第一章 第一幕 ~霧が森学園都市~ 第二幕 ~日曜日はケーキを買いに~
女の子は……
一番気持ちの良い椅子に座り
一番飲みやすいスープを飲み
一番寝心地の良いベッドで眠りました
『三匹のくま』 (イギリス民話より)
第一章 ~日曜日はケーキを買いに~
第一幕 ~霧が森学園都市~
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全身真っ白なコーデの、その上色素も少ない、かなり幼めの歌って踊る系の動画配信者が、どこか尊大なポーズを決めて動画開始。
曲名――『カフェ・ラテ・モーニング』
ある朝 私は目覚めたの コーヒーカップを撫ぜながら
水兵リーベは僕の船 私の心も踊ってる
その時 私は気付いたの コーヒーコトコト入れながら
うらしま太郎を煙に巻き お菓子をふたつ召し上がれ
「わあ!」
ワゴン車の後部座席に埋もれながら左手でスマホを持ち、右手を動画の少女に合わせて踊らせていた女の子が、車外の景色に目を奪われて窓に張り付く。
「ほら、彼方。見えてきたぞ。あれが新しい家のある街だ――」
運転していた父親が、我がことのように誇らしげに頷く。
「綺麗~~。……ひゃあっ!?」
一瞬、彼方と呼ばれた高校生くらいの女の子は首をすくめる。
「どうかしたの?」
助手席にいた若い母親が首を捩じって後ろを覗き込む。
「えっと……あれ?」
彼方も後ろを見る。一直線に街を貫く幹線路は、前後どちらも同じように続いていた。
「今、何かを〝越えた〟気がしなかった?」
彼方は怪訝な表情で、両親のどちらにでもなく訊ねる。
「何かって、何を? 何も無かったけど? ねえ、あなた」
途惑い顔の母親は、父親にも同意を促す。
「『霧が森学園都市にようこそ!』みたいな標識の下を通った時にガタンと揺れたから、何か敷居を踏んだのかも……」
父親も、さして気の無い返事だった。
「気のせいよ」
母親が身を乗り出して手櫛で彼方の前髪を揃えると、彼方は気持ちよさそうに母親の手の方向に首を曲げて軽く目を瞑った……
「うわ~~……大きな川……」
彼方は窓に両手を掛けて、恐る恐る覗き込むように外を見ていました。
単調なリズムで車体は振動し、ゆるやかな半円が天に膨れ上がった、妙に風格のあるアーチ橋風の長い橋が、ずっと続いています。
防風林めいた機能的に整然と列を成す高木が左右に割れて、向かって右側にあたる南側に開けた都市部が浮かび上がると、彼方はその先に――反対側に目を留めます。
「あの丘って、なあに?」
見ると、いかにも都市計画にのっとって厳正に組み上げられた都市構造とはまるで異質な、無頓着にそこにプリンでも落としたかのようにどしんと、上半分が切り取られた丘陵が視界の脇を占有していました。
「ああ、あれか。あれは私有地らしいな」
「あら? あの土地が全部、個人のものなの?」
母親も目を円くする。
「小さな村くらい入りそうだけど?」
「どうも、そうらしいな。お城みたいな家があるそうだ」
「ふわあ~~」
家族の気楽さでだらけ気分の彼方は、おどろきの目で窓の一角に映り続けるそこだけ気配の異なる丘をじっと見つめていました。
「ここが〝霧が森〟と呼ばれる由縁は、あの丘の中を地下水が通っていて、それが地表に現れた時に蒸発することによってここらの空気を清浄に変えているとか何とかと聞いたな。その代わり、一年中霧に覆われている感じらしいけど」
「え~~? 湿気が多いのやだな」
「私も。お洗濯物、乾くかしら」
「知らんよ。比喩的なものかも知れないしな」
どことなく誰もが他人事に、どことなく誰もが新しい生活に浮かれて、そのまま車は都市のどこかに吸い込まれてゆくのでした……
第二幕 ~日曜日はケーキを買いに~
モデルハウスの展示会場に見紛うほど新品の、家・家・家の住宅区域。
その中の、やはり真新しい気配を漂わせている抜き立つまでの新居が彼方の家――
部屋の中には梱包をほどいた生活用品。あと、服。
