陶興房 柱石 第九章
長きにわたる大内家の在京生活にやっと終焉が見えた。この間に手に入れたものに対してなくしたものは大きい。興房は主家のため、それを取り戻すべく闘う。
永正十五年(一五一八)大内義興は管領代を辞し京を発った。大内家の将兵もすべてこれに同行する。
「やっと帰還できるのか」
興房はため息交じりに吐き捨てた。本例ならばもう少し早く帰国できるはずであった。だが朝廷に引き留められたのと、ここにきて義材が心変わりしたのか義興を必死で引き留めたからである。尤も帰国の決意が固かった義興はこれをきっぱりと拒絶している。
「あとのことは高国殿や尚順殿にお任せします」
「そのようなことを言うな。せめて大内家全軍で帰るのではなく半数は残してはくれないか。其方か重臣の誰かが残ってくれればそれでよい」
義材は必死で義興を引き留めた。というのも高国との関係がいよいよ悪化したうえ、尚順は自分の問題にかかりきりらしい。ここにきてもはや頼れるのは義興だけであったのだ。しかし先年より帰国を決意していた義興を止めることは出来なかった。義興も帰国しなければならない事情があったのである。
「安芸で不穏な動きがありますゆえ。儂自ら手を打たねば帰国することもままならぬことになるやも」
この時興房が懸念していた通り尼子経久の動きが活発化し始めていた。さらに在京による大内家の影響力の低下で安芸の領主たちのうちに独自の動きを見せるものも出てきた。義興もいよいよ危機感を覚えて早急に帰国し全力で対処することにしたのである。
義材を振り切った義興は興房と共に帰国の途についた。道中で興房は義興にこう言った。
「在京は十年に及びました。この時はあまりにも重すぎまする」
「ああ。だが何もしないでいるわけにもいかないだろう」
二人はすでに気づいている。帰国した後も苦労しかないだろうということに。
帰国した義興と興房はすぐに勢力の立て直しを図った。と言っても組織や領国が被害を受けているわけではない。大内家の金蔵が大分さみしくはなっていたがそれは明との貿易で取り返せる。
ただ長期の不在による周囲への影響力の低下は避けられなかった。北九州では和睦こそ破れてていないものの大友家の影響力が増している。これに対して義興は大友家との関係を良好なまま維持することで切り抜けた。
一方懸念はやはり中国地方である。安芸、石見の領主たちは独自の動きを見せ始めていた。特に安芸の領主たちはお互いの結びつきを強めて大内家の支配から脱しようとしている動きを見せている。この動きは義興の帰国以前からあったもので、その中で一つ大きな事件が起きていた。
安芸の領主に武田信繁という男がいる。信繁は義興の養女を娶っていた。義興は自信に先んじて信繁を帰国させ安芸の領主たちを親大内でまとめさせようとした。しかしあろうことか信繁は妻を離縁し反大内の先頭に立ったのである。
「信繁め。ここまで儂と謀るとは」
当時在京していた義興は怒り心頭であった。だがその数年後に思いもよらぬ出来事が起きる。信繁が戦死したのだ。討ち取ったのは毛利家の家臣らしい。
「興元は病死して息子の幸松丸が跡を継いだと聞いている。だがまだ幼子であったはずだ。それなのに信繁を討ち取ったのか」
「左様です。驚くべきことですが」
興房は広良を経由してこのことを知った。そしてことの詳細も把握している。
「幸松丸殿の叔父にあたる元就殿が指揮をしたそうです。兵力に差があったようですが、見事な用兵で勝利したようで」
「毛利元就か。見事なものだ。覚えておこう」
この毛利元就は大内家と深い因縁でつながれることになる男である。
帰国した義興はすぐには動かなかった、というか動けなかった。義興は帰国して早々安芸の政情に積極的に介入している。特に厳島の管理に関する問題には強引に介入した。ところが安芸の領主たちにとって心のよりどころである厳島の問題への強引な介入はむしろ反発を招いてしまう。積極的に敵対するものも続出した。そしてそれらの背後には尼子経久の影があったのである。
「こうなった以上は兵を送りしかありますまい」
「そうだな。儂自ら出向きたいが北九州の方も気になる。安芸は興房に任せよう」
興房は義興の命を受けて出陣した。これは大永二年(一五二二)のことである。興房の目標は武田家の銀山城であった。義興を裏切った武田信繁はすでに討たれているが息子の光和は尼子家の支援を受けていまだに頑強に抵抗している。
