金髪クラス委員
海斗は、カルボナーラが入ったビニール袋を手にしてコンビニを出た。
サウナのような外の暑さに汗を流しながら、街灯のある道を選んで通っている。この道は人通りが多く、あまり好きではない。けれど、道を選ぶ余裕は、空腹と季節の影響でなかった。今はとにかく早く買って帰ることが目的である。
「…………」
いつも持ち歩くイヤホンをこのときに限って忘れてしまった。玄関を出て、鍵を閉めた辺りでその事実を気付いたのだが、とにかくめんどくさかった。早く何か食べたかったし、20分にも満たない買い物だ。サッと行ってサッと帰れば済むので戻ることをせず、外の騒音に苛立ちながら足を進めている。
「………」
今日は、やけに騒がしい。というのも通行する人全員が口をそろえて「『うさぴょんぴょん』最強だな」と話していた。
知らない人だったし、注意深くまで聞いてはいないのだが、情報を整理すると以下の通りになる。
『うさぴょんぴょん』はネット名。髪色は金髪のロングで、白のウサギをプリントした黒のTシャツがトレードマークの女性。有名な格闘ゲームをプレイしており、この近くにあるゲーセンの常連らしい。
「………」
金髪と言うことでカルミアの事がよぎり、一瞬だけ心臓がドキッとした。けれど、彼女はショートだったから『うさぴょんぴょん』とは全くの別人である。
ここまで噂されるのだから相当な手練れで間違いないのだろうけど、ご飯を食べるのが先決だ。
惜しい気持ちを抑えつつ、家に向かっていたそのとき
「いやぁ、あの茶髪の少年くん結構強かったよー」
集団の話声が聴こえる。
女性が3人、男性が3人。どの声もハキハキと喋っており、関わりたくない人たちだ。
胃がキリキリ痛むのを抑えつつも、顔を伏せて速足に進む。ぶつからないように歩道ギリギリを歩く。
集団の前を歩く男3人はガタイがよく、いかにも強そうだ。「昔、俺ヤンチャしていましたー」って将来自慢するような人たちだろう。後ろの女三人は、1人を除いて落ち着いた見た目をしている。それでも、このグループの中で歩くにふさわしい見た目をしているが。
問題の1人というのは、背中まである金髪ロングに白のウサギをプリントした黒のTシャツを着ている女の人だ。
さっき耳にした噂の人物とよく似ていたので、正体は彼女で間違いない。
しかし、どこかで見たことがある。大きな瞳に、笑ったときできるえくぼ、そして声。誰かを思い出せないけど、知っている人物とすごく酷似していた。
でも、学校では髪を染めることは禁止している。だから、地毛の黒か黒茶色の人しかいないので、学校の人間とは考えられない。
たまたま似ている人として片付けた。
「………」
集団で話しているゲームを耳にしながら、隣を通る。そのときに少しだけ左へと目を向けた。ほんの出来心であり、一瞬の心の隙でチラッと目線を送ってしまった。
『うさぴょんぴょん』と目が合い、すぐに逸らした。
確実にキモく思われただろうと思い、心の中で涙を流しながら、歩みを進める。
「待って」
だからこそ、後ろの声に海斗は気付かなかった。それどころか、まるで声に反応したかのように進む足が更にスピードを増していた。
「海斗くん。待って」
肩に手をかけられ、彼は気付き、振り向いた。
「………」
ぎこちない笑顔を向ける人物は、お堅く人間ができているクラス委員長――城ケ崎真澄であった。
だけど、どうして彼女は金髪なんだろう。
頭が混乱する。
――――
海斗と真澄は、近くの公園で二人きりとなっていた。日は暮れていないが、若干の夕焼け空となっていた。
高校生男女2人がこれから暗くなる空の下、公園のベンチにいるのだが、ムフフな展開になっているわけでもなく、コーラ1本を口止め料として買収されていた。
海斗が真澄の金髪を周囲に言いふらすと思い、警戒しての行動であった。けれど、彼には話すつもり無かったし、そもそもこの話をネタにできる人が誰1人として居ないのだ。強いて言えば、担任の如月になるのだが彼女に話すメリットが海斗には無かった。
そのことを真澄に伝えてみるも、全然信じてもらえなかった。クラスメイトってだけで、全くの接点も関りも無かったから他人同然、故に信用されていないのだろう、と考えつく。
海斗が座ってるベンチに向かって、見慣れない恰好をした真澄がコーラ片手に走ってくる
「はい、これ」
「ありがとう」
氷点下に冷えたコーラを手に持つだけで夏を吹き飛ばしてくれた。
勢いよくキャップを開け、飲んだ。パチパチと弾けた炭酸が喉を刺激し、滝のように胃へと一直線に流れ落ちた。夏の暑さと炭酸の痛みが、体内を通るコーラの美味さによって吹き飛ばされる。
これこそが夏の醍醐味だ。キンキンに冷えた炭酸を飲むのが至福であり、至高だ。
「買ってあげたから、言わないでね」
コーラを頼んだ覚えはないが、美味しかったから突っ込まないことにした。
「言わないし。てか、言う相手いないし」
