっと裏がある。
それを正直にエレオノーラが話してくれるのかまではさすがに自信がない。
だってクラリッサの反応から、まだ彼女が姿を現していないことは間違いなかったから。
「エレオノーラ様を信じてあげた方がいいなんて言った手前、手のひらを返すようで心苦しくはありますが……もう少し危機感というものを働かせた方がよろしいと思いますわよ」
「危機感ですか」
「えぇ。エレオノーラ様の苦しみも理解できないことはありませんが、もしこういったことをまた起こすのであれば……」
クラリッサの顔が曇る。
彼女とてアリスの前でエレオノーラのことを悪く言いたくない。だが恐ろしいのだ。今回のことでクラリッサはアリスの人柄の一端に触れた、ような気がしている。ミュリエッタにも、アリスにも、クラリッサは随分と心を許してしまった。
ここで生まれた縁にひびが入るとしたら、それはエレオノーラのことに他ならないとクラリッサはあの晩に確信してしまったのだ。
「どうしてシュキアス様はそんなに……」
アリスは笑った。
クラリッサが登場人物である以上その問いにアリスが答えるわけにはいかない。
「私はあの方の理解者でいたいのです」
「……、わたくしにはよく分かりませんが、これだけは覚えておいてください。ミュリエッタ様もわたくしも、もしあなたが何かに巻き込まれそうなときは必ず力になりますから。馬鹿げたことを考える前に相談してくださいな」
「覚えておきます」
そう言って静かに頷くアリスの微笑みがどうしても作り物のように見えて、クラリッサの不安は晴れることは無かった。
「エレオノーラ様は王都に向かわれたそうですわよ。昨日殿下から伺いましたが王城で何か用事があるそうです。今回のことで滞在日数が伸びてしまいましたから先に戻られると。殿下はもうしばらくこちらで事後処理をしてから向かわれるそうですわ」
「ありがとございます」
結局、旅行中のエレオノーラの所在ははっきりしないままだった。彼女がこの街で一体何をしていたのか、アリスにはもう知る由もない。
そうとなればこの件は本当に全ておしまい。
ようやく肩の荷が下りたような気がしてアリスはどさりと体を後ろに倒した。
「そうそう、当初予定されていた最終日のパーティーは明日行われることになりました。こんな目に私があっているのに何がパーティーだ! と思われるかもしれませんが皆シュキアス様の件を知りませんので許してほしいと殿下が仰っていましたわ」
「別に気にしませんよそんなこと。逆に日を伸ばしてしまって申し訳ないです。私のことは気にせず皆さんで楽しまれてください」
「そうお伝えしますわ。…では、わたくしは一旦席を外しますわね。ミュリエッタ様があなたのことを心配していましたから一応報告して参ります。邪険にはしないであげてくださいまし」
「それは約束できません」
「もう……」
クラリッサは苦笑して部屋を後にした。
*
その後すぐにミュリエッタが部屋に突撃してきたのは言うまでもないことだ。
起き上がったアリスの姿を見るなりボロボロと泣いて鬱陶しいミュリエッタを適当にあしらいつつ、ぼうっとノアのことを思い出す。
いつのまにか泣き止んだミュリエッタは空を見つめるアリスの目を追って、自分も空を見ると思い出したように手を叩いた。
「そうだ! わたし一つお伝えしたいことがあったんです!」
明るい声でミュリエッタは言う。きっとアリスは喜んでくれるだろう話だ。
「わたし以前ノア様のことをどこかで見たことがあると言いましたよね?」
そうだったっけ、と思いながらもアリスはとりあえず頷いておく。首をかしげたところでめんどくさい掛け合いがあるだけだ。
「昨日ノア様がシュキアス様を抱いて戻っていらっしゃった時思い出したんです!」
やはりあの時助け出してくれたのはノアで間違いないのだ。
アリスはなんとなくその先のミュリエッタの言葉を聞きたいような、聞きたくないような、そんな感覚に襲われていた。
こんな時に限って色んな記憶が頭をよぎるのだ。
どうして避暑の行先がバカルディだと分かったのだろうか。
すんなりとメイドだという話を受け入れたのはどうしてだろうか。
それよりもっと前、どうしてアリスが街で倒れた後、無事に貴族舎の自分の部屋に寝かされていたのだろうか。
ノアはなぜあの時アリスに声をかけたのだろうか。
その全ての疑問に答えるようにミュリエッタは弾んだ声で告げる。
「入学してすぐの休み、寮まであの方がシュキアス様を運んでいらしたんですよ! なんでも街で倒れたとかで。今回シュキアス様を連れて戻ってきた時に、こう、記憶が蘇ってわたし興奮しちゃいました! だってこれって運命だと思いませんか!?」
つくづく自分の願いは諦める他ないのかもしれないと、アリスは人知れずそう思った。