「武田家を滅ぼせば安芸で我らに抵抗する者たちは大人しくなるだろう。そうすれば尼子家も安芸に手を出せなくなるはず」
この時興房は珍しく油断していたといえる。畿内での圧倒的な勝利を忘れられなかったのか、自分たちが負けることなどなく苦戦するなどとも思わなかったのだ。
結果として興房の武田家への攻撃は失敗と言える結果に終わった。この時興房は銀山城を攻めることもできず、かろうじて敵方の小幡城を攻め落とすことしかできなかったのである。これには興房も小さくない衝撃を受けた。
「天下に名をはせた大内家の武力をもってこの程度の戦果とは。義興様に申し訳ない」
一方で名を挙げたものも居る。毛利元就だ。元就は興房の要請を受けて壬生城を攻めてこれを攻め落としている。その圧倒的な勝利は義興から感状が出るほどであった。興房も大いに喜び、報告のために陣中にやってきた志道広良を労っている。
「元就殿の働きは天下無双のものだ。これからも大内家の力になってほしい」
現状安芸で大内家の影響力は下がるばかりである。ここでこれほどの戦果を挙げる毛利家、ひいては元就の存在はありがたかった。
「ありがたきことにございます。幸松丸様は幼く些か病がちでして。われら家臣一同元就さまと共にお家のために働いております」
「そうか。それは何かと大変だろう。もし何か困るようなことがあった私を頼るといい。義興様にもよく伝えておく。ともかく元就殿の活躍は比類ないものだ」
「いやはや興房様にこれほどお褒め戴くとはもったいなくございます。元就様は吉川家から嫁を貰う予定でして。これよりは吉川家とも足並みをそろえていきまする」
そうしみじみという広良。だがこれまでの発言をよく聞けば大内家のために尽くすといったような発言はない。普段の興房ならそこに気づき警戒するようなものだが、この時ばかりは浮かれていて気づけなかった。
「それはめでたいことだ。大いに祝われるがよい」
この時はただ毛利家の慶事を素直に祝福したのである。しかしこの慶事が大内家に取っての凶事になるとは思いもよらなかった。
大永三年(一五二三)大内家の支配下にいた友田興藤が尼子家に寝返った。友田家は厳島の神主の一族である。そう言うわけで厳島の管理も行っていたが内紛が起きた。そこで大内家が介入したのだが、厳島の管理自体を大内家が管轄するという強引な決断を下したのである。これは義興が尼子家の安芸進出を警戒した故のことであるが、この強引な決着に興藤は強い不満を抱いていたのである。
「そもそも大内家が我ら安芸の衆のことに関わるのは間違いだ。われらは我らの道を行く。しかしひとまずは尼子家を頼ろう。そして安芸の衆で一丸となって戦うのだ」
そう宣言した興藤は武田家を介して尼子家に従ったのである。そしてこれに厳島に関わる多くの領主たちが道を共にした。
この動きを受けて尼子経久も動いた。
「この動きは天恵よ。私自ら出陣して安芸をこの手に入れてしまおうではないか」
経久は自ら軍勢を率いて出陣することを決意した。そして攻略目標を安芸における大内家の重要拠点である鏡山城に定める。そしてそれにあたって安芸の多くの領主たちに服従を求めたのだが、この時特に力を入れたのが毛利家の懐柔である。
「毛利家は安芸の衆の中で抜きんでている。これを抑えることが肝要よ」
経久は重臣の亀井秀綱を派遣し毛利家を説得させた。秀綱は元就が吉川家から妻を娶ったことも上げて説得している。というのも元就の妻の叔母が経久の妻であったのだ。
「経久様は奥方様のご実家である吉川家を大事にしておられる。その縁戚にあたる毛利家も同様に扱うと申されておられる。もはや大内家に昔日の力はない。先だっての武田家との戦でも明らかであった。ここは我らにお味方してこそお家を長らえることになるのではないか」
この秀綱の説得を受けて元就と毛利家の重臣たちは話し合った。尤も大勢は尼子家への鞍替えを支持している。そんな中で元就は慎重な姿勢を示している。
「我らは大内家に恩義もある。吉川家との縁戚も重要であるが、そこを蔑ろにしてはむしろお家が立ち行かなくなるだろう」
この元就の意見を支持したのは広良であった。広良は尼子家への鞍替えを支持しつつも警戒を立つべきではないと考えている。