それを横目に鏡の前で最終チェック。
そして……
「行ってきま~~す!」
いかにも〝新しい街の最初の散歩〟を形にしたような新品尽くしに身を包んだ彼方が、レトロ調の大きな帽子を被って外出しようとしていました。
「明日から学校があるのよ? 浮かれ過ぎないこと! 早く帰ってくるのよ?」
キッチンにいた母親が、ひょいっと玄関に顔を見せて釘を刺します。
「は~~い! どこにどんなお店があるか見てくるだけだよ~~」
「もうすぐハロウィンでしょ? 近頃は大騒ぎしないように通行止めとかしているところもあるから気を付けるのよ?」
「わかってま~~す!」
軽やかにいなして、彼方は外に。
「♪ある朝私は目覚めたの~~コーヒーカップを撫ぜながら~~」
こっそり口ずさみながら、その合い間に「ケーキ~~ケーキ~~」と浮かれています。
足取り軽く、日曜日の昼はおだやかに、天高く遠い秋は白い雲ひとつを浮かべて流れてゆくのです。
駅――雑沓の勢いのままに改札にスマホをかざし客車の中の人に。
窓の外の変わりゆく風景に見とれているうちに、突然眼前の窓は緑一色に埋め尽くされる。
葉だらけの木々の枝は窓をこするほど近く、ざらざらと木漏れ日をかすかに覗かせながらも、やけに長く通り抜けてゆく。
しばらくしてそれが通り過ぎると、彼方は今目覚めたかのように左右を見渡したのでした。
「あ、降りま~す!」
何となく口の中で呟き、急ぎ足になって開いたドアをあとにした時も、何かしら妙な気はしていたのです。
ですが、はっきりと気付いたのは駅のホームに立ってすぐのことでした。
「あれ……?」
彼方は、あちこちきょろきょろしました。
去ってゆく電車も慌てて振り返って見てみました。
「あ……」
背中が寒くなった気がしました。
その客車は、まるで回送みたいに、誰も乗っていないかのように見えたのです。
「あ……あれれ? 私……寝過ごしてた?」
でも、どう見ても太陽は未だ天頂近くに昇っていて、それほどの時間には思えません。
「変だなあ……? ここの人って、この駅の前で全員降りるとか?」
訝しみながら駅の外に立った彼方は、さらに仰天します。
街には、人っ子ひとりいなかったのです。
「やだやだやだ。何これ? あ、これがハロウィンの通行止めってこと? でも、ハロウィンってあと一週間は先だったけど……」
びくびくしながらも、身を屈めてあちこち見上げるように彼方は、知らない街の不思議な雰囲気に翻弄されていました。
その時――
「あ……」
ほっとした声が上がります。その視線の先に、黒い猫がじっと彼方を見詰めていたのです。
よく考えてみると、猫がいたところで何が変わるものでもないのに、この異常な、いわゆる白昼夢の中では藁にも縋るし猫にも頼るのです。
「待って……」
彼方は、ふらふらと猫を追って歩いていました。
「あれ? たしかこっちだと思ったのに……」
彼方が何か押し迫った気配のまま周辺を見渡すと、次の交差点の死角に吸い込まれるように、黒い猫の影が建物の隙間に滑り込んでゆくのが見えました。
「あ、いた……」
こうなっては猫をたったひとつの救いの光明として、彼方は足を速めます。
「えっと……ここに入ったのかな?」
そこには、まるでかつて巨大な古い建造物があって、その本体だけ取り壊されたのになぜか正門だけ残ったかのような、荘厳にも古色蒼然とした廃墟のさらに残骸みたいな入り口があったのです。
「失礼します……。猫さん。いますか?」
彼方は、あくまで半身を傾けて覗き込んだだけだったのです。
なのに、まるで風のひと押しがあったかのように、ふらりとよろけてたたらを踏み、気が付くとその門の内側に迷い込んでいたのです。
一歩踏み込んだ途端、空気ががらっと変わっていました。
経年劣化でうす茶色になった紙。
そこに燃えさしの炭を握って乱雑に殴り描いた途切れがちの直線だらけのデッサン。
それをノスタルジア色の夕焼けの風合いに塗りたくった――
ここは、黄昏の街でした。