「ほんとにー? 友達1人ぐらいいるでしょ」
真澄の屈託のない笑顔には、曇り1つ無かった。
だが、海斗にとってはそれが嫌味に見えて、苦しくなる。
友達が居て当たり前――そう彼女の笑顔が物語っていたからだ。
「………」
全く信じられていない。
まぁ無理もない話だ。高校生となれば、やれ恋愛だの、やれ部活だの、やれ友達だの、一番楽しめる時期なのに、そういうのを自ら避けている高校生がいるとは想像がしにくい。
カルボナーラを箸で摘まんで、口に運ぶ。
「夏休み前日にコンビニで晩御飯買う高校生に、友達いるほうがおかしいだろ」
「すっごい過激発言。謝罪したほうがいいよ」
「誰にだよ」
カルボナーラをまた摘まむ。
「フォーク使わないの」
きょとんした表情で彼女は、海斗を見る。しかし、海斗は恥ずかしくて目線をカルボナーラに向けたままだ。
「使わない」
「どうして」
「あれ嫌いなんだよ」
「嫌い……?」
首をかしげる真澄。
続けて海斗が、
「なんか、形が嫌い。好きじゃない」
と、いかにフォークが嫌いかを短い言葉で伝えた。
「食器を嫌う人、初めて見た。驚いた」
「探せば誰かいるでしょ」
「どうだろー。金属の食器が嫌いって人は居るかもだけど、フォークを嫌う人ってなかなか居ないよー」
「そういうもんか」
久しぶりの会話だからどうやって続ければいいのか、どこが終わりなのかわからず会話の難しさをヒシヒシと感じた。
「………」
真澄の右手に持っているもが目に入った。
これなら多少は会話が続くだろう。
「何持ってるの」
「これ?」
輪っかの部分を人差し指にかけてぶら下がった卵型の水色の道具。真ん中に大きなボタンがあり、なんとなく察しがついた。
「もしかして、防犯ブザーか」
「そうだよ。ピンポーン! 大当たりー」
正解したことを声高く称賛してくれる。
「お母さんにもらったのこれ。危なくなったら使いなさいって。だから、私に手を出しちゃダメよ」
「出さねぇよ」
荒げて否定し、真澄は笑った。
それでも長時間続くわけではなく、また無言になる。
「………」
真澄は自販機で買った缶コーヒーを一気に飲み干し、海斗に目を向けた。
そして、何かを思い出したかのように、あっ、と声をあげる。
「そうだ。連絡先、交換しようよ」
真澄は、黒のポーチからスマートフォンを取り出し、海斗に向ける。
「……連絡先」
聞き慣れない言葉に思考が停止するが、すぐになんのことか理解できた。
今まで彼女との連絡先交換を先延ばしにしていたけど、もうそれは通じないように思える。
渋々ポケットからスマートフォンを取り出し、真澄に向けた。
「いいよ」
通話とメッセージ機能がついたアプリでお互い交換する。
海斗はアイコン設定をしておらず初期状態のままだ。それに対して真澄は、空を飛ぶ白いハトの頭にオリーブの花冠を乗っけた絵だった。
「海斗くんってアイコン変えないんだねー」
「困ってないから。委員長のアイコンは……芸術ってやつ」
「そんな感じ!」
アイコンの話題で盛り上がった所で、彼女は真剣な表情となった。
今までしていた会話とはまた別なのだと感じ、海斗の表情も強張る。
「海斗くんってどうしていつも一人なの」
突然の物故見に一瞬だけ思考が停止し、なんとか出た言葉が
「どうしてって……」
だった。
自分が1人の理由――傷つくのを避けるためであった。しかし、それは確実に突っ込まれる。
ならば、友達を作るタイミングを逃した、と言えば彼女の事だから「今がチャンスだよ」なんて言ってくるだろう。
真澄は、そういう人間だ。誰に対しても一定の優しさを与え、憐れんでくれる。それが海斗にとって苦痛だった。今でも覚えていたし、忘れたことが無い。
入学してから1ヶ月、いつも一緒に居る海斗に対して挨拶をしては、特に意味のない会話をしてくる。「昨日のテレビを見た」とか、「ゲームは何しているの」とか、「最近熱くなってきたね」とか、海斗にとっては選んで一人でやっているのだから邪魔で仕方なかった。クラス委員という責任から生まれた行動なのだろうけど、負担だった。
結局、海斗自身の乗り気の無さから自然に会話の糸は切れ、全く接点が無かったのだが、まさかここで生まれるとは思っていない。
もし仮にあのとき彼女の秘密を知っていれば、仲良くしていたのか――そう思うと、自分のあの行動には後ろたさがある。
「好んで一人になった。ただそれだけだよ」
空っぽの容器を袋に詰め、帰る準備をする。
今日1日の疲れが溜まり、家に帰ってとにかく寝たかった。
何度か瞬きをする。
「今でもそう思うの?」
ただ、真澄のその一言に冷静に動き始めた脳みそが動きを止める。
自分の考えが見透かされたようで、焦りが生まれる。
「と、言うと?」
続きを促した。
それらか少し彼女は黙って、えっと、と言って言葉を続ける。
「なんか最近の海斗くんってさ、1人でいるの凄く辛そうに見えるよ。本当は、1人って嫌なんじゃない?」
辛そう?