「経久様は稀代の名将。ゆえに恐ろしく油断のない御仁。その方の下につくのだから心を許すべきではなく、万が一のことも考えておくべきではないか」
「広良の言うとおりだ。尼子家に従いつつも大内家とのつながりも断つべきではない」
二人は尼子家への警戒、というか経久への警戒を解いてはいなかった。それは経久がありとあらゆる手段で自らの勢力を伸張してきたことへの警戒である。もっとも尼子家への鞍替えは否定していないので、秀綱を通じて尼子家への臣従が決定した。
この報せを聞いて経久はある提案を毛利家に行った。
「毛利家の、特に元就殿の武勇は知られている。そこで此度の鏡山城への先陣を任せたい。如何か? 」
要するに忠誠心のテストである。それに加えて大内家との戦いで先陣をきらせて大内家からの印象を悪くさせようという策であった。
毛利家としてはこの提案を飲むしかない。そう言う力関係である。しかし元就は別の方策を考えていた。
「そう来るならば我等にも考えはある」
この戦に毛利家は幼い幸松丸をも出陣した。これも尼子家へのアピールである。そして大永三年の六月に鏡山城の戦いが起きるのだが、その結末と後始末は誰もの思いもよらぬものとなった。
鏡山城を攻撃されたとき義興も興房も動けなかった。北九州などの事案への対応に追われていたからである。また毛利家が寝返るとは考えていなかったのもあった。
「まさか毛利家が寝返るとは。いや、それほど秋における大内家の力が弱くなったという事か。なんにせよこれは苦しいことになる」
毛利家の寝返りに衝撃を受ける興房。こうした動きに義興も思うところがあった。
「我らのやり方が強引すぎたのかもしれぬな。帰国してから焦りすぎた」
「後悔しても仕様がありませぬ。いまは房信にすべてを託しましょう」
鏡山城を守るのは家臣の蔵田房信。実直な武辺ものである。これに房信の叔父の直信が副将としてついていた。
「あの二人なら守り抜いてくれるはずだ」
祈るような気分になる義興。だが事態は悪い方向に向かう。毛利家を中心とした尼子軍の攻撃の前に鏡山城は落城。房信は妻子と城兵の助命と引き換えに自害したという。さらに落城のきっかけは毛利家が直信を寝返らせたということだった。
これらの報告を聞いて興房は意外なほど冷静であった。この事態になった以上、慌てず冷静に対応しなければならないということでもあるが。
「直信は寝返れば蔵田家の家督を継がせると持ち掛けられたようです。元就殿が謀ったようで」
「毛利元就…… 油断のならぬ男よ。しかし直信め。許せぬ」
怒り心頭の義興。だが次いで入ってきた情報は二人を驚かせるものであった。
「どうも経久殿が直信を処刑したと。寝返りのことを責められてということらしいです」
「何だと?いや、なぜそのようなことを」
「分かりませぬ。正直、経久殿の成される事とは思えません」
二人ともこの経久の処置に困惑した。確かに寝返った直信は信頼できないかもしれない。しかし尼子家に利する行いをしたのも事実であった。そんな直信を、寝返りを理由に処断するのは余りにも厳しい対応である。
また何よりこの対応は毛利家のメンツをつぶすことでもあった。
「此度の戦の戦功第一は間違いなく毛利家。敵ながら見事と言える。だが直信を処すれば毛利家の面子は丸つぶれだ。せっかく味方に引き込んだ毛利家に反感を抱かせてどうする」
義興は大名の立場として考えたがまったく意味不明な行為である。これには興房も同感である。
「この処遇を知ればほかの領主たちも反感を抱くかもしれないのに。しかしこれは我らにとっての吉報かもしれませぬ」
「それはそうかもしれん。だがしばらくは厳しい戦いが続くぞ」
「はい。ゆえにいろいろと仕込んでおかねばなりませぬな」
この時点で二人は敗北を受け入れ次を見ている。そして必ずや逆襲すると誓い合うのであった。
話の中にある通り帰国してからの義興と興房は尼子家との戦いに全力を注ぎます。その中で頭角を現したのが毛利元就です。中国地方を代表する戦国大名である元就の人生もまた義興や経久に劣らぬ英傑です。ここからの情勢は大内、尼子、そして毛利の三勢力が中心となりますのでお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