俺が?
前々から辛くはなかったし、しんどくもない。ずっとこのままでいい、覚悟ができていた。
でも、本当はずっと前から思っていて、たまたま今日と言う日にそれを自覚したのか。
自分の弱さを実感した。嘘の虚勢を張って、強くあろうとして、でも昔と変わらず弱いまま。
独り暮らしを始めたのも強く生きるための証明だと思っていたのに、それはただ自分の心を殺して生きていたと言うのだろうか。
図星をつかれ、黙り込んでしまった。
その光景に慌てた真澄は
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。えっと落ち込まないで」
落ち込んではいない。
凹んではいたけど。
「謝らなくていいよ。そんなもんだから」
尖った言い方に気付き、言葉を付け加える。
「最初は全然だったけど、ちょっと最近は辛かったかも」
弱さを人に見せるのは、好きじゃない。だけど、今見せることで少しでも真澄の中にある罪悪感が無くなればいいという考えから生まれた行動だった。
「そうだったんだ。なら、さ……もしよければ、私と友達にならない……?」
とても恥ずかしそうなしぐさをする彼女に心臓がドキドキ音を立てる。
学校ではおしとやかでありながら強い姿勢だったが、今の表情は色っぽさがあり、男子高校生には刺激が強い。
すぐに視線を外し、赤くなる顔を隠す。
「……俺でいい……」
言葉が詰まった。
友達。
散々避けてきた不安定の存在をここで受け入れると言うのか。
葛藤が生まれていた。
真澄は今まで出会ってきた人間と同じタイプなのか、それとも違うタイプなのか定かではない。信じるための証拠があまりにも少なすぎた。だから、ここで「友達になろう」なんて言葉を容易く、簡単に吐くことができなかった。
学校の行いがいいからと言って、プライベートがいいとは限らない。今まで沢山そういう人を赤い瞳で見てきたから知っていた。
人間の表と裏の恐ろしさを。
「………」
赤い瞳を見せても、彼女は友達でいてくれるのだろうか……。
カラーコンタクトを外すために指を当てたそのとき、
ドゴン!!!
爆発音と共に空から白色の塊が公園の出入り口付近で落下した。
辺りに砂ぼこりが舞い、風が吹き荒れる。
「何、今の!?」
真澄は口に手を抑え、パニックになっていた。
「わかんねぇ」
海斗は、彼女の一歩前に立って守る体制を咄嗟にとる。
「………」
二人の間に緊張が生まれる。
今日見たあの魔物たちか、それともまた別の奴か。
思考を回して、考える。
「ゲホッ、ゲホッ」
目の前の黒い影は苦しそうに胸を抑えながら咳き込み、立ち上がる。
影の形をよく見ると、ゴツゴツとしており、見覚えがあった。そこで一人だけ思い当たる人物が浮かび上がる。人並外れた身体能力を持ち、ゴツゴツとした鎧を着ていた女性。
「カルミア!」
彼女の名を呼んだ。
砂煙は消え、そのシルエットはやがて白色の光を発するようになる。
「海斗。助けてくれ」
彼女は酷く怯え、震えていた。
魔物のときには見せなかった表情に、海斗はただ事ではないのだと察する。
「待ってろ、すぐ行く」
そして、真澄に振り返り、
「今からここはヤバい事になる。さっさと逃げたほうがいい」
とだけ言い残し、カルミアの元に走った。